末代の僧尼について
末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説せ給て候也。文の意は末世の僧、比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟、衣を著たれば形は僧、比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提て、我出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致し、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事、譬ば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来を見ていがみほへ食合が如くなるべしと云心也。是の如の僧尼は皆皆悪道に堕すべき也。
『松野殿御返事』
第三に衆合地獄とは、黒縄地獄の下にあり。縦広は上の如し。多くの鉄の山、二つずつ相向かえり。牛頭・馬頭等の極卒、手に棒を取って罪人を駈けて山の間に入らしむ。此の時、両の山迫り来て合わせ押す。身体くだけて、血流れて、地にみつ。又種々の苦あり。人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として、此の天の寿、二千歳なり。此の天の寿を一日一夜として、此の地獄の寿命、二千歳なり。殺生・偸盗の罪の上、邪淫とて、他人のつま(妻)を犯す者、此の地獄の中に堕つべし。然るに当世の僧尼士女、多分は此の罪を犯す。殊に僧にこの罪多し。士女は各々互いにまもり、又人目をつつまざる故に、此の罪をおかさず。僧は一人ある故に、淫欲とぼし(乏)きところに、若しはらまば(有身)、父ただされてあらわれぬべきゆえに、独りある女人をばおかさず。もしやかくる(隠)ると、他人の妻をうかがい、ふかくかくれんとおもうなり。当世のほかとうと(貴)げなる僧の中に、ことに此の罪又多かるらんとおぼゆ。されば多分は当世とうとげなる僧、此の地獄に堕つべし。
『顕謗法鈔』
仏涅槃経に記して云く_末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土とみえぬ。法滅尽経に云く_謗法の者は恒河沙、正法の者は一二の小石と記しおき給う。千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたかるらん。世間の罪に依て悪道に堕ちる者は爪上の土、仏法によて悪道に堕ちる者は十方の土。俗より僧、女より尼多く悪道に堕つべし。
『開目抄』
しかればいまの代の海人山人日々に魚鹿等をころし、源家平家等の兵士等のとしどしに合戦をなす人々は父母をころさねばよも無間地獄には入り候はじ。便宜候はば法華経を信じて、たまたま仏になる人も候らん。今の天台座主・東寺・御室・七大寺の検校・園城寺の長吏等の真言師竝に禅宗・念仏者・律宗等は、眼前には法華経を信じよむににたれども、其の根本をたづぬれば弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然等が弟子也。源にごりぬれば流れきよからず。天くもれば地くらし。父母謀反をおこせば妻子ほろぶ。山くづるれば草木たふるならひなれば、日本六十六ヶ国の比丘比丘尼等の善人等皆無間地獄に堕つべき也。
されば今の代には地獄に堕つるものは悪人よりも善人、善人よりも僧尼、僧尼よりも持戒にて智慧かしこき人々の阿鼻地獄へは堕ち候也。
『種種物御消息』
三千大千世界の一切衆生の人の眼をぬける罪よりも深く、十方世界の堂塔を焼はらへるよりも超たる大罪を、一人して作れる程の衆生日本国に充満せり。されば天は日日に眼をいからして日本国をにらめ、地神忿を作して時時に身をふるう也。然而我朝の一切衆生は皆我身に科なしと思ひ、必ず往生すべし成仏をとげんと思へり。赫赫たる日輪をも無目者は見ず知らず。譬ばたいこ(鼓)の如くなる地震をもねぶれる者の心にはをぼえず。
日本国の一切衆生如是。女人よりも男子の科はをゝく、男子よりも尼のとがは重し。尼よりも僧の科はをゝく、破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し。持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし。此等は癩病の中の白癩病、白癩病の中の大白癩病なり。
『妙法曼荼羅供養事』
今、当世の悪王・悪比丘の仏法を滅失するは、小を以て大を打ち、権を以て実を失ふ。人心を削りて身を失はず、寺塔を焼き尽くさずして自然に之を喪ぼす。其の失前代に超過せる也。
『法華取要抄』
設ひ堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘・比丘尼等も、愚痴の失に依て、小乗経を大乗経と謂ひ、権大乗教を実大乗経なりと執する等の謬義出来す。大妄語・大殺生・大偸盗の大逆罪の者也。愚人は之を知らざれば智者と尊む。設ひ世間の諸戒之を破る者なりとも、堅く大小権実等の経を弁へば、世間の破戒は仏法の持戒也。
『大学三郎御書』
経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん〕文。妙楽大師此の文の心を釈して云く ̄次一行明道門増上慢者〔次いで一行は道門増上慢の者を明かす〕文。文の心は悪世末法の権経の諸の比丘、我れ法を得たりと慢じて法華経を行ずるものゝ敵となるべしといふ事也。
『唱法華題目鈔』
末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢に著して師をいやしみ、檀那をへつらふなり。
『曾谷殿御返事(成仏用心鈔)』
法滅尽経に法滅尽之時は狗犬の僧尼、恒河沙の如し等云云[取意]。
『曾谷入道殿許御書』
『松野殿御返事』
第三に衆合地獄とは、黒縄地獄の下にあり。縦広は上の如し。多くの鉄の山、二つずつ相向かえり。牛頭・馬頭等の極卒、手に棒を取って罪人を駈けて山の間に入らしむ。此の時、両の山迫り来て合わせ押す。身体くだけて、血流れて、地にみつ。又種々の苦あり。人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として、此の天の寿、二千歳なり。此の天の寿を一日一夜として、此の地獄の寿命、二千歳なり。殺生・偸盗の罪の上、邪淫とて、他人のつま(妻)を犯す者、此の地獄の中に堕つべし。然るに当世の僧尼士女、多分は此の罪を犯す。殊に僧にこの罪多し。士女は各々互いにまもり、又人目をつつまざる故に、此の罪をおかさず。僧は一人ある故に、淫欲とぼし(乏)きところに、若しはらまば(有身)、父ただされてあらわれぬべきゆえに、独りある女人をばおかさず。もしやかくる(隠)ると、他人の妻をうかがい、ふかくかくれんとおもうなり。当世のほかとうと(貴)げなる僧の中に、ことに此の罪又多かるらんとおぼゆ。されば多分は当世とうとげなる僧、此の地獄に堕つべし。
『顕謗法鈔』
仏涅槃経に記して云く_末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土とみえぬ。法滅尽経に云く_謗法の者は恒河沙、正法の者は一二の小石と記しおき給う。千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたかるらん。世間の罪に依て悪道に堕ちる者は爪上の土、仏法によて悪道に堕ちる者は十方の土。俗より僧、女より尼多く悪道に堕つべし。
『開目抄』
しかればいまの代の海人山人日々に魚鹿等をころし、源家平家等の兵士等のとしどしに合戦をなす人々は父母をころさねばよも無間地獄には入り候はじ。便宜候はば法華経を信じて、たまたま仏になる人も候らん。今の天台座主・東寺・御室・七大寺の検校・園城寺の長吏等の真言師竝に禅宗・念仏者・律宗等は、眼前には法華経を信じよむににたれども、其の根本をたづぬれば弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然等が弟子也。源にごりぬれば流れきよからず。天くもれば地くらし。父母謀反をおこせば妻子ほろぶ。山くづるれば草木たふるならひなれば、日本六十六ヶ国の比丘比丘尼等の善人等皆無間地獄に堕つべき也。
されば今の代には地獄に堕つるものは悪人よりも善人、善人よりも僧尼、僧尼よりも持戒にて智慧かしこき人々の阿鼻地獄へは堕ち候也。
『種種物御消息』
三千大千世界の一切衆生の人の眼をぬける罪よりも深く、十方世界の堂塔を焼はらへるよりも超たる大罪を、一人して作れる程の衆生日本国に充満せり。されば天は日日に眼をいからして日本国をにらめ、地神忿を作して時時に身をふるう也。然而我朝の一切衆生は皆我身に科なしと思ひ、必ず往生すべし成仏をとげんと思へり。赫赫たる日輪をも無目者は見ず知らず。譬ばたいこ(鼓)の如くなる地震をもねぶれる者の心にはをぼえず。
日本国の一切衆生如是。女人よりも男子の科はをゝく、男子よりも尼のとがは重し。尼よりも僧の科はをゝく、破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し。持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし。此等は癩病の中の白癩病、白癩病の中の大白癩病なり。
『妙法曼荼羅供養事』
今、当世の悪王・悪比丘の仏法を滅失するは、小を以て大を打ち、権を以て実を失ふ。人心を削りて身を失はず、寺塔を焼き尽くさずして自然に之を喪ぼす。其の失前代に超過せる也。
『法華取要抄』
設ひ堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘・比丘尼等も、愚痴の失に依て、小乗経を大乗経と謂ひ、権大乗教を実大乗経なりと執する等の謬義出来す。大妄語・大殺生・大偸盗の大逆罪の者也。愚人は之を知らざれば智者と尊む。設ひ世間の諸戒之を破る者なりとも、堅く大小権実等の経を弁へば、世間の破戒は仏法の持戒也。
『大学三郎御書』
経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん〕文。妙楽大師此の文の心を釈して云く ̄次一行明道門増上慢者〔次いで一行は道門増上慢の者を明かす〕文。文の心は悪世末法の権経の諸の比丘、我れ法を得たりと慢じて法華経を行ずるものゝ敵となるべしといふ事也。
『唱法華題目鈔』
末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢に著して師をいやしみ、檀那をへつらふなり。
『曾谷殿御返事(成仏用心鈔)』
法滅尽経に法滅尽之時は狗犬の僧尼、恒河沙の如し等云云[取意]。
『曾谷入道殿許御書』
四箇格言まとめ(2)
与北条弥源太書 文永五年
去る月御来臨、急ぎ急ぎ御帰宅、本意無く存ぜしめ候ひ畢んぬ。
抑そも蒙古国の牒状到来の事、上一人より下万民に至るまで、驚動、極まり無し。然りと雖も、何の故なること、人、未だ之を知らず。日蓮兼ねて存じせしむる之間、既に一論を造りて之を進覧せり。徴し先に達して顕れば、則ち災い後に来る。
去る正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥の刻、大地震。是れ併せながら此の瑞に非ず乎。
法華経に云く_如是相と。天台大師云く ̄蜘蛛下喜事来、錢鵲鳴行人来〔蜘蛛下りて喜ぶこと来り、錢鵲鳴いて行人来る〕。易に云く ̄吉凶於動生〔吉凶、動に於て生ず〕と。此等の本文、豈に替わるべけん乎。所詮、諸宗の帰依を止めて一乗妙経を信受せしむ之由、勘文を捧げ候。
日本亡国之根源は、浄土・真言・禅宗・律宗の邪法悪法より起これり。諸宗を召し合わせ、諸経の勝劣を分別せしめ給へ。
殊に貴殿は相模の守殿の同姓なり。根本滅するに於ては枝葉豈に栄えん乎。早く蒙古国を調伏し国土安穏ならしめたまへ。
法華を謗ずる者は三世諸仏の大怨敵也。天照大神・八幡大菩薩等、此の国を放ちたまふ故に、大蒙古国より牒状来る歟。自今已後各各生取りと成り、他国の奴と成るべし。
此の趣、方方へ之を驚かし、愚状を進らせしめ候也。恐恐謹言。
文永五年戊辰十月十一日 日 蓮花押
謹上 弥源太入道殿
去る月御来臨、急ぎ急ぎ御帰宅、本意無く存ぜしめ候ひ畢んぬ。
抑そも蒙古国の牒状到来の事、上一人より下万民に至るまで、驚動、極まり無し。然りと雖も、何の故なること、人、未だ之を知らず。日蓮兼ねて存じせしむる之間、既に一論を造りて之を進覧せり。徴し先に達して顕れば、則ち災い後に来る。
去る正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥の刻、大地震。是れ併せながら此の瑞に非ず乎。
法華経に云く_如是相と。天台大師云く ̄蜘蛛下喜事来、錢鵲鳴行人来〔蜘蛛下りて喜ぶこと来り、錢鵲鳴いて行人来る〕。易に云く ̄吉凶於動生〔吉凶、動に於て生ず〕と。此等の本文、豈に替わるべけん乎。所詮、諸宗の帰依を止めて一乗妙経を信受せしむ之由、勘文を捧げ候。
日本亡国之根源は、浄土・真言・禅宗・律宗の邪法悪法より起これり。諸宗を召し合わせ、諸経の勝劣を分別せしめ給へ。
殊に貴殿は相模の守殿の同姓なり。根本滅するに於ては枝葉豈に栄えん乎。早く蒙古国を調伏し国土安穏ならしめたまへ。
法華を謗ずる者は三世諸仏の大怨敵也。天照大神・八幡大菩薩等、此の国を放ちたまふ故に、大蒙古国より牒状来る歟。自今已後各各生取りと成り、他国の奴と成るべし。
此の趣、方方へ之を驚かし、愚状を進らせしめ候也。恐恐謹言。
文永五年戊辰十月十一日 日 蓮花押
謹上 弥源太入道殿
念仏は無間地獄に堕ちること(7)
浄蓮房御書 建治元建治元年六月。五十四歳作。
細美帷一送り給候畢ぬ。善導和尚と申す人は漢土に臨?と申国の人也。幼少の時密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが、彼の僧は法華経と浄名経を尊重して、我も読誦し人をもすゝめしかば善導に此を教ゆ。善導此を習ひて師の如く行ぜし程に過去の宿習にや有けん。案じて云く「仏法には無量の行あり、機に随て皆利益あり。教いみじといへども機にあたらざれば虚きがごとし。されば我法華経を行ずるは我が機に叶はずばいかんが有べかるらん。教には依べからず」と思て一切経蔵に入り、両眼を閉て経をとる。観無量寿経を得たり。披見すれば此経に云く「為未来世為煩悩賊之所害者説清浄業」等云云。華厳経は二乗のため、法華経、涅槃経等は五乗にわたれどもたいし(大旨)は聖人のためなり。末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり。釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず。彼経には七種の衆生を列たり。第一は入水則没の一闡提人也。生死の水に入しより已来いまに出ず。譬へば大石を大海に投入たるがごとし。身重して浮ぶことを習はず、常に海底に有り。此を常没と名く。第二をば出已復没と申す。譬へば身に力有とも浮ぶことをならはざれば出で已て復入ぬ。此は第一の一闡提の人には有ねども一闡提のごとし。又常没と名く。第三は出已不没と申す、生死の河を出でてよりこのかた没することなし。此は舎利弗等の声聞なり。第四は出已即住。第五は観方。第六は浅処。第七到彼岸等也。第四、第五、第六、第七は縁覚、菩薩也。釈迦如来世に出させ給て一代五時の経経を説給ひて、第三已上の人人を救ひ給ひ畢ぬ。第一は捨させ給ぬ。法蔵比丘、阿弥陀仏此をうけとて四十八願を発して迎とらせ給ふ。十方三世の仏と釈迦仏とは第三已上の一切衆生を救ひ給ふ。あみだ(阿弥陀)仏は第一、第二を迎とらせ給ふ。而に今末代の凡夫は第一、第二に相当れり。而を浄影大師、天台大師等の佗宗の人師は此事を弁へずして、九品の浄土に聖人も生ると思へり。?が中の?也。一向末代の凡夫の中に上三品は遇大始て大乗に値へる凡夫。中三品は遇小始て小乗に値へる凡夫。下三品は遇悪、一生造悪、無間非法の荒凡夫。臨終の時始て上の七種の衆生を弁へたる智人に行きあいて、岸上の経経をうちすてて水に溺るゝの機を救はせ給ふ。観経の下品、下生の大悪業に南無阿弥陀仏を授たり。されば我一切経を見るに法華経等は末代の機には千中無一也。第一、第二の我等衆生は第三已上の機の為に説れて候。法華経等を末代に修行すれば身は苦んで益なしと申て、善導和尚は立所に法華経を抛すてて観経を行ぜしかば三昧発得して、阿弥陀仏に見参して重て此法門を渡し給ふ、四帖の疏是也。導の云く「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於て心偏に常没の衆生を愍念す。是を以て勧めて浄土に帰せしむ。亦水に溺るゝの人の如く急に須く偏に救ふべし。岸上の者何ぞ用て済ふことをなさん」と云云。又云く「深心と言へるは即ち是深信の心也。亦二種有り、一には決定して自身は現に是罪悪生死の凡夫なり。昿劫より已来常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」。又云く「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したまふこと疑ひ無く慮り無く、彼の願力に乗ずれば定んで往生を得ると深信す」云云。此の釈の心は上にかき顕して候。浄土宗の肝心と申は此也。我等末代の凡夫は涅槃経の第一第二也。さる時に釈迦仏の教には「無有出離之縁」。法蔵比丘の本願にては「定得往生と知るを三心の中の深心とは申す也」等云云。此又導和尚の私義には非ず。綽禅師と申せし人の涅槃経を二十四反かう(講)ぜしが、曇鸞法師の碑の文を見て立所に涅槃経を捨てて観経に遷て後、此法門を導には教て候也。鸞法師と申せし人は斉の代の人也。漢土にては時に独歩の人也。初には四論と涅槃経とをかうぜしが、菩提流支と申す三蔵に値ひて四論、涅槃を捨て観経に遷りて往生をとげし人也。三代が間伝へて候法門也。漢土、日本には八宗を習ふ智人正法すでに過て像法に入りしかば、かしこき人人は皆自宗を捨てて浄土念仏に遷りし事此也。日本国のいろはは天台山の恵心の往生要集此也。三論の永観が十因往生講式、此等皆此法門をうかがい得たる人人也。法然上人亦爾也云云。
