爪上の土

無宗教で日蓮聖人の御遺文を研鑽しています。

禅宗は天魔の所為(2)

例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし。彼の国々、禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ
『法門可被申様之事』

禅宗は天魔の説若し依て行ずる者は悪見を増長す
『行敏御返事』

禅宗天魔波旬説〔禅宗は天魔波旬の説〕と云云。此れ又日蓮が私の言に非ず。教外別伝と云云。仏の遺言に云く_我経之外有正法者天魔説也〔我が経の外に正法有りといはば天魔の説なり〕云云。教外別伝之言、豈に此の科を脱れんや。
『行敏訴状御会通』

禅宗は梁の世に達磨大師、楞伽経等大乗の空の一分を以てせし也。其の学者等、大慢を成じて教外別伝等と称し、一切経を蔑如するは天魔の所為也。
『真言諸宗違目』

禅宗と申し当時の持斎、法師等は天魔の所為也。教外別伝と申て神も仏もなしなんど申す、ものくるは(狂)しき悪法也。
『上野殿御返事』

若し達磨の禅観に依るといはゞ教禅とは未顕真実妄語方便の禅観なり。法華経妙禅の時には正直捨方便と捨てらるゝ禅なり。祖師達磨禅とは教外別伝の天魔禅なり。共に是れ無得道妄語の禅なり。仍つて之を用ゆべからず。
<中略>
禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。「是法住法位、世間相常住」の金言に背く僻見なり。禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住の法と云ふが故に外道の常見なり。若し与へて之を言はゞ仏の方便三蔵の分斉なり。若し奪つて之を言はゞ但外道の邪法なり。与は当分の義、奪は法華の義なり。法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云ふなり。
『立正観抄』

禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目、南北不弁の妄見なり。牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず。
『教行証御書』

禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給ひて、父母よりも重んじ神よりも御たのみあり。されば一切の諸人頭をかたぶけ、手をあさふ(叉)。かゝる世にいかなればにや候らん。天変と申して彗星長く東西に渡り、地夭と申して大地をくつがへすこと、大海の船を大風の時大波のくつがへすに似たり。大風吹いて草木をからし、飢饉も年年にゆき、疫病月月におこり、大旱魃ゆきて河池、田畠皆かはきぬ。如此三災、七難数十年起りて民半分に減じ、残りは或は父母或は兄弟、或は妻子にわかれて歎く声、秋の虫にことならず。家家のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり。
<中略>
禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝也。法華経等の経経は教内也。譬ば月をさす指、渡りの後の船、彼岸に到りてなにかせん、月を見ては指は用事ならず等云云。彼人人謗法ともをもはず、習ひ伝へたるまゝに存の外に申すなり。然れども此言は釈迦仏をあなづり法華経を失ひ奉る因縁となりて、此国の人人皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず。
『妙法比丘尼御返事』

 禅宗の法門は或は教外別伝 不立文字と云ひ、或は仏祖不伝と云ひ、修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ、或は即身即仏とも云ひ、文字をも立てず、仏祖にも依らず、教法をも修学せず、画像木像をも信用せずと云ふなり。
 反詰して云く 仏祖不伝と候こそ、月氏二十八祖・東土六祖とて相伝はせられ候哉。其の上迦葉尊者何ぞ一重だの花房を釈尊より授けられ、微笑して心の一法を霊山にして伝へたりとは自称する哉。又祖師無用ならば何ぞ達磨大師を本尊とする哉。修多羅の法無用ならば何ぞ朝夕の所作に真言陀羅尼をよみて、首楞厳経・金剛経・円覚経等を読誦する哉。又仏菩薩を信用せざれば、何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱ふる哉、と責むべき也。
<中略>
 文字は是れ一切衆生の心法の顕れたる質也。されば人のかける物を以て其の人の心根を知りて相する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相する也。然らば文字は是れ一切衆生の色心不二の質也。汝若し文字を立てざれば、汝が色心をも立つべからず。さてと云ふも、かうと云ふも、有と無との二見をば離れず。無と云はば無の見也とせめよ。有と云はば有の見也とせめよ。何れも何れも叶わざる事也。
<中略>
所詮修多羅と云ふも文字也。文字是三世諸仏気命也〔文字は是れ三世諸仏の気命なり〕と天台釈し給へり。天台は震旦の禅宗の祖師の中に入りたり。何ぞ祖師の言を嫌はん。其の上御辺の御辺の色心也。凡そ一切衆生の三世不断の色心也。何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字徒云ふ耶。是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し。真実の禅法をば何としてか知るべき。哀なる禅の法門かなと責むべし。
『諸宗問答鈔』