日蓮云く、此義を存ずる人人等も但恒河の第一第二は一向浄土の機と云云。此此法門の肝要か。日蓮涅槃経の三十二、三十六を開き見るに、第一は誹謗正法の一闡提、常没大魚と名けたり。第二は又常没、其第二の人を出さば提婆達多、瞿伽利、善星等也。此は誹謗五逆の人人なり。詮する所第一、第二は謗法と五逆也。法蔵比丘の「設ひ我仏を得んに十方衆生至心に信楽して我国に生れんと欲し、乃至十念して若生ぜずんば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く」云云。此願の如きんば法蔵比丘は恒河の第一第二を捨はててこそ候ぬれ。導和尚の如くならば末代の凡夫阿弥陀仏の本願には千中無一也。法華経の結経たる普賢経には五逆と誹謗正法は一乗の機と定給ひたり。されば末代の凡夫の為には法華経は十即十生百即百生也。善導和尚が義に付て申す詮は私案にはあらず。阿弥陀仏は無上念王たりし時娑婆世界は已にすて給ぬ。釈迦如来は宝海梵志として此の忍土を取給畢ぬ。十方の浄土には誹謗正法と五逆と一闡提とをば迎べからずと、阿弥陀仏、十方の仏誓給ひき。宝海梵志の願に云く「即ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべし」云云。法華経に云く「唯我一人能為救護」等云云。唯我一人の経文は堅きやうに候へども釈迦如来の自義にはあらず。阿弥陀仏等の諸仏我と娑婆世界を捨しかば、教主釈尊唯我一人と誓てすでに娑婆世界に出給ぬる上はなにをか疑ひ候べき。鸞、綽、導、心、観、然等の六人の人人は智者也。日蓮は愚者也。非学生也。但上の六人は何の国の人ぞ、三界の外の人か六道の外の衆生歟。阿弥陀仏に値奉りて出家受戒して沙門となりたる僧歟。今の人人は将門、純友、清盛、義朝等には種性も及ばず威徳も足らず。心のかうさ(剛)は申ばかりなけれども朝敵となりぬれば、其人ならざる人人も将門か純友かと舌にうちからみ(?)て申ども彼の子孫等もとがめず。義朝なんど申は故右大将家の慈父也。子を敬ひまいらせば父をこそ敬ひまいらせ候べきに、いかなる人人も義朝、為朝なんど申すぞ。此則ち王法の重く逆臣の罪のむくい(報)也。上の六人又かくのごとし。釈迦如来世に出させ給て一代の聖教を説をかせ給ふ。五十年の説法を我と集て浅深勝劣、虚妄真実を定て四十余年は「未顕真実已今当第一」等と説せ給しかば、多宝、十方の仏、真実なりと加判せさせ給て定めをかれて候を、彼六人は未顕真実の観経に依て、皆是真実の法華経を第一第二の悪人の為にはあらずと申さば、今の人人は彼にすかされて数年を経たるゆへに、将門、純友等が所従等彼を用ひざりし百姓等を、或は切り或は打ちなんどせしがごとし。彼をおそれて従ひし男女は、官軍にせめられて彼人人と一時に水火のせめに値しなり。今日本国の一切の諸仏、菩薩一切経を信ずるやうなれども、心は彼の六人の心也。身は又彼の六人の家人也。彼の将門等は官軍の向はざりし時は、大将の所従知行の地且く安穏なりしやうなりしかども、違勅の責近づきしかば所は脩羅道となり、男子は厨者の魚をほふる(屠)がごとし。炎に入り水に入りしなり。今日本国又かくのごとし。彼六人が僻見に依て今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり、後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入べし。法華経の第五巻に末代の法華経の強敵を仏記し置給へるは「如六通羅漢」と云云。上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢の如し。然に浄蓮上人の親父は彼等の人人の御檀那也。仏教実ならば無間大城疑なし。又君の心を演るは臣、親の苦をやすむるは子也。目連尊者悲母の餓鬼の苦を救ひ、浄蔵、浄眼は慈父の邪見を翻し給き。父母の遺体は子の色心也。浄蓮上人の法華経を持ち給ふ御功徳は慈父の御力也。提婆達多は阿鼻地獄に堕しかども天王如来の記を送給き。彼は仏と提婆と同性一家なる故也。此は又慈父也、子息也。浄蓮上人の所持の法華経いかでか彼の故聖霊の功徳とせなざるべき。事多しと申せども止め畢ぬ。三反人によませてきこしめせ。恐恐謹言。
六月二十七日 日蓮花押
返す返す。するが(駿河)の人人みな同じ御心と申させ給ひ候へ。
細美帷一送り給候畢ぬ。善導和尚と申す人は漢土に臨?と申国の人也。幼少の時密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが、彼の僧は法華経と浄名経を尊重して、我も読誦し人をもすゝめしかば善導に此を教ゆ。善導此を習ひて師の如く行ぜし程に過去の宿習にや有けん。案じて云く「仏法には無量の行あり、機に随て皆利益あり。教いみじといへども機にあたらざれば虚きがごとし。されば我法華経を行ずるは我が機に叶はずばいかんが有べかるらん。教には依べからず」と思て一切経蔵に入り、両眼を閉て経をとる。観無量寿経を得たり。披見すれば此経に云く「為未来世為煩悩賊之所害者説清浄業」等云云。華厳経は二乗のため、法華経、涅槃経等は五乗にわたれどもたいし(大旨)は聖人のためなり。末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり。釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず。彼経には七種の衆生を列たり。第一は入水則没の一闡提人也。生死の水に入しより已来いまに出ず。譬へば大石を大海に投入たるがごとし。身重して浮ぶことを習はず、常に海底に有り。此を常没と名く。第二をば出已復没と申す。譬へば身に力有とも浮ぶことをならはざれば出で已て復入ぬ。此は第一の一闡提の人には有ねども一闡提のごとし。又常没と名く。第三は出已不没と申す、生死の河を出でてよりこのかた没することなし。此は舎利弗等の声聞なり。第四は出已即住。第五は観方。第六は浅処。第七到彼岸等也。第四、第五、第六、第七は縁覚、菩薩也。釈迦如来世に出させ給て一代五時の経経を説給ひて、第三已上の人人を救ひ給ひ畢ぬ。第一は捨させ給ぬ。法蔵比丘、阿弥陀仏此をうけとて四十八願を発して迎とらせ給ふ。十方三世の仏と釈迦仏とは第三已上の一切衆生を救ひ給ふ。あみだ(阿弥陀)仏は第一、第二を迎とらせ給ふ。而に今末代の凡夫は第一、第二に相当れり。而を浄影大師、天台大師等の佗宗の人師は此事を弁へずして、九品の浄土に聖人も生ると思へり。?が中の?也。一向末代の凡夫の中に上三品は遇大始て大乗に値へる凡夫。中三品は遇小始て小乗に値へる凡夫。下三品は遇悪、一生造悪、無間非法の荒凡夫。臨終の時始て上の七種の衆生を弁へたる智人に行きあいて、岸上の経経をうちすてて水に溺るゝの機を救はせ給ふ。観経の下品、下生の大悪業に南無阿弥陀仏を授たり。されば我一切経を見るに法華経等は末代の機には千中無一也。第一、第二の我等衆生は第三已上の機の為に説れて候。法華経等を末代に修行すれば身は苦んで益なしと申て、善導和尚は立所に法華経を抛すてて観経を行ぜしかば三昧発得して、阿弥陀仏に見参して重て此法門を渡し給ふ、四帖の疏是也。導の云く「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於て心偏に常没の衆生を愍念す。是を以て勧めて浄土に帰せしむ。亦水に溺るゝの人の如く急に須く偏に救ふべし。岸上の者何ぞ用て済ふことをなさん」と云云。又云く「深心と言へるは即ち是深信の心也。亦二種有り、一には決定して自身は現に是罪悪生死の凡夫なり。昿劫より已来常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」。又云く「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したまふこと疑ひ無く慮り無く、彼の願力に乗ずれば定んで往生を得ると深信す」云云。此の釈の心は上にかき顕して候。浄土宗の肝心と申は此也。我等末代の凡夫は涅槃経の第一第二也。さる時に釈迦仏の教には「無有出離之縁」。法蔵比丘の本願にては「定得往生と知るを三心の中の深心とは申す也」等云云。此又導和尚の私義には非ず。綽禅師と申せし人の涅槃経を二十四反かう(講)ぜしが、曇鸞法師の碑の文を見て立所に涅槃経を捨てて観経に遷て後、此法門を導には教て候也。鸞法師と申せし人は斉の代の人也。漢土にては時に独歩の人也。初には四論と涅槃経とをかうぜしが、菩提流支と申す三蔵に値ひて四論、涅槃を捨て観経に遷りて往生をとげし人也。三代が間伝へて候法門也。漢土、日本には八宗を習ふ智人正法すでに過て像法に入りしかば、かしこき人人は皆自宗を捨てて浄土念仏に遷りし事此也。日本国のいろはは天台山の恵心の往生要集此也。三論の永観が十因往生講式、此等皆此法門をうかがい得たる人人也。法然上人亦爾也云云。
日蓮云く、此義を存ずる人人等も但恒河の第一第二は一向浄土の機と云云。此此法門の肝要か。日蓮涅槃経の三十二、三十六を開き見るに、第一は誹謗正法の一闡提、常没大魚と名けたり。第二は又常没、其第二の人を出さば提婆達多、瞿伽利、善星等也。此は誹謗五逆の人人なり。詮する所第一、第二は謗法と五逆也。法蔵比丘の「設ひ我仏を得んに十方衆生至心に信楽して我国に生れんと欲し、乃至十念して若生ぜずんば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く」云云。此願の如きんば法蔵比丘は恒河の第一第二を捨はててこそ候ぬれ。導和尚の如くならば末代の凡夫阿弥陀仏の本願には千中無一也。法華経の結経たる普賢経には五逆と誹謗正法は一乗の機と定給ひたり。されば末代の凡夫の為には法華経は十即十生百即百生也。善導和尚が義に付て申す詮は私案にはあらず。阿弥陀仏は無上念王たりし時娑婆世界は已にすて給ぬ。釈迦如来は宝海梵志として此の忍土を取給畢ぬ。十方の浄土には誹謗正法と五逆と一闡提とをば迎べからずと、阿弥陀仏、十方の仏誓給ひき。宝海梵志の願に云く「即ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべし」云云。法華経に云く「唯我一人能為救護」等云云。唯我一人の経文は堅きやうに候へども釈迦如来の自義にはあらず。阿弥陀仏等の諸仏我と娑婆世界を捨しかば、教主釈尊唯我一人と誓てすでに娑婆世界に出給ぬる上はなにをか疑ひ候べき。鸞、綽、導、心、観、然等の六人の人人は智者也。日蓮は愚者也。非学生也。但上の六人は何の国の人ぞ、三界の外の人か六道の外の衆生歟。阿弥陀仏に値奉りて出家受戒して沙門となりたる僧歟。今の人人は将門、純友、清盛、義朝等には種性も及ばず威徳も足らず。心のかうさ(剛)は申ばかりなけれども朝敵となりぬれば、其人ならざる人人も将門か純友かと舌にうちからみ(?)て申ども彼の子孫等もとがめず。義朝なんど申は故右大将家の慈父也。子を敬ひまいらせば父をこそ敬ひまいらせ候べきに、いかなる人人も義朝、為朝なんど申すぞ。此則ち王法の重く逆臣の罪のむくい(報)也。上の六人又かくのごとし。釈迦如来世に出させ給て一代の聖教を説をかせ給ふ。五十年の説法を我と集て浅深勝劣、虚妄真実を定て四十余年は「未顕真実已今当第一」等と説せ給しかば、多宝、十方の仏、真実なりと加判せさせ給て定めをかれて候を、彼六人は未顕真実の観経に依て、皆是真実の法華経を第一第二の悪人の為にはあらずと申さば、今の人人は彼にすかされて数年を経たるゆへに、将門、純友等が所従等彼を用ひざりし百姓等を、或は切り或は打ちなんどせしがごとし。彼をおそれて従ひし男女は、官軍にせめられて彼人人と一時に水火のせめに値しなり。今日本国の一切の諸仏、菩薩一切経を信ずるやうなれども、心は彼の六人の心也。身は又彼の六人の家人也。彼の将門等は官軍の向はざりし時は、大将の所従知行の地且く安穏なりしやうなりしかども、違勅の責近づきしかば所は脩羅道となり、男子は厨者の魚をほふる(屠)がごとし。炎に入り水に入りしなり。今日本国又かくのごとし。彼六人が僻見に依て今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり、後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入べし。法華経の第五巻に末代の法華経の強敵を仏記し置給へるは「如六通羅漢」と云云。上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢の如し。然に浄蓮上人の親父は彼等の人人の御檀那也。仏教実ならば無間大城疑なし。又君の心を演るは臣、親の苦をやすむるは子也。目連尊者悲母の餓鬼の苦を救ひ、浄蔵、浄眼は慈父の邪見を翻し給き。父母の遺体は子の色心也。浄蓮上人の法華経を持ち給ふ御功徳は慈父の御力也。提婆達多は阿鼻地獄に堕しかども天王如来の記を送給き。彼は仏と提婆と同性一家なる故也。此は又慈父也、子息也。浄蓮上人の所持の法華経いかでか彼の故聖霊の功徳とせなざるべき。事多しと申せども止め畢ぬ。三反人によませてきこしめせ。恐恐謹言。
六月二十七日 日蓮花押
返す返す。するが(駿河)の人人みな同じ御心と申させ給ひ候へ。
御義口伝名言集
本門の事常住無作の三身に對して迹門を無常と云也。
今日蓮等之弘通の南無妙法蓮華經は體也心也。二十八品は用也。二十八品は助行也。題目は正行也。
されは下至阿鼻地獄の文は佛光りを放て提婆を爲令成佛也と日蓮奉推知也。
惡導師とは法然。弘法。慈覺。智證等也。善導師とは天台。傳教等是也。末法に入ては今日蓮等之類は善の導師也。
佛道者法華經別名也。
今日蓮か唱る處の南無妙法蓮華經は末法一萬年の衆生まて成佛せしむる也。
正直とは煩惱即菩提生死即涅槃也。さて一道とは南無妙法蓮華經也。今末法に正直の一道を弘る者は非日蓮等之類乎。
譬喩品 御義口傳云。此品の大白牛車とは無明癡惑。本是法性の明闇一體の義也。
身意泰然とは煩惱即菩提生死即涅槃也。身とは生死即涅槃也。意とは煩惱即菩提也。
此信の字元品無明を所切利劍也。其故は信は無疑曰信とて。疑惑を斷破する利劍也。解とは智慧の異名也。
信の外に解なく。解の外に信なし。信の一字を以て妙覺の種子と定たり。
今日蓮等之類の心は無上とは南無妙法蓮華經は無上の中の極無上也。
釋尊の大恩を報せんと思はは法華經を可受持者也。
權教の心は毒草也。法華に値すれは三毒の煩惱の心地を三身果滿の種也と開覺するを藥とは云也。
我等か色心の二法を無常と説くは權教也。常住と説くは法華經也。
本迹二門は酒也。南無妙法蓮華經は醒たり。酒と醒と不相離也。酒は無明也。醒は法性也。法は酒也。妙は醒たり妙法と唱れは無明法性體一也。
身とは生死即涅槃也。心とは煩惱即菩提也。
〔如來所遣行如來事〕事 御義口傳云。法華行者は如來の使に來れり。如來とは釋迦如來。事とは南無妙法蓮華經也。
〔若人欲加惡刀杖及瓦石則遣變化人爲之作衞護〕事 御義口傳云。變化人とは龍口の守護八幡大菩薩也。
日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者は從地涌出の菩薩也。莫求外云云。
涌出の一品は悉本化の菩薩の事也。本化の菩薩の所作は南無妙法蓮華經也。此を唱と云也。導とは日本國の一切衆生を靈山淨土へ引導する事也。末法導師は本化に限ると云を師と云也。
此題目は必す地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非す。
元品の無明を對治する利劍は信の一字也。
生死を見て厭離するを迷と云ひ始覺と云也。
妄とは權教妄語の經教也。見者邪見也。法華最第一の一を第三と見るか邪見也。
毒藥とは權教方便也。
〔或失本心或不失者〕事御義口傳云。失本心とは謗法也。本心とは下種也。不失とは法華經の行者也。失とは本と有る物を失ふ事也。今日蓮等之類奉唱南無妙法蓮華經本心を不失也。
〔此大良藥色香美味皆悉具足〕と説れたり。皆悉の二字は萬行萬善諸波羅密を具足したる大良藥たる南無妙法蓮華經也。
今日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱大良藥の本意也。
毒氣深入とは權教謗法の執情深く入たる者也。
〔是好良藥今留在此汝可取服勿憂不差〕事御義口傳云。<中略>今留とは末法也。此とは一閻浮提の中にも日本國也。汝とは末法の一切衆生也。
一念信解の信の一字は一切の智慧を受得する處の因種也。
雖然信を以て成佛を決定する也。
身淨とは法師功徳品に云若持法華經其身甚清淨の文也。心淨とは提婆品に云淨心信敬と。淨とは法華經の信心也。不淨とは謗法也。
不輕菩薩を輕賤するか故に三寶を不拜見事二百億劫。墮地獄大苦惱を受と云へり。今入末法日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者を輕賤せん事彼に過たり。彼は千劫。此は無數劫也。
妙法蓮華經の五字は三世の諸佛共に許して滅後末法の者の爲め也。
不輕(菩薩)は善人。上慢は惡人と善惡を立るは無明也。此に立て禮拜の行を成す時、善惡不二邪正一如の南無妙法蓮華經と禮拜する也。
〔斯人行世間能滅衆生闇〕事御義口傳云。斯人とは上行菩薩也。世間とは大日本國也。衆生闇とは謗法の大重病也。能滅の體とは南無妙法蓮華經也。
題目の五字は三世の諸佛の祕密の密語也。
今法華經の行者は三毒即三徳と轉する故に三寶荒神に非る也。荒神とは法華不信の人也。法華經の行者の前にては守護神也。
妙樂釋云。子弘父法有世界益 矣 子とは地涌の菩薩也。父とは釋尊也。世界とは日本國也。益とは成佛也。法とは南無妙法蓮華經也。今又以如此。父とは日蓮也。子とは日蓮か弟子檀那也。世界とは日本國也。益とは受持成佛也。法とは上行所傳の題目也。
此妙法等の五字を末法白法隱沒の時上行菩薩有御出世。五種修行の中には四種を略して但受持の一行にして成佛す可しと經文に親たり在之。
法華の行者は欲は欲のまま。嗔恚は嗔恚のまま。愚癡は愚癡のまま。普賢菩薩の行法也と可心得也。
末法の正法とは南無妙法蓮華經也。此五字は一切衆生をたほらかささる祕法也。正法を天下一同に信仰せは此國安穩ならん。去れは玄義云。若依此法。天下太平矣。 此法とは法華經也。法華經を信仰せは天下安全ならん事不可有疑也。
今日蓮等之弘通の南無妙法蓮華經は體也心也。二十八品は用也。二十八品は助行也。題目は正行也。
されは下至阿鼻地獄の文は佛光りを放て提婆を爲令成佛也と日蓮奉推知也。