 其の上、当世の禅人、自宗に迷へり。続高僧伝を披見するに、習禅の初祖、達磨大師の伝に云く ̄藉教悟宗〔教によりて宗を悟る〕と。如来一代の聖教の道理を修学し、法門の旨・宗宗の沙汰を知るべき也。
 又、達磨の弟子六祖の第二慧果の伝に云く ̄達磨禅師以四巻楞伽授可云 我観漢地唯有此経。仁者依行自得度世〔達磨禅師、四巻の楞伽をもて可に授けて云く、我、漢の地を観るに、ただ此の経のみあり。きみ依行せば、自ら世を度することを得ん〕と。此の文の意は、達磨大師、天竺より唐土に来りて四巻の楞伽経をもて慧可に授けて云く、我、此の国を見るに此の経殊に勝れたり。汝、持ち、修行して仏に成れと也。
 此れ等の祖師、既に経文を前とす。若し之に依て経に依ると云はば、大乗歟、小乗歟、権教歟、実教歟、能く能く弁ふべし。或は経を用ふるには禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等による。是れ皆法華已前の権教覆蔵の説也。只諸経に是心即仏即身是仏等の理の片を説ける一両の文と句とに迷ひて、大小、権実、顕露、覆蔵をも尋ねず。只、立不二不知而二 謂己均仏〔不二を立てて而二を知らず。己、仏に均しと謂ふ〕の大慢を成せり。彼の月氏の大慢が迹をつぎ、此の尸那の三階禅師が古風を追ふ。然りと雖も、大慢は生きながら無間に入り、三階は死して大蛇と成りぬ。をそろし、をそろし。
 釈尊は、三世了達の解了朗らかに、妙覚果満の智月潔くして、未来を鑒みたまひ、像法決疑経に記して云く_諸悪比丘或有修禅不依経論。自逐己見を以非為是 不能分別是邪是正。鎔向道俗作如是言 我能知是我能見是。当知此人速滅我法〔諸の悪比丘、或は禅を修すること有りて経論に依らず。自ら、己、見を逐ひて、非を以て是と為し、是れ邪、是れ正と分別すること能わず。鎔く道俗に向ひて是の如き言を作さく、我能く是れを知り、我能く是れを見ると。当に知るべし、此の人は速やかに我が法を滅す〕と。此の文の意は、諸の悪比丘あて禅を信仰して経論をも尋ねず、邪見を本として法門の是非をば弁へずして、而も男女尼法師等に向ひて、我よく法門を知れり、人はしらずと云ひて、此の禅を弘むべし。当に知るべし。此の人は我が正法を滅すべしと也。此の文をもて当世を見るに宛も符契の如し。汝慎むべし、汝畏るべし。
 先に談ずる所の天竺に二十八祖有りて、此の法門を口伝すと云ふ事、其の証拠、何に出でたるや。仏法を相伝する人、二十四人、或は二十三人と見えたり。然るを二十八祖と立つる事、所出の翻訳、何れにかある。全く見えざるところ也。
<中略>
 二十八祖を立つる事、甚だ以て僻見也。禅の僻事是れより興るなるべし。今、慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時、師子と達磨との年紀、遥かなる間、三人の禅師を私に作り入れて、天竺より来れる付法蔵、系を乱れずと云ひて、人に重んぜさせん為の僻事也。此の事異朝にして事旧ぬ。
『聖愚問答鈔』

禅宗は又此の便りを得て持斉等となつて人の眼を迷はかし、たつとげなる気色なれば、いかにひがほうもん(法門)をいゐくるへども失ともをぼへず。禅宗と申す宗は教外別伝と申して、釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにさゝやかせ給えり。されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし。猿の月の影をとるににたり云云。此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ、無礼なる故に主君にかんだうせられ、あるいは若なる法師等の学文にものうき、遊女のものぐるわしき本性に叶へる邪法なるゆへに、皆一同に持斉になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり。しかれば天は天眼をいからかし、地神は身をふるう。
『撰時抄』

禅宗の云く 法華経は月をさす指、禅宗は月也。月をえて指なにかせん。禅は仏の心、法華経は仏の言也。仏法華経等の一切経を説かせ給いて後、最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさずく。其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し、乃至付法蔵の二十八、六祖までに伝う等云云。此れ等の大妄語、国中を誑酔せしめてとしひさし。
『開目抄』

テーマ:詩&想い - ジャンル:心と身体

禅宗は天魔の所為

禅宗問答鈔 建長七

 禅宗云く 涅槃時世尊登座 拈華示衆。迦葉破顔微笑〔涅槃の時、世尊座に登り、拈華して衆に示す。迦葉、破顔微笑せり〕。仏言く 吾有正法眼蔵涅槃妙心実相無想微妙法門。不立文字、教外別伝、付属摩訶迦葉而已〔吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無想微妙の法門有り。文字を立てず、教外に別伝し、摩訶迦葉に付属するのみ〕。
 問て云く 何なる経文ぞや。
 禅宗答て云く 大梵天王問仏決疑経の文也。
 問て云く 件の経、何れの三蔵の訳ぞや。貞元・開元の録の中に曾て此の経無し。如何。
 禅宗答て云く 此の経は秘経也。故に文計り天竺より之を渡す云云。
 問て云く 何れの聖人、何れの人師の代に渡りしぞや。跡形無き也。此の文は上古の録に載せず。中頃より之を載す。此の事禅宗の根源也。尤も古録に載すべき。知んぬ偽文也。
 禅宗云く 涅槃経二に云く_我今所有 無上正法 悉以付嘱 摩訶迦葉〔我れ今所有の無上の正法、悉く以て摩訶迦葉に付嘱す〕云云。此の文如何。
 答て云く 無上之言は大乗に似たりと雖も是れ小乗を指す也。外道之邪法に対すれば小乗をも小乗といはん。例せば大法東漸といへるを、妙楽大師解釈の中に、通指仏教と云ひて大小権実をふさ(總)ねて大法と云ふ也云云。外道に対すれば小乗も大乗を云はれ、下臈なれども分には殿と云はるるがごとし。涅槃経三に云く_ 若以法宝付嘱阿難及諸比丘不得久住。何以故。一切声聞及大迦葉悉当無常。如彼老人受他寄物。是故応以無上仏法付属諸菩薩。以諸菩薩善能問答。如是法宝則得久住。無量千世増益熾盛利安衆生。如彼壮人受他寄物。以是義故諸大菩薩乃能問耳〔若し法宝を以て、阿難及び諸の比丘に付嘱せば、久住することを得ず。何を以ての故に。一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし。彼の老人の他の寄物を受けざるが如し。是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付属すべし。諸の菩薩は善能く問答するを以てなり。是の如き法宝は則ち久住することを得。無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし。彼の壮なる人の他の寄物を受くるが如し。是の義を以ての故に諸大菩薩乃し能く問ふのみ〕。
大小の付属、其れ別なること分明也。同経の十に云く_汝等文殊 当為四衆広説大法。今此以経法付属於汝。乃至 迦葉阿難等来復当付属如是正法〔汝等文殊、当に四衆の為に広く大法を説くべし。今此の経法を以て汝に付属す。乃至、迦葉阿難等も来らば復当に是の如き正法を付属す〕云云。故に知んぬ、文殊迦葉に大法を付属すべしと云云。仏より付属する処の法は小乗也。悟性論に云く ̄人心をさとる事あれば、菩提の道を得る故に仏と名づく。菩提に五あり、何れの菩提ぞや。得道又種種也。何れの道ぞや。余経に明かす所は大菩提にあらず。又無上道にあらず。経に云く_四十余年 未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕云云。-