惡導師とは法然。弘法。慈覺。智證等也。善導師とは天台。傳教等是也。末法に入ては今日蓮等之類は善の導師也。
佛道者法華經別名也。
今日蓮か唱る處の南無妙法蓮華經は末法一萬年の衆生まて成佛せしむる也。
正直とは煩惱即菩提生死即涅槃也。さて一道とは南無妙法蓮華經也。今末法に正直の一道を弘る者は非日蓮等之類乎。
譬喩品 御義口傳云。此品の大白牛車とは無明癡惑。本是法性の明闇一體の義也。
身意泰然とは煩惱即菩提生死即涅槃也。身とは生死即涅槃也。意とは煩惱即菩提也。
此信の字元品無明を所切利劍也。其故は信は無疑曰信とて。疑惑を斷破する利劍也。解とは智慧の異名也。
信の外に解なく。解の外に信なし。信の一字を以て妙覺の種子と定たり。
今日蓮等之類の心は無上とは南無妙法蓮華經は無上の中の極無上也。
釋尊の大恩を報せんと思はは法華經を可受持者也。
權教の心は毒草也。法華に値すれは三毒の煩惱の心地を三身果滿の種也と開覺するを藥とは云也。
我等か色心の二法を無常と説くは權教也。常住と説くは法華經也。
本迹二門は酒也。南無妙法蓮華經は醒たり。酒と醒と不相離也。酒は無明也。醒は法性也。法は酒也。妙は醒たり妙法と唱れは無明法性體一也。
身とは生死即涅槃也。心とは煩惱即菩提也。
〔如來所遣行如來事〕事 御義口傳云。法華行者は如來の使に來れり。如來とは釋迦如來。事とは南無妙法蓮華經也。
〔若人欲加惡刀杖及瓦石則遣變化人爲之作衞護〕事 御義口傳云。變化人とは龍口の守護八幡大菩薩也。
日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者は從地涌出の菩薩也。莫求外云云。
涌出の一品は悉本化の菩薩の事也。本化の菩薩の所作は南無妙法蓮華經也。此を唱と云也。導とは日本國の一切衆生を靈山淨土へ引導する事也。末法導師は本化に限ると云を師と云也。
此題目は必す地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非す。
元品の無明を對治する利劍は信の一字也。
生死を見て厭離するを迷と云ひ始覺と云也。
妄とは權教妄語の經教也。見者邪見也。法華最第一の一を第三と見るか邪見也。
毒藥とは權教方便也。
〔或失本心或不失者〕事御義口傳云。失本心とは謗法也。本心とは下種也。不失とは法華經の行者也。失とは本と有る物を失ふ事也。今日蓮等之類奉唱南無妙法蓮華經本心を不失也。
〔此大良藥色香美味皆悉具足〕と説れたり。皆悉の二字は萬行萬善諸波羅密を具足したる大良藥たる南無妙法蓮華經也。
今日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱大良藥の本意也。
毒氣深入とは權教謗法の執情深く入たる者也。
〔是好良藥今留在此汝可取服勿憂不差〕事御義口傳云。<中略>今留とは末法也。此とは一閻浮提の中にも日本國也。汝とは末法の一切衆生也。
一念信解の信の一字は一切の智慧を受得する處の因種也。
雖然信を以て成佛を決定する也。
身淨とは法師功徳品に云若持法華經其身甚清淨の文也。心淨とは提婆品に云淨心信敬と。淨とは法華經の信心也。不淨とは謗法也。
不輕菩薩を輕賤するか故に三寶を不拜見事二百億劫。墮地獄大苦惱を受と云へり。今入末法日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者を輕賤せん事彼に過たり。彼は千劫。此は無數劫也。
妙法蓮華經の五字は三世の諸佛共に許して滅後末法の者の爲め也。
不輕(菩薩)は善人。上慢は惡人と善惡を立るは無明也。此に立て禮拜の行を成す時、善惡不二邪正一如の南無妙法蓮華經と禮拜する也。
〔斯人行世間能滅衆生闇〕事御義口傳云。斯人とは上行菩薩也。世間とは大日本國也。衆生闇とは謗法の大重病也。能滅の體とは南無妙法蓮華經也。
題目の五字は三世の諸佛の祕密の密語也。
今法華經の行者は三毒即三徳と轉する故に三寶荒神に非る也。荒神とは法華不信の人也。法華經の行者の前にては守護神也。
妙樂釋云。子弘父法有世界益 矣 子とは地涌の菩薩也。父とは釋尊也。世界とは日本國也。益とは成佛也。法とは南無妙法蓮華經也。今又以如此。父とは日蓮也。子とは日蓮か弟子檀那也。世界とは日本國也。益とは受持成佛也。法とは上行所傳の題目也。
此妙法等の五字を末法白法隱沒の時上行菩薩有御出世。五種修行の中には四種を略して但受持の一行にして成佛す可しと經文に親たり在之。
法華の行者は欲は欲のまま。嗔恚は嗔恚のまま。愚癡は愚癡のまま。普賢菩薩の行法也と可心得也。
末法の正法とは南無妙法蓮華經也。此五字は一切衆生をたほらかささる祕法也。正法を天下一同に信仰せは此國安穩ならん。去れは玄義云。若依此法。天下太平矣。 此法とは法華經也。法華經を信仰せは天下安全ならん事不可有疑也。
御講聞書目録名言集
今末法は南法妙法蓮華經の七字を弘めて利生得益あるへき時也。されは此題目には餘事を交へは僻事なるへし。
所詮法華經の意は煩惱即菩提。生死即涅槃。
今日本國の一切衆生法華經の法音を聞と云へとも未能信。豈に疑網皆已除ならんや不除者入阿鼻獄は無疑也。疑の字は元品の無明の事也。此疑を離るるを信とは云なり。
所詮佛子とは法華經の行者也。
一。等一大車事仰云。此大車とは直至道場の大白牛車にして其疾如風也。所詮南無妙法蓮華經を等一大車と云也。
所詮日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者は住處即寂光土と可心得也。
法華經の意は一華一香の小善も法華經に歸すれは大善となる。縱ひ法界に充滿せる大善なりとも。此經に値はすんは善根とはならす。
淨名經の心ならは我等衆生の一日一夜に作す所の罪業八億四千の念慮を起す餘經の意は皆な三途の業因と説なり。法華經の意は此業因即佛そと明せり。されは煩惱を以て如來の種子とすと云は此義也。
末法當今に於て惡知識と云は法然 弘法 慈覺 智證等の權人謗法の人人なり。善智識と申は日蓮等之類の事也。
惡友は謗法の人人なり。善友は日蓮等之類也
法華より外の一切衆生はいかに高貴の人也とも餓鬼道の衆生也。
一。貧人見此珠其心大歡喜事仰云。此珠とは一乘無價の寶珠也。貧人とは下根の聲聞也。總しては一切衆生也。所詮末法に入て此珠とは南無妙法蓮華經也。
所詮妙と云は不死の藥也。
さて末法に入て善人とは日蓮等之類也。善心とは法華弘通の信心也。所謂南無妙法蓮華經是也
所詮末法に入ては佛を見るとは壽量品の釋尊。法を聞とは南無妙法蓮華經也。
所詮末法に入ては題目の五字即是也。此又妙法蓮華經也。此五字は萬法能生の父母也。生養成榮も亦復如是。仍釋には以法爲本と釋せり。三世十方の諸佛は妙法蓮華經を以て父母とし給へり。此故に四聖を供養するよりも法華經を持は勝れたり。
權教無得道法華得道と教るを下種とは云也。
經云。惡世末法時能持是經者 文 此經者題目の五字也。能の一字に留心可案之 云云 末代惡世日本國の一切衆生持てと云經文也
權教悉く瓦礫の旅國也。あやまりて本國と思て都と思ふ事迷の故也。
無明即魔王魔王即無明也。其身の身者日本國の謗法の一切衆生也。入ると居とは同事也。此惡鬼入る人は阿鼻に入る。
祕法と者南無妙法蓮華經是也。
上行菩薩等を除ては總して餘の菩薩をは悉く止の一字を以て成敗せり。
阿彌陀。藥師。大日等悉く釋尊の一月より萬水に浮ふ處の萬影なり。
今末法の時は所弘の法は法華經本門の事の一念三千の南無妙法蓮華經也。能弘の導師は本化地涌の大菩薩にてましますへし。
所詮法華經の意は煩惱即菩提。生死即涅槃。
今日本國の一切衆生法華經の法音を聞と云へとも未能信。豈に疑網皆已除ならんや不除者入阿鼻獄は無疑也。疑の字は元品の無明の事也。此疑を離るるを信とは云なり。
所詮佛子とは法華經の行者也。
一。等一大車事仰云。此大車とは直至道場の大白牛車にして其疾如風也。所詮南無妙法蓮華經を等一大車と云也。
所詮日蓮等之類南無妙法蓮華經と奉唱者は住處即寂光土と可心得也。
法華經の意は一華一香の小善も法華經に歸すれは大善となる。縱ひ法界に充滿せる大善なりとも。此經に値はすんは善根とはならす。
淨名經の心ならは我等衆生の一日一夜に作す所の罪業八億四千の念慮を起す餘經の意は皆な三途の業因と説なり。法華經の意は此業因即佛そと明せり。されは煩惱を以て如來の種子とすと云は此義也。
末法當今に於て惡知識と云は法然 弘法 慈覺 智證等の權人謗法の人人なり。善智識と申は日蓮等之類の事也。
惡友は謗法の人人なり。善友は日蓮等之類也
法華より外の一切衆生はいかに高貴の人也とも餓鬼道の衆生也。
一。貧人見此珠其心大歡喜事仰云。此珠とは一乘無價の寶珠也。貧人とは下根の聲聞也。總しては一切衆生也。所詮末法に入て此珠とは南無妙法蓮華經也。
所詮妙と云は不死の藥也。
さて末法に入て善人とは日蓮等之類也。善心とは法華弘通の信心也。所謂南無妙法蓮華經是也
所詮末法に入ては佛を見るとは壽量品の釋尊。法を聞とは南無妙法蓮華經也。
所詮末法に入ては題目の五字即是也。此又妙法蓮華經也。此五字は萬法能生の父母也。生養成榮も亦復如是。仍釋には以法爲本と釋せり。三世十方の諸佛は妙法蓮華經を以て父母とし給へり。此故に四聖を供養するよりも法華經を持は勝れたり。
權教無得道法華得道と教るを下種とは云也。
經云。惡世末法時能持是經者 文 此經者題目の五字也。能の一字に留心可案之 云云 末代惡世日本國の一切衆生持てと云經文也
權教悉く瓦礫の旅國也。あやまりて本國と思て都と思ふ事迷の故也。
無明即魔王魔王即無明也。其身の身者日本國の謗法の一切衆生也。入ると居とは同事也。此惡鬼入る人は阿鼻に入る。
祕法と者南無妙法蓮華經是也。
上行菩薩等を除ては總して餘の菩薩をは悉く止の一字を以て成敗せり。
阿彌陀。藥師。大日等悉く釋尊の一月より萬水に浮ふ處の萬影なり。
今末法の時は所弘の法は法華經本門の事の一念三千の南無妙法蓮華經也。能弘の導師は本化地涌の大菩薩にてましますへし。
餓鬼・畜生道とは
餓鬼道と申すは其の住処に二あり。一には地の下五百由旬の閻魔王宮にあり。二には人天の中にもまじつて其の相種種也。或は腹は大海の如く、のんどは鉄の如くなれば、明けても暮れても食すともあくべからず。まして五百生七百生なんど飲食の名をだにもきかず。或は己れが頭をくだきて脳を食するもあり。或は一夜に五人の子を生みて夜の内に食するもあり。或は一夜に五人の子を生みて夜の内に食するもあり。万菓林に結べり。取らんとすれば悉く剣の林となり、万水海に入る、飲まんとすれば猛火となる。如何にしてか此の苦をまぬがるべき。
次に畜生道と申すは其の住所に二あり。根本は大海に住す。枝末は人天に雑はれり。短き物は長き物にのまれ、小さき物は大なる物に食はれ、互いに相食んでしばらくもやすむ事なし。或は鳥獣と生れ、或は牛馬と成りて重き物をおほせられ、西へ行かんと思へば東へやられ、東へ行かんとすれば西へやらる。山野に多くある水草をのみ思ひて余は知るところなし。
『主師親御書』
總じて餓鬼にをいて三十六種類相わかれて候。其中に【護言+金】身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申すに、此世にて夜討強盗などをなして候によりて候。食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候。是も修因是の上し。又人の食をうばふに依り候。食水餓鬼と云ふは父母孝養のために手向る水などを呑餓鬼なり。有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがき(餓鬼)なり。是は今生にて財ををしみ、食をかくす故也。無財がきと申すは生れてより以来、飲食の名をもきかざるがきなり。食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり。
当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭と云ふ鬼となり候。又在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属充満して我心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給ふらん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月、地の地神いかりいきどをり給ひて、不孝の者とおもはせ給ふらん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿〈にんづろく〉とも申すべき也。
『四条金吾殿御書』
次に畜生道と申すは其の住所に二あり。根本は大海に住す。枝末は人天に雑はれり。短き物は長き物にのまれ、小さき物は大なる物に食はれ、互いに相食んでしばらくもやすむ事なし。或は鳥獣と生れ、或は牛馬と成りて重き物をおほせられ、西へ行かんと思へば東へやられ、東へ行かんとすれば西へやらる。山野に多くある水草をのみ思ひて余は知るところなし。
『主師親御書』
總じて餓鬼にをいて三十六種類相わかれて候。其中に【護言+金】身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申すに、此世にて夜討強盗などをなして候によりて候。食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候。是も修因是の上し。又人の食をうばふに依り候。食水餓鬼と云ふは父母孝養のために手向る水などを呑餓鬼なり。有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがき(餓鬼)なり。是は今生にて財ををしみ、食をかくす故也。無財がきと申すは生れてより以来、飲食の名をもきかざるがきなり。食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり。
当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭と云ふ鬼となり候。又在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属充満して我心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給ふらん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月、地の地神いかりいきどをり給ひて、不孝の者とおもはせ給ふらん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿〈にんづろく〉とも申すべき也。
『四条金吾殿御書』
天台大師とは
大夫志殿御返事 弘安三年(1280)
小袖一・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂竝びに腰は十貫、已上十七貫文に当れり。
夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕して云く 止観の第一に序分を引いて云く ̄安禅而化。位居五品。故経云 施四百万億那由他国人一一皆与七宝 又化令得六通不如初随喜人百千万倍。況五品耶。文云 即如来使。如来所遣行如来事〔安禅として化す。位五品に居したまへり。故に経に云く 四百万億那由他の国の人に施すに一一に皆七宝を与へ、又化して六通を得せしむるすら初随喜の人にしかざること百千万倍せり。況んや五品をや。文に云く 即ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ず〕等云云。伝教大師、天台大師を釈して云く ̄今吾天台大師説法華経釈法華経特秀於群独歩於唐。〔今吾天台大師法華経を説き、法華経を釈すること、群に特秀し、唐に独歩す〕。又云く ̄明知如来使也。讃者積福於安明、謗者罪開於無間〔明に知んぬ如来の使いなり。讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕云云。
如来は且く之を置く。滅後の一日より正像末二千二百余年が間仏の御使二十四人なり。所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は・多第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は・羅・第十四は龍樹・第十五は提婆・第十六は羅・・第十七は僧・難提・第十八は僧伽耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者。此の二十四人は金口の記す所の付法蔵経に載す。但し小乗・権大乗の御使也。いまだ法華経の御使にはあらず。
三論宗の云く 道朗・吉蔵は仏の使也。法相宗の云く 玄奘・慈恩は仏の使也。華厳宗の云く 法蔵・澄観は仏の使也。真言宗の云く 善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使也。日蓮之を勘へて云く 全く仏の使に非ず。全く大小乗の使いにも非ず。之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん。
問ふ 汝の自義歟。
答て云く 設ひ自義たりと雖も有文有義ならば何の科あらん。然りと雖も釈有り。伝教大師の云く ̄・捨福慕罪者耶〔・そ福を捨てて罪を慕ふ者あらんや〕と云云。捨福とは天台大師を捨つる人也。慕罪とは上に挙ぐる法相・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨てて一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし。
三千大千世界と申すは東西南北一須弥山六欲梵天を一四天下となづく。百億の須弥山四州等を小千と云ふ。小千の千を中千と云ふ。中千の千を大千と云ふ。此の三千大千世界を一つにして、四百万億那由他国の六道の衆生を八十年やしなひ、法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。天台大師此れに勝れたる事五倍也。かゝる人を供養すれば福を須弥山につみ給ふ也と伝教大師ことはらせ給ひて候。此の由を女房には申させ給へ。恐々謹言。
小袖一・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂竝びに腰は十貫、已上十七貫文に当れり。
夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕して云く 止観の第一に序分を引いて云く ̄安禅而化。位居五品。故経云 施四百万億那由他国人一一皆与七宝 又化令得六通不如初随喜人百千万倍。況五品耶。文云 即如来使。如来所遣行如来事〔安禅として化す。位五品に居したまへり。故に経に云く 四百万億那由他の国の人に施すに一一に皆七宝を与へ、又化して六通を得せしむるすら初随喜の人にしかざること百千万倍せり。況んや五品をや。文に云く 即ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ず〕等云云。伝教大師、天台大師を釈して云く ̄今吾天台大師説法華経釈法華経特秀於群独歩於唐。〔今吾天台大師法華経を説き、法華経を釈すること、群に特秀し、唐に独歩す〕。又云く ̄明知如来使也。讃者積福於安明、謗者罪開於無間〔明に知んぬ如来の使いなり。讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕云云。
如来は且く之を置く。滅後の一日より正像末二千二百余年が間仏の御使二十四人なり。所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は・多第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は・羅・第十四は龍樹・第十五は提婆・第十六は羅・・第十七は僧・難提・第十八は僧伽耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者。此の二十四人は金口の記す所の付法蔵経に載す。但し小乗・権大乗の御使也。いまだ法華経の御使にはあらず。
三論宗の云く 道朗・吉蔵は仏の使也。法相宗の云く 玄奘・慈恩は仏の使也。華厳宗の云く 法蔵・澄観は仏の使也。真言宗の云く 善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使也。日蓮之を勘へて云く 全く仏の使に非ず。全く大小乗の使いにも非ず。之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん。
問ふ 汝の自義歟。
答て云く 設ひ自義たりと雖も有文有義ならば何の科あらん。然りと雖も釈有り。伝教大師の云く ̄・捨福慕罪者耶〔・そ福を捨てて罪を慕ふ者あらんや〕と云云。捨福とは天台大師を捨つる人也。慕罪とは上に挙ぐる法相・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨てて一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし。
三千大千世界と申すは東西南北一須弥山六欲梵天を一四天下となづく。百億の須弥山四州等を小千と云ふ。小千の千を中千と云ふ。中千の千を大千と云ふ。此の三千大千世界を一つにして、四百万億那由他国の六道の衆生を八十年やしなひ、法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。天台大師此れに勝れたる事五倍也。かゝる人を供養すれば福を須弥山につみ給ふ也と伝教大師ことはらせ給ひて候。此の由を女房には申させ給へ。恐々謹言。
念仏は無間地獄に堕ちること(6)
法華浄土問答鈔 文永九(1272.正・17)
<中略>
弁成の立つ。我が身叶ひ難きが故に且く聖道の行の捨閉閣抛し浄土に帰し、浄土の往生して法華を聞いて無生を悟るを得る也。
日蓮難じて云く 我が身叶ひ難ければ穢土に於て法華経等・教主釈尊等を捨閉閣抛し、浄土に至りて之を悟るべし等云云。何れの経文に依て此の如き義を立てるや。又天台宗の報土は分真即・究竟即・浄土宗の報土は名字即乃至究竟即等とは、何れの経論釈に出でたるや。又穢土に於ては法華経等・教主釈尊等を捨閉閣抛し、浄土に至りて法華経を悟るべしとは何れの経文に出でたるや。
弁成の立つ。余の法華等の諸行等を捨閉閣抛して念仏を用ゆる文は観経に云く ̄仏告阿難汝好持是語。持是語者即是持無量寿仏名〔仏、阿難に告げたまはく、汝よくこの語を持て。この語を持てとは、即ちこれ無量寿仏の名を持てとなり〕。浄土に往生して法華を聞くと云ふ事は文に云く_観世音・大勢至 以大悲音声為其広説諸法実相除滅罪法。聞已歓喜応時即発菩提之心〔観世音・大勢至、大悲の音声を以て其の為に広く諸法実相除滅罪の法を説く。聞き已りて歓喜し、時に応じて即ち菩提之心を発す〕と。[文]。余は繁き故に且く之を置く。
又日蓮難じて云く 観無量寿経は如来成道四十余年之内也。法華経は後八箇年之説也。如何が已説の観経に兼ねて未説の法華経の名を載せて捨閉閣抛之可説と為すべきや。随て仏告阿難等之文に至りては、只弥陀念仏を勧進する文也。未だ法華経を捨閉閣抛することを聞かず。何に況んや無量義経に法華経を説んが為に、先づ四十余年の已説の経々を未顕真実と定め了んぬ。豈に未顕真実の観経之内に已顕真実の法華経を挙げて、捨乃至抛之と為すべきや。又云く_久黙斯要 不務速説〔久しく斯の要を黙して 務いで速かに説かず〕等云云。既に教主釈尊、四十余年之間法華の名字を説かず。何ぞ已説の念仏に対して此の法華経を抛たんや。次に下品下生諸法実相除滅罪法等云云。夫れ法華経已前の実相其の数一に非ず。先づ外道之内の長爪の実相、内道之内の小乗乃至爾前の四教、皆所詮之理は実相也。何ぞ必ずしも已説の観経に載する所の実相のみ法華経に於て同じと意得らるべきや。今度慥かなる証文を出だして法然上人の無間之苦を救はるべきか。
又弁成之立つ。観経は已説の経也と雖も、未来を面とする故に未来の衆生は未来に所有の経巻之を読誦して浄土に往生すべし。既に法華等の諸経未来流布の故に之を読誦して往生すべきか。其の法華を捨閉閣抛し、観経の持無量寿仏の文に依て法然是の如く行じ給ふか。観経の持無量寿仏の文の上に諸善を説き、一向に無量寿仏を勧持せる故に申し合わせ候。実相に於ても多く有りと云ふ難。彼は浄土の故に此の難来るべからず。法然上人、聖道行は機堪へ難き故に未来流布の法華を捨閉閣抛す。故に是の慈悲の至進なれば此の慈悲を以て浄土に往生し、全く地獄に堕すべからざるか。
日蓮難じて云く 観経を已説の経也と云云。已説に於ては承伏か。観経之時未だ法華経を説かずと雖も未来を鑒みて捨閉閣抛すべしと法然上人は意得給ふか云云。仏未来を鑒みて已説之経に未来の経を載せて之を制止すと云はば、已説の小乗経に未説の大乗経を載せて之を制止すと為すべきか。又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て法華の名を載せざる由、仏之を説きたまふや。法然上人慈悲之事。慈悲之故に法華経と教主釈尊とを抛つ也と云ふは、所詮上に出だす所の証文は未だ分明ならず。慥かなる証文を出だして、法然上人の極苦を救はるべきか。上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ。豈に法華を捨つるに非ず等云云。観無量寿経の上の六品之諸行は法華已前の諸行也。設ひ下の三品の念仏に対して上の六品の諸行之を抛つとも、但法華経は諸行に入らず。何ぞ之を閣かんや。又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と、共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給ふ也。日蓮管見を以て一代聖教竝びに法華経之文を勘ふるに 未だ之を見ず、法華経之名を挙げて、或は之を抛て、或は其の文を閉じる等と云ふ事を。若し爾らば法然上人の憑む所の弥陀本願之誓文竝びに法華経之入阿鼻獄の釈尊の誡文、如何ぞ之を免るべけんや。法然上人無間獄に堕せば所化の弟子竝びに諸檀那等、共に阿鼻大城に堕ち了んぬか。今度分明なる証文を出だして法然上人之阿鼻之炎を消さるべし云云。
文永九年[太歳壬申正月十七日 日 蓮 花押
弁成花押
<中略>
弁成の立つ。我が身叶ひ難きが故に且く聖道の行の捨閉閣抛し浄土に帰し、浄土の往生して法華を聞いて無生を悟るを得る也。
日蓮難じて云く 我が身叶ひ難ければ穢土に於て法華経等・教主釈尊等を捨閉閣抛し、浄土に至りて之を悟るべし等云云。何れの経文に依て此の如き義を立てるや。又天台宗の報土は分真即・究竟即・浄土宗の報土は名字即乃至究竟即等とは、何れの経論釈に出でたるや。又穢土に於ては法華経等・教主釈尊等を捨閉閣抛し、浄土に至りて法華経を悟るべしとは何れの経文に出でたるや。
弁成の立つ。余の法華等の諸行等を捨閉閣抛して念仏を用ゆる文は観経に云く ̄仏告阿難汝好持是語。持是語者即是持無量寿仏名〔仏、阿難に告げたまはく、汝よくこの語を持て。この語を持てとは、即ちこれ無量寿仏の名を持てとなり〕。浄土に往生して法華を聞くと云ふ事は文に云く_観世音・大勢至 以大悲音声為其広説諸法実相除滅罪法。聞已歓喜応時即発菩提之心〔観世音・大勢至、大悲の音声を以て其の為に広く諸法実相除滅罪の法を説く。聞き已りて歓喜し、時に応じて即ち菩提之心を発す〕と。[文]。余は繁き故に且く之を置く。
又日蓮難じて云く 観無量寿経は如来成道四十余年之内也。法華経は後八箇年之説也。如何が已説の観経に兼ねて未説の法華経の名を載せて捨閉閣抛之可説と為すべきや。随て仏告阿難等之文に至りては、只弥陀念仏を勧進する文也。未だ法華経を捨閉閣抛することを聞かず。何に況んや無量義経に法華経を説んが為に、先づ四十余年の已説の経々を未顕真実と定め了んぬ。豈に未顕真実の観経之内に已顕真実の法華経を挙げて、捨乃至抛之と為すべきや。又云く_久黙斯要 不務速説〔久しく斯の要を黙して 務いで速かに説かず〕等云云。既に教主釈尊、四十余年之間法華の名字を説かず。何ぞ已説の念仏に対して此の法華経を抛たんや。次に下品下生諸法実相除滅罪法等云云。夫れ法華経已前の実相其の数一に非ず。先づ外道之内の長爪の実相、内道之内の小乗乃至爾前の四教、皆所詮之理は実相也。何ぞ必ずしも已説の観経に載する所の実相のみ法華経に於て同じと意得らるべきや。今度慥かなる証文を出だして法然上人の無間之苦を救はるべきか。
又弁成之立つ。観経は已説の経也と雖も、未来を面とする故に未来の衆生は未来に所有の経巻之を読誦して浄土に往生すべし。既に法華等の諸経未来流布の故に之を読誦して往生すべきか。其の法華を捨閉閣抛し、観経の持無量寿仏の文に依て法然是の如く行じ給ふか。観経の持無量寿仏の文の上に諸善を説き、一向に無量寿仏を勧持せる故に申し合わせ候。実相に於ても多く有りと云ふ難。彼は浄土の故に此の難来るべからず。法然上人、聖道行は機堪へ難き故に未来流布の法華を捨閉閣抛す。故に是の慈悲の至進なれば此の慈悲を以て浄土に往生し、全く地獄に堕すべからざるか。
日蓮難じて云く 観経を已説の経也と云云。已説に於ては承伏か。観経之時未だ法華経を説かずと雖も未来を鑒みて捨閉閣抛すべしと法然上人は意得給ふか云云。仏未来を鑒みて已説之経に未来の経を載せて之を制止すと云はば、已説の小乗経に未説の大乗経を載せて之を制止すと為すべきか。又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て法華の名を載せざる由、仏之を説きたまふや。法然上人慈悲之事。慈悲之故に法華経と教主釈尊とを抛つ也と云ふは、所詮上に出だす所の証文は未だ分明ならず。慥かなる証文を出だして、法然上人の極苦を救はるべきか。上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ。豈に法華を捨つるに非ず等云云。観無量寿経の上の六品之諸行は法華已前の諸行也。設ひ下の三品の念仏に対して上の六品の諸行之を抛つとも、但法華経は諸行に入らず。何ぞ之を閣かんや。又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と、共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給ふ也。日蓮管見を以て一代聖教竝びに法華経之文を勘ふるに 未だ之を見ず、法華経之名を挙げて、或は之を抛て、或は其の文を閉じる等と云ふ事を。若し爾らば法然上人の憑む所の弥陀本願之誓文竝びに法華経之入阿鼻獄の釈尊の誡文、如何ぞ之を免るべけんや。法然上人無間獄に堕せば所化の弟子竝びに諸檀那等、共に阿鼻大城に堕ち了んぬか。今度分明なる証文を出だして法然上人之阿鼻之炎を消さるべし云云。
文永九年[太歳壬申正月十七日 日 蓮 花押
弁成花押
聖徳太子とは
用明天皇の太子の上宮と申せし人、仏法を読み初め、法華経を漢土よりとりよせさせ給ひて疏を作りて弘めさせ給ひき。
『妙密上人御消息』
人王第三十二代用明天皇の太子、聖徳太子と申せし人、漢土へ使いをつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給ひき。
『千日尼御前御返事』
聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経、一切経をもんしよ(文書)として、両方のせうぶ(勝負)ありしに、ついには神はまけ仏はかたせ給て、神国はじめて仏国となりぬ
『曾谷殿御返事』
又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ、和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして、先生の所持の一巻の法華経をとりよせ給ひて持経と定め、其後人王第三十七代に孝徳天王の御宇に、三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる。
『報恩抄』
用明天皇の御子聖徳太子と申せし人、びだつ(敏達)二年二月十五日東に向て南無釈迦牟尼仏と唱て御舎利を御手より出し給て、同六年に法華経を読誦し給ふ。それよりこのかた七百余年王は六十余代に及ぶまで、やうやく仏法ひろまり候て日本六十六箇国二の島にいたらぬ国もなし。
『中興入道御消息』
欽明の御子、用命の太子に上宮王子仏法を弘通し給ふのみならず、竝びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給ひぬ。
『撰時抄』
我が朝にも聖徳太子と申せし人は、手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は、無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る。此れ等は賢人聖人の事なれば我等は叶ひがたき事にて候。
『事理供養御書』
又上宮太子の記に云く ̄我滅後二百余年仏法日本可弘〔我が滅後二百余年に仏法日本に弘まるべし〕云云。伝教大師延暦年中に叡山を立て給う。桓武天皇は平の京都をたて給いき。太子の記文たがわざる故なり。
『祈祷鈔』
日本の聖徳太子は人王第三十二代用命天皇の御子なり。御年六歳の時百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを、六歳の太子、我が弟子なりとおおせありしかば、彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云。不思議なりし事なり。
『開目抄』
第一秘蔵の物語あり。書きてまいらせん。日本始まりて国王二人、人に殺され給ふ。その一人は崇峻天皇也。此の王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父也。人王第三十三代の皇にてをはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる。汝は聖者の者と聞く。朕を相してまいらせよと云云。太子三度まで辞退申させ給ひしかども、頻りの勅宣なれば止みがたくして、敬ひ相しまいらせ給ふ。君は人に殺され給ふべき相ましますと。王の御気色かはらせ給ひて、なにと云ふ証拠を以て此の事を信ずべき。太子申させ給はく、御眼に赤き筋とをりて候。人にあだまるゝ相也。皇帝勅宣を重ねて下し、いかにしてか此の難を脱れん。太子の云く 免脱れがたし。但し五常と申すつはもの(兵)あり。此れを身に離し給はずば害を脱れ給はん。此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して、六波羅蜜の其の一也と云云。
且くは此れを持ち給ひてをはせしが、やゝもすれば腹あしき王にて是れを破らせ給ひき。有る時、人猪の子をまいらせたりしかば、かうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶとさゝせ給ひて、いつか(何日)にくし(憎)と思ふやつ(奴)をかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや、あさましや、君は一定人にあだまれ給ひなん。此の御言は身を害する剣なりとて、太子多くの財を取り寄せて、御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、或人蘇我の大臣の馬子と申せし人に語りしかば、馬子我が事なりとて東漢直駒〈あずまのあやのあたひごま〉・直磐井〈あたひいはゐ〉と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ。
『崇峻天皇御書』
第三十一代の敏達天皇は欽明第二の太子、治十四年なり。左右の両臣は一は物部の大連が子にて弓削の守屋、父のあとをついで大連に任ず。蘇我の宿弥の子は蘇我の馬子と云云。此王の御代に聖徳太子生れ給へり、用明の御子敏達のをい(甥)なり。御年二歳の二月東に向て無名の指を開て、南無物と唱へ給へば御舎利掌にあり。是日本国の釈迦仏を念ずるの始なり。太子八歳なりしに八歳の太子云「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像、末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る。之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云。大連、物部弓削、宿弥守屋等いかりて云「蘇我は勅宣を背き佗国の神を礼す」等云云。又疫病未息人民すでにたえぬべし。弓削守屋又此を間奏す云云。勅宣に云「蘇我の馬子仏法を興行す、宜く仏法を卻くべし」等云云。此に仏法守屋中臣の臣勝海大連等両臣と与に寺に向て堂塔を切たうし、仏像をやきやぶり寺には火をはなち、僧尼の袈裟をはぎ笞をもつてせむ(責)。又天皇並に守屋、馬子等疫病す。其言に云「焼がごとしきるがごとし。又瘡をこる、はうそう(疱瘡)といふ。馬子歎て云「尚三宝を仰がんと。勅宣に云く、汝独行へ但し余人を断てよ」等云云。馬子欣悦し精舎を造て三宝を崇めぬ。天皇は終に八月十五日崩御云云。此年は太子は十四なり。第三十二代用明天皇の治二年、欽明の太子聖徳太子の父也。治二年丁未四月に天皇疫病あり、皇勅して云「三宝に帰せんと欲す」云云。蘇我大臣詔に随ふ可しとて遂に法師を引て内裏に入る。豊国の法師是也。物部守屋、大連等大に瞋り横に睨で云「天皇を厭魅す」と終に皇隠れさせ給ふ。五月に物部守屋が一族渋河の家にひきこもり多勢をあつめぬ。太子と馬子と押寄てたたかう、五月、六月、七月の間に四箇度合戦す。三度は太子まけ給ふ、第四度め(目)に太子願を立て云「釈迦如来の御舎利塔を立て四天王寺を建立せん」と。馬子願て云「百済より所渡の釈迦仏を寺を立てて崇重すべし」と云云。弓削なの(名乗)て云「此は我放つ矢にはあらず、我先祖崇重の府都の大明神の放ち給ふ矢なり」と。此矢はるかに飛で太子の鎧に中る。太子なのる、此は我が放つ矢にはあらず四天王の放給ふ矢なりとて、迹見赤梼と申す舎人にいさせ給へば、矢はるかに飛で守屋が胸に中りぬ。はだのかはかつ(秦川勝)をちあひて頸をとる。此合戦は用明崩御、崇峻未だ位に即き給はざる其中間なり。第三十三崇峻天皇位につき給ふ。太子は四天王寺を建立す、此釈迦如来の御舎利なり。馬子は元興寺と申す寺を建立して、百済国よりわたりて候し教主釈尊を崇重す。今代に世間第一の不思議は善光寺の阿弥陀如来という誑惑これなり。又釈迦仏にあだをなせしゆへに三代の天皇並に物部の一族むなしくなりしなり。又太子教主釈尊の像一体つくらせ給て元興寺に居せしむ、今の橘寺の御本尊これなり。此こそ日本国に釈迦仏つくりしはじめなれ。
『四条金吾殿御返事』
『妙密上人御消息』
人王第三十二代用明天皇の太子、聖徳太子と申せし人、漢土へ使いをつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給ひき。
『千日尼御前御返事』
聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経、一切経をもんしよ(文書)として、両方のせうぶ(勝負)ありしに、ついには神はまけ仏はかたせ給て、神国はじめて仏国となりぬ
『曾谷殿御返事』
又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ、和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして、先生の所持の一巻の法華経をとりよせ給ひて持経と定め、其後人王第三十七代に孝徳天王の御宇に、三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる。
『報恩抄』
用明天皇の御子聖徳太子と申せし人、びだつ(敏達)二年二月十五日東に向て南無釈迦牟尼仏と唱て御舎利を御手より出し給て、同六年に法華経を読誦し給ふ。それよりこのかた七百余年王は六十余代に及ぶまで、やうやく仏法ひろまり候て日本六十六箇国二の島にいたらぬ国もなし。
『中興入道御消息』
欽明の御子、用命の太子に上宮王子仏法を弘通し給ふのみならず、竝びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給ひぬ。
『撰時抄』
我が朝にも聖徳太子と申せし人は、手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は、無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る。此れ等は賢人聖人の事なれば我等は叶ひがたき事にて候。
『事理供養御書』
又上宮太子の記に云く ̄我滅後二百余年仏法日本可弘〔我が滅後二百余年に仏法日本に弘まるべし〕云云。伝教大師延暦年中に叡山を立て給う。桓武天皇は平の京都をたて給いき。太子の記文たがわざる故なり。
『祈祷鈔』
日本の聖徳太子は人王第三十二代用命天皇の御子なり。御年六歳の時百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを、六歳の太子、我が弟子なりとおおせありしかば、彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云。不思議なりし事なり。
『開目抄』
第一秘蔵の物語あり。書きてまいらせん。日本始まりて国王二人、人に殺され給ふ。その一人は崇峻天皇也。此の王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父也。人王第三十三代の皇にてをはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる。汝は聖者の者と聞く。朕を相してまいらせよと云云。太子三度まで辞退申させ給ひしかども、頻りの勅宣なれば止みがたくして、敬ひ相しまいらせ給ふ。君は人に殺され給ふべき相ましますと。王の御気色かはらせ給ひて、なにと云ふ証拠を以て此の事を信ずべき。太子申させ給はく、御眼に赤き筋とをりて候。人にあだまるゝ相也。皇帝勅宣を重ねて下し、いかにしてか此の難を脱れん。太子の云く 免脱れがたし。但し五常と申すつはもの(兵)あり。此れを身に離し給はずば害を脱れ給はん。此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して、六波羅蜜の其の一也と云云。
且くは此れを持ち給ひてをはせしが、やゝもすれば腹あしき王にて是れを破らせ給ひき。有る時、人猪の子をまいらせたりしかば、かうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶとさゝせ給ひて、いつか(何日)にくし(憎)と思ふやつ(奴)をかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや、あさましや、君は一定人にあだまれ給ひなん。此の御言は身を害する剣なりとて、太子多くの財を取り寄せて、御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、或人蘇我の大臣の馬子と申せし人に語りしかば、馬子我が事なりとて東漢直駒〈あずまのあやのあたひごま〉・直磐井〈あたひいはゐ〉と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ。
『崇峻天皇御書』
第三十一代の敏達天皇は欽明第二の太子、治十四年なり。左右の両臣は一は物部の大連が子にて弓削の守屋、父のあとをついで大連に任ず。蘇我の宿弥の子は蘇我の馬子と云云。此王の御代に聖徳太子生れ給へり、用明の御子敏達のをい(甥)なり。御年二歳の二月東に向て無名の指を開て、南無物と唱へ給へば御舎利掌にあり。是日本国の釈迦仏を念ずるの始なり。太子八歳なりしに八歳の太子云「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像、末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る。之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云。大連、物部弓削、宿弥守屋等いかりて云「蘇我は勅宣を背き佗国の神を礼す」等云云。又疫病未息人民すでにたえぬべし。弓削守屋又此を間奏す云云。勅宣に云「蘇我の馬子仏法を興行す、宜く仏法を卻くべし」等云云。此に仏法守屋中臣の臣勝海大連等両臣と与に寺に向て堂塔を切たうし、仏像をやきやぶり寺には火をはなち、僧尼の袈裟をはぎ笞をもつてせむ(責)。又天皇並に守屋、馬子等疫病す。其言に云「焼がごとしきるがごとし。又瘡をこる、はうそう(疱瘡)といふ。馬子歎て云「尚三宝を仰がんと。勅宣に云く、汝独行へ但し余人を断てよ」等云云。馬子欣悦し精舎を造て三宝を崇めぬ。天皇は終に八月十五日崩御云云。此年は太子は十四なり。第三十二代用明天皇の治二年、欽明の太子聖徳太子の父也。治二年丁未四月に天皇疫病あり、皇勅して云「三宝に帰せんと欲す」云云。蘇我大臣詔に随ふ可しとて遂に法師を引て内裏に入る。豊国の法師是也。物部守屋、大連等大に瞋り横に睨で云「天皇を厭魅す」と終に皇隠れさせ給ふ。五月に物部守屋が一族渋河の家にひきこもり多勢をあつめぬ。太子と馬子と押寄てたたかう、五月、六月、七月の間に四箇度合戦す。三度は太子まけ給ふ、第四度め(目)に太子願を立て云「釈迦如来の御舎利塔を立て四天王寺を建立せん」と。馬子願て云「百済より所渡の釈迦仏を寺を立てて崇重すべし」と云云。弓削なの(名乗)て云「此は我放つ矢にはあらず、我先祖崇重の府都の大明神の放ち給ふ矢なり」と。此矢はるかに飛で太子の鎧に中る。太子なのる、此は我が放つ矢にはあらず四天王の放給ふ矢なりとて、迹見赤梼と申す舎人にいさせ給へば、矢はるかに飛で守屋が胸に中りぬ。はだのかはかつ(秦川勝)をちあひて頸をとる。此合戦は用明崩御、崇峻未だ位に即き給はざる其中間なり。第三十三崇峻天皇位につき給ふ。太子は四天王寺を建立す、此釈迦如来の御舎利なり。馬子は元興寺と申す寺を建立して、百済国よりわたりて候し教主釈尊を崇重す。今代に世間第一の不思議は善光寺の阿弥陀如来という誑惑これなり。又釈迦仏にあだをなせしゆへに三代の天皇並に物部の一族むなしくなりしなり。又太子教主釈尊の像一体つくらせ給て元興寺に居せしむ、今の橘寺の御本尊これなり。此こそ日本国に釈迦仏つくりしはじめなれ。
『四条金吾殿御返事』
女人について(4)
千日尼御前御返事 弘安元年(1278.07・28)
弘安元年太歳戌寅七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じ日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ、同じ夫の阿仏房を使いとして送り給ふ御文に云く 女人の罪障はいかがかと存じ候へば、御法門に法華経は女人の成仏をさきとするぞと候ひしを、万事はたのみまいらせ候て等云云。
夫れ法華経と申し候御経は誰れ仏の説き給ひて候ぞとをもひ候へば、此の日本国より西、漢土より又西、流沙・葱嶺と申すよりは又はるか西、月氏と申す国に浄飯王と申しける大王の太子、十九の年位をすべらせ給ひて檀どく山と申す山に入り御出家、三十にして仏とならせ給ひ、身は金色と変じ、神は三世をかがみさせ給ふ。すぎにし事、来るべき事、かがみにかけさせ給ひてをはせし仏の、五十余年が間一代一切の経々を説きをかせ給ふ。
此の一切の経々仏の滅後一千年が間月氏国にやうやくひろまり候しかども、いまだ漢土・日本国等へは来り候はず。仏滅後一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡りはじめて候しかども、又いまだ法華経わたり給はず。仏法漢土にわたりて二百余年に及んで、月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり。彼の国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の弟子鳩摩羅什と申せし人、彼の国より月氏に入り、須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給ひき。
其の授け給ひし時の御語に云く 此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云。此の御語を持ちて月氏より東方漢土へわたし給ひ候しなり。漢土には仏法わたりて二百余年、後秦王の御宇に渡りて候ひき。日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇、治十三年壬申十月十三日辛酉日、此れより西百済国と申す国より聖明皇、日本国に仏法をわたす。此れは漢土に仏法わたて四百年、仏滅後一千四百余年也。
其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代用明天皇の太子、聖徳太子と申せし人、漢土へ使いをつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給ひき。それよりこのかた七百余年なり。仏滅後はすでに二千二百三十余年になり候上、月氏・漢土・日本、山々・河々・海々遠くへだたり、人々・心々・国々・各々別にして語かわり、しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁へ候べき。ただ経々の文字を引き合わせてこそ知るべきに、一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします。流通に普賢経、序分の無量義経、各一巻已上。此の御経を開き見まいらせ候へば明らかなる鏡をもつて我が面をみるがごとし。日出でて草木の色を弁へるににたり。
序分の無量義経を見まいらせ候へば、四十余年未顕真実と申す経文あり。法華経の第一の巻方便品の始めに_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕と申す経文あり。第四の巻の宝塔品には妙法華経 〜 皆是真実と申す明文あり。第七の巻には_舌相至梵天〔舌相梵天に至り〕と申す経文赫々たり。其の外は此の経より外のさきのち(前後)ならべる経々をば星に譬へ、江河に譬へ、小王に譬へ、小山に譬へたり。法華経をば月に譬へ、日に譬へ、大海・大山・大王等に譬へ給へり。
此の語は私の言に有らず。如来の金言也。十方の諸仏の御評定の御言也。一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈今の天に懸けて明鏡のごとくまします。日月も見給ひき聞き給ひき。其の日月の御語も此の経にのせられて候。月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなりし神々なり。天照太神・八幡大菩薩・熊野すずか等の日本国の神々もあらそい給ふべからず。此の経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり。師子王の如し。空飛ぶ者の王たり。鷹のごとし。南無阿弥陀仏経等はきじのごとし。兎のごとし鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腹わたをたつ。念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。法華経の行者に値ひぬればいろを失ひ魂をけすなり。
かゝるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫皆仏になり給ふやうをとかれて候へども、いまだ其のしるしなし。設へば始めたる客人が相貌うるわしくして心もいさぎよく、口もきひて候へばいう事疑ひなけれども、さきも見ぬ人なればいまだあらわれたる事なければ、語おみにては信じがたきぞかし。其の時語にまかせて代なる事度々あひ候へば、さては後の事もたのもしなんど申すぞかし。一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。譬へばくろき物を白くなす事漆を雪となし、不浄を小乗になす事、濁水に如意珠を入れたるがごとし。龍女と申せし小蛇を現身に仏になしましましき。此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑ふ者は候はざりしか。されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す。
されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし、叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給ふには ̄能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏〔能化所化倶に歴劫なし。妙法経力即身成仏〕等。漢土の天台智者大師法華経の正義をよみはじめ給ひしには ̄他経但記男不記女 乃至 今経皆記〔他経は但男に記して女に記せず 乃至 今経は皆記す〕等云云。此れは一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なりとことわらせ給ふにや。されば日本一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌ふとも、法華経にだにも女人成仏ゆるされなばなにかくるしかるべき。
しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ、値ひがたくして仏法に値ひ奉る。一切の仏法の中に法華経に値ひまいらせて候。其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母を大地に譬へたり。いづれもわけがたし。其の中悲母の大恩ことにほうじがたし。此れを報ぜんとをもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典の仏法に入て五千七千余巻の小乗・大乗は、女人成仏をかたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は往生を許したるやうなれども仏の仮言にて実事なし。