 問て云く法華は貴賎男女何れの菩提の道を得べきや。
 答て云く 乃至於一偈 皆成仏無疑〔乃至一偈に於てもせば 皆成仏せんこと疑なし〕云云。又云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。是に知んぬ、無上菩提也。_須臾聞之。即得究竟阿耨多羅三藐三菩提〔須臾も之を聞かば即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得ん〕也。此の菩提を得ん事須臾も此の法門を聞く功徳也。
 問て云く 須臾とは三十須臾を一日一夜と云ふ。須臾聞之の須臾は之を指すか、如何。
 答ふ 件の如し。天台止観の二に云く ̄無須臾廃〔須臾も廃すること無し〕云云。弘決に云く ̄不許暫廃故云須臾。故須臾刹那也〔暫くも廃することを許さざる故に、須臾と云ふ。故に須臾は刹那なり〕。
 問て云く 本分の田地にもとづくを禅の規模とす。
 答ふ 本分の田地とは何者ぞや。又何れの経に出でたるぞや。法華経こそ人天の福田なればむね(宗)と人天を教化し給ふ。故に仏を天人師と号す。此の経を信ずる者は己身の仏を見るのみならず、過現未の三世の仏を見る事、浄頗梨に向ふに色像を見るが如し。経に云く_又如浄明鏡悉見諸色像〔また、浄明鏡の悉く諸の色像を見るが如し〕云云。
 禅宗云く 是心即仏 即身是仏と。
 答て云く 経に云く_心是第一怨。此怨最為悪。此怨能縛人 送到閻魔処。汝独地獄焼 為悪業所養 妻子兄弟等 親族不能救〔心は是れ第一の怨なり。此の怨、最も悪と為す。此の怨能く人を縛り、送って閻魔の処に到る。汝独り地獄に焼かれて、悪業の為に養う所の妻子兄弟等親族も救ふこと能わず〕云云。涅槃経に云く_願作心師 不師於心〔願って心の師と作るとも、心を師とせざれ〕云云。愚痴無懺の心を以て即心即仏と立つ。豈に未得謂得未証謂証之人に非ずや
 問ふ 法華宗の意如何。
 答ふ 経文に具三十二相 乃是真実滅〔三十二相を具しなば 乃ち是れ真実の滅ならん〕云云。或は速成就仏身〔速かに仏身を成就することを得せしめんと〕云云。禅宗は理性の仏を尊て、己れ仏に均しと思ひ、増上慢に堕つ。定んで是れ阿鼻の罪人也。故に法華経に云く_増上慢比丘。将墜於大坑〔増上慢の比丘は将に大坑に墜つべし〕。
 禅宗云く 毘盧の頂上を踏むと。
 云く 毘盧とは何者ぞや。若し周遍法界の法身ならば山川大地も皆是れ毘盧の身土也。是れ理性の毘盧也。此の身土に於ては狗野干の類も是れを踏む。禅宗の規模にあらず。若し実に仏の頂を踏まん歟、梵天も其の頂を見ずと云へり。薄地争でか之を踏むべき耶。夫仏は一切衆生に於て主師親之徳有り。若し恩徳広き慈父を踏まんは不孝逆罪之大愚人・悪人也。孝子の典籍尚お以て此の輩を捨つ。況んや如来の正法をや。豈に此の邪類邪法を讚めて、無量の重罪を獲んや、云云。在世の迦葉は頭頂礼敬と云ふも、滅後の暗禅は頂上を踏むと云ふ。恐るべし。
 禅宗云く 教外別伝 不立文字。
 答て云く 凡そ世流布之教に三種を立つ。此れに二十七種あり。二には道教。此れに二十五家あり。三には十二分経。天台宗には四教八教を立つる也。此れ等を教外と立つる歟。医師の法には外経師と云ふ。人間の言には姓のつづかざるをば外戚と云ふ。仏経には経論にはなれたるをば外道と云ふ。涅槃経に云く_若有不順仏所説者 当知是人是魔眷属〔若し仏の所説に順わざる者あらば、当に知るべし、是の人は是れ魔の眷属なり〕云云。弘決の九に云く ̄法華已前猶是外道弟子也〔法華已前猶お是れ外道の弟子なり〕云云。-
 禅宗云く 仏祖不伝〔仏祖伝えず〕云云。
 答て云く 然らば、何ぞ西天の二十八祖・東土の六祖を立つる耶。付属摩訶迦葉の立義、已に破るゝ歟。自語相違は如何。
 禅宗云く 向上の一路は先聖不伝云云。