但法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候ひしかば、悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱へさせんと願す。其れに日本国の一切の女人は漢土の善導、日本の慧心・永観・法然等にすかされて、詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の女人一人も唱ふることなし。但南無阿弥陀仏と一日に一返十返百千万億反乃至三万十万反、一生が間昼夜十二時に又他事なし。道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり。わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてすさび、をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。
されば日本国の一切の女人法華経の御心に叶ふは一人もなし。我が悲母に詮とすべき法華経をば唱へずして弥陀に心をかけば、法華経は本ならねばたすけ給ふべからず。弥陀念仏は女人たすくる法にあらず。必ず地獄に堕ち給ふべし。いかんがせんとなげきし程に我が悲母をたすけんために、弥陀念仏は無間地獄の業なり。五逆にはあらざれども五逆にすぎたり。父母を殺す人は其の肉親をばやぶれども、父母を後生に無間地獄に入れず。今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを、たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ。悪ならざればすかされぬ。仏になる種ならざれば仏にはならず。弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失ふ。小善の念仏は大悪の五逆罪にすぎたり。譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ(打平)、天喜の貞任は奥州をうちとどめし。民を王へ通ぜざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。此れ等は五逆にすぎたる謀反なり。今日本国の仏法も又かくのごとし。色かわれる謀反なり。
法華経は大王、大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼々の小経によて法華経の大怨敵となりぬ。而るを、日本の一切の女人等我が心のをろかなるをば知らずして、我をたすくる日蓮をかたきとをもひ、大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり。たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるゝゆえに、女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上、又佐渡の国へながされぬ。
こゝに日蓮願て云く 日蓮は全く・りなし。設ひ僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志はすてがたかるべし。何に況んや法華経のまゝに申す。而るを一切の女人等信ぜずばさてこそ有るべきに、かへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か。釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・二乗・梵釈四天等いかに計らひ給ふぞ。日蓮僻事ならば其の義を示し給へ。ことには日月天は眼前の境界なり。又仏前にしてきかせ給へる上、法華経の行者をあだまんものをば頭破七分等と誓はせ給ひて候へばいかんが候べきと、日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰す。ゆへに此の疫病出現せり。他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに、両方の人あまた死すべきに、天の御計らひとしてまづ民を滅して人の手足を切るがごとくして、大事の合戦なくして、此の国の王臣等をせめかたぶけて、法華経の怨敵を滅して正法を弘通せんとなり。
而るに日蓮佐渡の国へながされたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らひに随ひて日蓮をあだむ。万民はその命に随う。念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりもいかにもして此れへわたらぬやう計ると申しつかわし、極楽寺の良観等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して、弟子に持たせて日蓮をあだみなんとせしかば、いかにも命たすかるべきやうはなかりしに、天の御計らひはさてをきぬ、地頭々々等 念仏者々々々等 日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよ(通)う人あるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつ(櫃)をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ。只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか。漢土に沛公と申せし人、王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く 沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行ふべし。沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日二七日なんど有りしなり。其の時命すでにをわりぬべかりしに、沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時〈よりより〉命をたすけしが、彼は妻なればなさけすてがたし。此れは後世ををぼせずばなにしにかかくはをはすべき。又其の故に或は所ををい、或はくわれう(科料)をひき、或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ぬ。法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみへて候へ。されば十万億供養の女人なり。
其の上、人は見る眼の前には心ざし有りとも、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去る文永十一年より今年弘安元年まではすでに五ヶ年が間、此の山中に候に、佐渡の国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。釈迦如来は我が薩・王子たりし時うへたる虎に身をかい(飼)し功徳、尸毘王とありし時鳩のために身をかへし功徳をば、我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申させ給ひしか。
其の上御消息に云く 尼が父の十三年は来る八月十一日。又云く ぜに一貫もん等云云。あまりの御心ざしの切に候へば、ありえて御はしますに随ひて法華経十巻ををくりまいらせ候。日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし。此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし。
抑そも去年今年のありさまはいかにならせ給ひぬらむと、をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候つれども、いまだいぶかし(不審)く候つるに、七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて、尼ごぜんはいかに、こう入道殿はいかにとまづといて候つれば、いまだやま(病)ず、こう入道殿は同道にて候つるが、わせ(早稲)はすでにちかづきぬ、こ(子)わなし、いかんがせんとてかへられ候つるとかたり候ひし時こそ、盲目の者の眼のあきたる、死し給へる父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし。あわれあわれふしぎなる事かな。
此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候。同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候つるに、ふねやぶれてたすけぶねに値へるか。又龍神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ。さわ(谷)の入道の事なげくより尼ごぜんへ申しつたへさせ給へ。ただし入道の事は申し切り候ひしかばをもひ合わせ給ふらむ。いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給ふべからず。かへりて阿弥陀仏の御かたきなり。後生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。ただし入道の堂のらう(廊)にていのちをたびたびたすけられたりし事こそ、いかにすべしともをぼへ候はね。学乗房をもつてはか(墓)につねつね法華経をよませ給へとかたらせ給へ。それも叶ふべしとはをぼえず。さても尼のいかにたよりなからむとなげくと申しつたへさせ給ひ候へ。又々申すべし。
七月二十八日 日 蓮 花押
佐渡国府阿仏房尼御前
弘安元年太歳戌寅七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じ日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ、同じ夫の阿仏房を使いとして送り給ふ御文に云く 女人の罪障はいかがかと存じ候へば、御法門に法華経は女人の成仏をさきとするぞと候ひしを、万事はたのみまいらせ候て等云云。
夫れ法華経と申し候御経は誰れ仏の説き給ひて候ぞとをもひ候へば、此の日本国より西、漢土より又西、流沙・葱嶺と申すよりは又はるか西、月氏と申す国に浄飯王と申しける大王の太子、十九の年位をすべらせ給ひて檀どく山と申す山に入り御出家、三十にして仏とならせ給ひ、身は金色と変じ、神は三世をかがみさせ給ふ。すぎにし事、来るべき事、かがみにかけさせ給ひてをはせし仏の、五十余年が間一代一切の経々を説きをかせ給ふ。
此の一切の経々仏の滅後一千年が間月氏国にやうやくひろまり候しかども、いまだ漢土・日本国等へは来り候はず。仏滅後一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡りはじめて候しかども、又いまだ法華経わたり給はず。仏法漢土にわたりて二百余年に及んで、月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり。彼の国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の弟子鳩摩羅什と申せし人、彼の国より月氏に入り、須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給ひき。
其の授け給ひし時の御語に云く 此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云。此の御語を持ちて月氏より東方漢土へわたし給ひ候しなり。漢土には仏法わたりて二百余年、後秦王の御宇に渡りて候ひき。日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇、治十三年壬申十月十三日辛酉日、此れより西百済国と申す国より聖明皇、日本国に仏法をわたす。此れは漢土に仏法わたて四百年、仏滅後一千四百余年也。
其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代用明天皇の太子、聖徳太子と申せし人、漢土へ使いをつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給ひき。それよりこのかた七百余年なり。仏滅後はすでに二千二百三十余年になり候上、月氏・漢土・日本、山々・河々・海々遠くへだたり、人々・心々・国々・各々別にして語かわり、しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁へ候べき。ただ経々の文字を引き合わせてこそ知るべきに、一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします。流通に普賢経、序分の無量義経、各一巻已上。此の御経を開き見まいらせ候へば明らかなる鏡をもつて我が面をみるがごとし。日出でて草木の色を弁へるににたり。
序分の無量義経を見まいらせ候へば、四十余年未顕真実と申す経文あり。法華経の第一の巻方便品の始めに_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕と申す経文あり。第四の巻の宝塔品には妙法華経 〜 皆是真実と申す明文あり。第七の巻には_舌相至梵天〔舌相梵天に至り〕と申す経文赫々たり。其の外は此の経より外のさきのち(前後)ならべる経々をば星に譬へ、江河に譬へ、小王に譬へ、小山に譬へたり。法華経をば月に譬へ、日に譬へ、大海・大山・大王等に譬へ給へり。
此の語は私の言に有らず。如来の金言也。十方の諸仏の御評定の御言也。一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈今の天に懸けて明鏡のごとくまします。日月も見給ひき聞き給ひき。其の日月の御語も此の経にのせられて候。月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなりし神々なり。天照太神・八幡大菩薩・熊野すずか等の日本国の神々もあらそい給ふべからず。此の経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり。師子王の如し。空飛ぶ者の王たり。鷹のごとし。南無阿弥陀仏経等はきじのごとし。兎のごとし鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腹わたをたつ。念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。法華経の行者に値ひぬればいろを失ひ魂をけすなり。
かゝるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫皆仏になり給ふやうをとかれて候へども、いまだ其のしるしなし。設へば始めたる客人が相貌うるわしくして心もいさぎよく、口もきひて候へばいう事疑ひなけれども、さきも見ぬ人なればいまだあらわれたる事なければ、語おみにては信じがたきぞかし。其の時語にまかせて代なる事度々あひ候へば、さては後の事もたのもしなんど申すぞかし。一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。譬へばくろき物を白くなす事漆を雪となし、不浄を小乗になす事、濁水に如意珠を入れたるがごとし。龍女と申せし小蛇を現身に仏になしましましき。此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑ふ者は候はざりしか。されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す。
されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし、叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給ふには ̄能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏〔能化所化倶に歴劫なし。妙法経力即身成仏〕等。漢土の天台智者大師法華経の正義をよみはじめ給ひしには ̄他経但記男不記女 乃至 今経皆記〔他経は但男に記して女に記せず 乃至 今経は皆記す〕等云云。此れは一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なりとことわらせ給ふにや。されば日本一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌ふとも、法華経にだにも女人成仏ゆるされなばなにかくるしかるべき。
しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ、値ひがたくして仏法に値ひ奉る。一切の仏法の中に法華経に値ひまいらせて候。其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母を大地に譬へたり。いづれもわけがたし。其の中悲母の大恩ことにほうじがたし。此れを報ぜんとをもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典の仏法に入て五千七千余巻の小乗・大乗は、女人成仏をかたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は往生を許したるやうなれども仏の仮言にて実事なし。
但法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候ひしかば、悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱へさせんと願す。其れに日本国の一切の女人は漢土の善導、日本の慧心・永観・法然等にすかされて、詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の女人一人も唱ふることなし。但南無阿弥陀仏と一日に一返十返百千万億反乃至三万十万反、一生が間昼夜十二時に又他事なし。道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり。わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてすさび、をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。
されば日本国の一切の女人法華経の御心に叶ふは一人もなし。我が悲母に詮とすべき法華経をば唱へずして弥陀に心をかけば、法華経は本ならねばたすけ給ふべからず。弥陀念仏は女人たすくる法にあらず。必ず地獄に堕ち給ふべし。いかんがせんとなげきし程に我が悲母をたすけんために、弥陀念仏は無間地獄の業なり。五逆にはあらざれども五逆にすぎたり。父母を殺す人は其の肉親をばやぶれども、父母を後生に無間地獄に入れず。今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを、たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ。悪ならざればすかされぬ。仏になる種ならざれば仏にはならず。弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失ふ。小善の念仏は大悪の五逆罪にすぎたり。譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ(打平)、天喜の貞任は奥州をうちとどめし。民を王へ通ぜざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。此れ等は五逆にすぎたる謀反なり。今日本国の仏法も又かくのごとし。色かわれる謀反なり。
法華経は大王、大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼々の小経によて法華経の大怨敵となりぬ。而るを、日本の一切の女人等我が心のをろかなるをば知らずして、我をたすくる日蓮をかたきとをもひ、大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり。たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるゝゆえに、女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上、又佐渡の国へながされぬ。
こゝに日蓮願て云く 日蓮は全く・りなし。設ひ僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志はすてがたかるべし。何に況んや法華経のまゝに申す。而るを一切の女人等信ぜずばさてこそ有るべきに、かへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か。釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・二乗・梵釈四天等いかに計らひ給ふぞ。日蓮僻事ならば其の義を示し給へ。ことには日月天は眼前の境界なり。又仏前にしてきかせ給へる上、法華経の行者をあだまんものをば頭破七分等と誓はせ給ひて候へばいかんが候べきと、日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰す。ゆへに此の疫病出現せり。他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに、両方の人あまた死すべきに、天の御計らひとしてまづ民を滅して人の手足を切るがごとくして、大事の合戦なくして、此の国の王臣等をせめかたぶけて、法華経の怨敵を滅して正法を弘通せんとなり。
而るに日蓮佐渡の国へながされたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らひに随ひて日蓮をあだむ。万民はその命に随う。念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりもいかにもして此れへわたらぬやう計ると申しつかわし、極楽寺の良観等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して、弟子に持たせて日蓮をあだみなんとせしかば、いかにも命たすかるべきやうはなかりしに、天の御計らひはさてをきぬ、地頭々々等 念仏者々々々等 日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよ(通)う人あるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつ(櫃)をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ。只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか。漢土に沛公と申せし人、王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く 沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行ふべし。沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日二七日なんど有りしなり。其の時命すでにをわりぬべかりしに、沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時〈よりより〉命をたすけしが、彼は妻なればなさけすてがたし。此れは後世ををぼせずばなにしにかかくはをはすべき。又其の故に或は所ををい、或はくわれう(科料)をひき、或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ぬ。法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみへて候へ。されば十万億供養の女人なり。
其の上、人は見る眼の前には心ざし有りとも、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去る文永十一年より今年弘安元年まではすでに五ヶ年が間、此の山中に候に、佐渡の国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。釈迦如来は我が薩・王子たりし時うへたる虎に身をかい(飼)し功徳、尸毘王とありし時鳩のために身をかへし功徳をば、我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申させ給ひしか。
其の上御消息に云く 尼が父の十三年は来る八月十一日。又云く ぜに一貫もん等云云。あまりの御心ざしの切に候へば、ありえて御はしますに随ひて法華経十巻ををくりまいらせ候。日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし。此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし。
抑そも去年今年のありさまはいかにならせ給ひぬらむと、をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候つれども、いまだいぶかし(不審)く候つるに、七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて、尼ごぜんはいかに、こう入道殿はいかにとまづといて候つれば、いまだやま(病)ず、こう入道殿は同道にて候つるが、わせ(早稲)はすでにちかづきぬ、こ(子)わなし、いかんがせんとてかへられ候つるとかたり候ひし時こそ、盲目の者の眼のあきたる、死し給へる父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし。あわれあわれふしぎなる事かな。
此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候。同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候つるに、ふねやぶれてたすけぶねに値へるか。又龍神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ。さわ(谷)の入道の事なげくより尼ごぜんへ申しつたへさせ給へ。ただし入道の事は申し切り候ひしかばをもひ合わせ給ふらむ。いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給ふべからず。かへりて阿弥陀仏の御かたきなり。後生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。ただし入道の堂のらう(廊)にていのちをたびたびたすけられたりし事こそ、いかにすべしともをぼへ候はね。学乗房をもつてはか(墓)につねつね法華経をよませ給へとかたらせ給へ。それも叶ふべしとはをぼえず。さても尼のいかにたよりなからむとなげくと申しつたへさせ給ひ候へ。又々申すべし。
七月二十八日 日 蓮 花押
佐渡国府阿仏房尼御前
三大師(弘法・慈覚・智証)のまとめ
弘法・慈覚・智証等は皆仏意に違ふのみにあらず、或は法の盗人、或は伝教大師に逆らへる僻人也。故に或は閻魔王の責めを蒙り、或は墓墳無く、或は事を入定に寄せ、或は度度大火大兵に値へり。権者は恥辱を死骸に与へざるの本文に違するか。
『大田殿許御書』
日本の弘法・慈覚等の三蔵諸師は、四依の大士に非ざる暗師也、愚人也。経に於ては大小権実之旨を弁えず、顕密両道之趣を知らず。論に於ては通申と別申とを糺さず。申と不申とを暁めず。
『曾谷入道殿許御書』
日本国は又弘法・慈覚・智証、此の謗法を習ひ伝へて自心も知しめさず、人は又をもいもよらず。且くは法華宗の人々相論有りしかども、終には天台宗やうやく衰へて叡山五十五代の座主明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ。
『神国王御書』
予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり、経文まことならば無間地獄は疑ひなし、なんど申すは、裸形にして大火に入るはやすし、須弥山を手にとてなげんはやすし、大石を負ふて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。
『撰時抄』
夫れ以みれば、月支・漢土の仏法の邪正は且く之を置く。大日本国、亡国と為るべき由来之を勘ふるに、真言宗之元祖東寺の弘法・天台山第三の座主慈覚、此の両大師法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来、叡山諸寺は慈覚の邪義に付き、神護七大寺は弘法の僻見に随ふ。其れより已来、王臣邪師を仰ぎ、万民僻見に帰す。是の如き諂曲既に久しく、経歴すること四百余年。国漸く衰へ王法も亦尽きんとす。彼の月支の弗沙弥多羅王の八万四千の寺塔を焚焼し、無量の仏子之頚を刎し、此の漢土の会昌天子の寺院四千六百余所を滅失し、九国の僧尼を還俗せしめたる、此れ等大悪人たりと雖も、我が朝の大謗法には過ぎず。
『強仁状御返事』
真言と天台との勝劣に、弘法・慈覚・智証のまどひしによりて、日本国の人々、今生には他国にもせめられ、後生にも悪道に堕つるなり。
『三三蔵祈雨事』
真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ、或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印・真言をもつて開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。結句は天魔入り替わりて檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。
『清澄寺大衆中』
人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主明雲等の真言師等数百人かたらひて、源の右将軍頼朝を調伏せしかば、還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ。安徳天皇は西海に沈み給ふ。人王八十二三四 隠岐の法皇・阿波の院・佐渡の院・当今、已上四人、座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて、平の将軍義時を調伏し給ふ程に、又還著於本人とて上の四王島々に放たれ給ひき。此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破りて、法華経最第二最第三、大日経最第一と読み給ひし僻見を御信用有りて、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に堕ち給ひぬ。
『兵衛志殿御書』
去る承久の合戦に隠岐の法皇の御前にして、京の二位殿なんどと申せし何もしらぬ女房等の集まりて、王を勧め奉り、戦を起して、義時に責められ、あはて給ひしが如し。今御覧ぜよ。法華経誹謗の科と云ひ、日蓮をいやしみし罰を申し、経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。此れ又偏に弘法・慈覚・智証等の三大師の法華経誹謗の科と、達磨・善導・律僧等の一乗誹謗の科と、此れ等の人々を結構せさせ給ふ国主の科と、国を思ひ生処を忍びて兼ねて勘へ告げ示すを用ひずして還りて怨をなす大科、先例を思へば、呉王夫差の伍子胥が諌めを用ひずして、越王勾践にほろぼされ、殷の紂王が比干が言をあなづりて周の武王に責められしが如し。
『光日上人御返事』
真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵大師等の、華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給はば、我等が分斉には及ばぬ事なれども、大道理のをすところは豈に諸仏の大怨敵にあらずや。
<中略>
日本国は慈覚・智証・弘法の流なり。一人として謗法ならざる人はなし。
『報恩抄』
今日本国八宗竝びに浄土・禅宗等の四衆、上主上上皇より下臣下万民に至るまで、皆一人も無く、弘法・慈覚・智証之三大師の末孫、檀越也。円仁慈覚大師云く 華厳・法華を大日経に望むれば戯論となす。空海弘法大師云く ̄望後作戯論〔後に望めば戯論と作す〕等云云。此の三大師の意は法華経は已今当之諸経之中の第一なり。然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法也等云云。此の義、心有らん人、信を取るべきや不や。
『富木殿御書』
当世日本国の真言等の七宗竝びに浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経の最第一の醍醐に法華第二第三等の私の水を入れたるを知らず。仏説の如くならばいかでか一切倶失の大科を脱れん。
<中略>
第三の座主円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日経第一法華経第二の人也。
<中略>
而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて、法華経を ̄無明辺域。非明分位。望後作戯論〔無明の辺域にして明の分位に非ず。後に望むれば戯論と作る〕。力者に及ばず履者とりにたらずとかきつけて四百余年。日本国の上一人より下万民にいたるまで法華経をあなづらせ、一切衆生の眼をくじる者を守護し給ふは、あに八幡大菩薩の結構にあらずや。
『諌曉八幡抄』
東寺の弘法・園城寺の智証・山門の慈覚・関東の良観等の諸師は、今経の正直捨方便の金言を読み候には正直捨実教但説方便教と読み、或は_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕の経文をば於諸経中。最在其下と、或は_法華最第一の経文をば法華最第二第三等と読む。故に此れ等の法師原を邪悪の師と申し候ひき。
『最蓮房御返事(供物書)』
弘法大師の邪義、慈覚大師、智証大師の僻見をまことと思ひて、叡山、東寺、園城寺の人人の鎌倉をあだみ給ひしかば還著於本人とて其失還つて公家はまけ給ひぬ。
『種種御振舞御書』
真言宗と申宗がうるわし(麗)き日本国の大なる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師此事にまどひて此国を亡さんとするなり。
『高橋殿御返事』
其後弘法大師真言経を下されけることを遺恨とや思食しけむ。真言宗を立てんとたばかりて法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経に劣れりと云云。
あはれ慈覚、智証、叡山、園城にこの義をゆるさずば、弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまじ。彼の両大師華厳、法華の勝劣をばゆるさねど法華、真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば、存外に本師伝教大師の大怨敵となる。其の後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども、彼の三大師にこえざれば今四百余年の間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。たまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ばざるの由存ぜども、天台座主、御室等の高貴におそれて申す事なし。あるは又其義をもわきまへぬかのゆへに、からくして同の義をいへば、一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。然れば日本国中に数十万の寺社あり、皆真言宗なり。たまたま法華宗を並ぶとも、真言は主の如く法華は所従の如くなり。若しは兼学の人も心中は一同に真言なり。座主、長吏、検校、別当、一向に真言たるうへ、上に好むところ下皆したがふ事なれば、一人ももれず真言師なり。されば日本国或は口には法華最第一とはよめども、心は最第二、最第三なり。