 答ふ 爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず。若し解せずんば、禅に非ざる歟。凡そ向上を歌いて以て軽慢に住し、未だ妄心を治せずして見性に奢り、機と法と相乖くこと此の責め尤も親し。旁く化儀を妨ぐ、其の失転た多し。謂く教外と号し、剰へ教外を学び、分筆を嗜みながら不立文字〔文字を立てず〕。言と心と相応せず。豈に天魔の部類・外道の弟子に非ずや。仏は文字に依て衆生を度し給ふ也
 問ふ 其の証拠如何。
 答て云く 涅槃経十五に云く_願諸衆生 悉是受持出世文字〔願わくは諸の衆生、悉く是れ出世の文字を受持せよ〕。像法決疑経に云く_依文字故度衆生得菩提〔文字に依るが故に衆生を度し菩提を得〕云云。若し文字を離れば何を以てか仏事とせん。禅宗は言語を以て人に示さざらんや。若し示さずといはば南天竺の達磨は四巻の楞伽経に依て五巻の疏を作り、恵果に伝ふる時、我れ漢地を見るに、但此の経のみあて人を度すべし。汝此れに依て世を度すべし云云。若し爾れば、猥りに教外別伝と号せん乎。次に不伝之言に至りては、冷煖自知する也。此れを以て法華に云く_捨悪知識 親近善友〔悪知識を捨てて 善友に親近するを見ん〕。止観に云く ̄不値師者 邪慧日増 生死月甚 如稠林曵曲木 無有出期〔師に値はざれば、邪慧日に増し、生死月に甚く、稠林に曲木を曵くが如く、出期有ること無し〕云云。凡そ世間の沙汰、尚お以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧ろ輒く自己を本分とせん耶。故に経に云く_不可見近如人睫 不可見遠空中の鳥の跡のごとし〔近きを見るべからざること人の睫の如く、遠きを見ざること空中の鳥の跡のごとし〕云云。上根上機の坐禅は且く之を置く。当世の禅宗は、瓮を蒙りて壁に向ふが如し。経に云く_盲冥無所見。不求大勢仏及与断苦法 深入諸邪見 以苦欲捨苦〔盲冥にして見る所なし。大勢の仏および断苦の法を求めず。深く諸の邪見に入て苦を以て苦を捨てんと欲す〕云云。弘決に云く ̄世間顕語尚不識 況中道遠理。常密教寧当可識〔世間の顕語、尚お識らず、況んや中道の遠理をや。常の密教、寧ろ当に識るべけんや〕云云。当世の禅は皆是れ大邪見の輩也。就中、三惑未断の凡夫の語録を用て四智円明の如来の言教を軽んずる、返す返す過てる者哉。疾の前に薬なし、機の前に教なし。等覚の菩薩尚お教を用ひき。底下の愚人何ぞ経を信ぜざる云云。是れを以て漢土に禅宗興ぜしかば其の国忽ちに亡びき。本朝の滅すべき瑞相に闇証の禅師充満す。止観に云く ̄此則法滅夭怪 亦是時代夭怪〔此れ則ち法滅の夭怪。亦是れ時代の夭怪なり〕云云。-
 禅宗云く 法華宗は不立文字の義を破す。何故ぞ仏は一字不説と説き給ふや。
 答ふ 汝、楞伽経の文を引く歟。本法自法の二義を知らざる歟。学ばずんば習ふべし。其の上、彼の経に於ては、未顕真実と破られ畢んぬ。何ぞ指南と為さん。
 問て云く 像法決疑経に云く_不見如来説一句法〔如来、一句の法を説きたまふを見ず〕云云。如何。
 答ふ 是れは常施菩薩の言也。法華経には_菩薩聞是法 疑網皆已除 千二百羅漢 悉亦当作仏〔我是の法音を聞いて 未曾有なる所を得て 心に大歓喜を懐き 疑網皆已に除こりぬ〕と云ふ。八万の菩薩も千二百の羅漢も悉く皆列座し、聴聞随喜す。常施一人は見ず。何れの説に依るべき。何に況んや次下に_然諸衆生 有見出没 説法度人〔然るに諸の衆生、出没有るを見て、法を説いて人を度す〕云云。何ぞ不説之一句を留めて可説之妙理を失ふべき。汝が立義、一一大僻見也。執情を改めて法華に帰伏すべし。然らずんば、豈に無道心に非ず耶。

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