<中略>
今日蓮が申す弘法、慈覚、智証の三大師の法華経を、正く無明の辺域、虚妄の法と被書候は、若法華経の文実ならば叡山、東寺、園城寺、七大寺、日本一万一千三十七所之寺寺の僧は、如何が候はんずらん。先例の如くならば無間大城疑なし。是は謗家也。謗国と申は謗法の者、其国に住すれば其一国皆無間大城になる也。
<中略>
而を慈覚大師は法華経の座主を奪取て真言の座主となし、三千の大衆も又其所従と成ぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐ます嵯峨の天皇を奪取て、内裏を真言宗の寺と成せり。
『秋元殿御書(筒御器鈔)』
弘法大師、慈覚大師、智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せて、或は月氏に事を寄せ、法華経を或は第三、第二、或は戯論或は無明の辺域等押下し給ひて、法華経を真言の三部と成さしめて候し程に、代漸く下剋上し、此邪義既に一国に弘まる。人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し、氏子をも守護しがたき故に八十一、乃至八十五之五主は、或は西海に沈み、或は四海に捨てられ、今生には大鬼となり後生は無間地獄に落給ひぬ。
『内房女房御返事』
粗之を見るに弘法、慈覚、智証に於ては世間のことは且く之を置く。仏法に入つては謗法第一の人人と申す也。「誹謗大乗者従射箭早堕地獄」とは如来の金言なり。将又謗法罪の深重は弘法、慈覚等を一同に定め給ひ畢んぬ。人の語は且く之を置く。釈迦、多宝の二仏の金言虚妄ならずんば、弘法、慈覚、智証に於ては定めて無間大城に入らん。
『曾谷二郎入道殿御報』
『大田殿許御書』
日本の弘法・慈覚等の三蔵諸師は、四依の大士に非ざる暗師也、愚人也。経に於ては大小権実之旨を弁えず、顕密両道之趣を知らず。論に於ては通申と別申とを糺さず。申と不申とを暁めず。
『曾谷入道殿許御書』
日本国は又弘法・慈覚・智証、此の謗法を習ひ伝へて自心も知しめさず、人は又をもいもよらず。且くは法華宗の人々相論有りしかども、終には天台宗やうやく衰へて叡山五十五代の座主明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ。
『神国王御書』
予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり、経文まことならば無間地獄は疑ひなし、なんど申すは、裸形にして大火に入るはやすし、須弥山を手にとてなげんはやすし、大石を負ふて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。
『撰時抄』
夫れ以みれば、月支・漢土の仏法の邪正は且く之を置く。大日本国、亡国と為るべき由来之を勘ふるに、真言宗之元祖東寺の弘法・天台山第三の座主慈覚、此の両大師法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来、叡山諸寺は慈覚の邪義に付き、神護七大寺は弘法の僻見に随ふ。其れより已来、王臣邪師を仰ぎ、万民僻見に帰す。是の如き諂曲既に久しく、経歴すること四百余年。国漸く衰へ王法も亦尽きんとす。彼の月支の弗沙弥多羅王の八万四千の寺塔を焚焼し、無量の仏子之頚を刎し、此の漢土の会昌天子の寺院四千六百余所を滅失し、九国の僧尼を還俗せしめたる、此れ等大悪人たりと雖も、我が朝の大謗法には過ぎず。
『強仁状御返事』
真言と天台との勝劣に、弘法・慈覚・智証のまどひしによりて、日本国の人々、今生には他国にもせめられ、後生にも悪道に堕つるなり。
『三三蔵祈雨事』
真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ、或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印・真言をもつて開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。結句は天魔入り替わりて檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。
『清澄寺大衆中』
人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主明雲等の真言師等数百人かたらひて、源の右将軍頼朝を調伏せしかば、還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ。安徳天皇は西海に沈み給ふ。人王八十二三四 隠岐の法皇・阿波の院・佐渡の院・当今、已上四人、座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて、平の将軍義時を調伏し給ふ程に、又還著於本人とて上の四王島々に放たれ給ひき。此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破りて、法華経最第二最第三、大日経最第一と読み給ひし僻見を御信用有りて、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に堕ち給ひぬ。
『兵衛志殿御書』
去る承久の合戦に隠岐の法皇の御前にして、京の二位殿なんどと申せし何もしらぬ女房等の集まりて、王を勧め奉り、戦を起して、義時に責められ、あはて給ひしが如し。今御覧ぜよ。法華経誹謗の科と云ひ、日蓮をいやしみし罰を申し、経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。此れ又偏に弘法・慈覚・智証等の三大師の法華経誹謗の科と、達磨・善導・律僧等の一乗誹謗の科と、此れ等の人々を結構せさせ給ふ国主の科と、国を思ひ生処を忍びて兼ねて勘へ告げ示すを用ひずして還りて怨をなす大科、先例を思へば、呉王夫差の伍子胥が諌めを用ひずして、越王勾践にほろぼされ、殷の紂王が比干が言をあなづりて周の武王に責められしが如し。
『光日上人御返事』
真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵大師等の、華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給はば、我等が分斉には及ばぬ事なれども、大道理のをすところは豈に諸仏の大怨敵にあらずや。
<中略>
日本国は慈覚・智証・弘法の流なり。一人として謗法ならざる人はなし。
『報恩抄』
今日本国八宗竝びに浄土・禅宗等の四衆、上主上上皇より下臣下万民に至るまで、皆一人も無く、弘法・慈覚・智証之三大師の末孫、檀越也。円仁慈覚大師云く 華厳・法華を大日経に望むれば戯論となす。空海弘法大師云く ̄望後作戯論〔後に望めば戯論と作す〕等云云。此の三大師の意は法華経は已今当之諸経之中の第一なり。然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法也等云云。此の義、心有らん人、信を取るべきや不や。
『富木殿御書』
当世日本国の真言等の七宗竝びに浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経の最第一の醍醐に法華第二第三等の私の水を入れたるを知らず。仏説の如くならばいかでか一切倶失の大科を脱れん。
<中略>
第三の座主円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日経第一法華経第二の人也。
<中略>
而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて、法華経を ̄無明辺域。非明分位。望後作戯論〔無明の辺域にして明の分位に非ず。後に望むれば戯論と作る〕。力者に及ばず履者とりにたらずとかきつけて四百余年。日本国の上一人より下万民にいたるまで法華経をあなづらせ、一切衆生の眼をくじる者を守護し給ふは、あに八幡大菩薩の結構にあらずや。
『諌曉八幡抄』
東寺の弘法・園城寺の智証・山門の慈覚・関東の良観等の諸師は、今経の正直捨方便の金言を読み候には正直捨実教但説方便教と読み、或は_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕の経文をば於諸経中。最在其下と、或は_法華最第一の経文をば法華最第二第三等と読む。故に此れ等の法師原を邪悪の師と申し候ひき。
『最蓮房御返事(供物書)』
弘法大師の邪義、慈覚大師、智証大師の僻見をまことと思ひて、叡山、東寺、園城寺の人人の鎌倉をあだみ給ひしかば還著於本人とて其失還つて公家はまけ給ひぬ。
『種種御振舞御書』
真言宗と申宗がうるわし(麗)き日本国の大なる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師此事にまどひて此国を亡さんとするなり。
『高橋殿御返事』
其後弘法大師真言経を下されけることを遺恨とや思食しけむ。真言宗を立てんとたばかりて法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経に劣れりと云云。
あはれ慈覚、智証、叡山、園城にこの義をゆるさずば、弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまじ。彼の両大師華厳、法華の勝劣をばゆるさねど法華、真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば、存外に本師伝教大師の大怨敵となる。其の後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども、彼の三大師にこえざれば今四百余年の間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。たまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ばざるの由存ぜども、天台座主、御室等の高貴におそれて申す事なし。あるは又其義をもわきまへぬかのゆへに、からくして同の義をいへば、一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。然れば日本国中に数十万の寺社あり、皆真言宗なり。たまたま法華宗を並ぶとも、真言は主の如く法華は所従の如くなり。若しは兼学の人も心中は一同に真言なり。座主、長吏、検校、別当、一向に真言たるうへ、上に好むところ下皆したがふ事なれば、一人ももれず真言師なり。されば日本国或は口には法華最第一とはよめども、心は最第二、最第三なり。
<中略>
今日蓮が申す弘法、慈覚、智証の三大師の法華経を、正く無明の辺域、虚妄の法と被書候は、若法華経の文実ならば叡山、東寺、園城寺、七大寺、日本一万一千三十七所之寺寺の僧は、如何が候はんずらん。先例の如くならば無間大城疑なし。是は謗家也。謗国と申は謗法の者、其国に住すれば其一国皆無間大城になる也。
<中略>
而を慈覚大師は法華経の座主を奪取て真言の座主となし、三千の大衆も又其所従と成ぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐ます嵯峨の天皇を奪取て、内裏を真言宗の寺と成せり。
『秋元殿御書(筒御器鈔)』
弘法大師、慈覚大師、智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せて、或は月氏に事を寄せ、法華経を或は第三、第二、或は戯論或は無明の辺域等押下し給ひて、法華経を真言の三部と成さしめて候し程に、代漸く下剋上し、此邪義既に一国に弘まる。人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し、氏子をも守護しがたき故に八十一、乃至八十五之五主は、或は西海に沈み、或は四海に捨てられ、今生には大鬼となり後生は無間地獄に落給ひぬ。
『内房女房御返事』
粗之を見るに弘法、慈覚、智証に於ては世間のことは且く之を置く。仏法に入つては謗法第一の人人と申す也。「誹謗大乗者従射箭早堕地獄」とは如来の金言なり。将又謗法罪の深重は弘法、慈覚等を一同に定め給ひ畢んぬ。人の語は且く之を置く。釈迦、多宝の二仏の金言虚妄ならずんば、弘法、慈覚、智証に於ては定めて無間大城に入らん。
『曾谷二郎入道殿御報』
慈覚大師とは(2)
慈覚大師事 弘安三年(1280.正・27)
鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給了んぬ。
法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。
何よりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中三寸の眼二つなり。一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、悦ばしき事は法華最第一の経文なり。あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く ̄所言頂者 於諸大乗法中最勝無過上故以頂名之。乃至如人之身頂最為勝。乃至法華云 是法住法位。今正顕説此秘密理。故云金剛頂也〔言ふ所の頂とは、諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に、頂を以て之を名づく。乃至、人の身の頂最もこれ勝れるが如し。乃至、法華に云く 是法住法位と。今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふなり〕云云。又云く ̄如金剛宝中之宝 此経亦爾。諸経法中最為第一 三世如来髻中宝故〔金剛は宝中の宝なるが如く、此の経も亦しかなり。諸の経法の中に最もこれ第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に〕等云云。此の釈の心は法華最第一の経文を奪ひ取りて、金剛頂経に付けたるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。此れ即ち鶴の頚を切りて蛙の頚に付けるる歟。真言の蛙も死にぬ。法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候。此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ。
三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらざんなり。一乗のかたきの夢のごとく勘へ出だして候。慈覚大師の御はかいづれのところに有ると申す事きこへず候。世間に云ふ、御頭は出羽の国立石寺に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか。明雲座主は義仲に頭を切られたり。天台座主を見候へば、伝教大師はさてをきまいらせ候ひぬ。第一義真・第二円澄、此の両人は法華経を正とし、真言を傍とせり。第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり。其の已後代々の座主は相論にて思ひ定むる事無し。第五十五竝びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり。此の座主は安元三年五月日、院勘を蒙りて伊豆の国え配流、山僧大津にて奪ひ取る。後、治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に、寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給ふ。此の人生きると死ぬと二度大難に値へり。生の難は仏法の常例、聖賢の御繁盛の花なり。死の後は恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人の招くわざはいなり。所謂大慢ばら門・須利等也。
粗此れを勘へたるに、明雲より一向に真言の座主となりて後、今三十余代一百余年が間、一向真言座主にて法華経の所領を奪へるなり。しかれば此れ等の人々は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ。我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給ふべし。恐々謹言。
正月二十七日 日 蓮 花押
大田入道殿御返事
鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給了んぬ。
法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。
何よりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中三寸の眼二つなり。一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、悦ばしき事は法華最第一の経文なり。あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く ̄所言頂者 於諸大乗法中最勝無過上故以頂名之。乃至如人之身頂最為勝。乃至法華云 是法住法位。今正顕説此秘密理。故云金剛頂也〔言ふ所の頂とは、諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に、頂を以て之を名づく。乃至、人の身の頂最もこれ勝れるが如し。乃至、法華に云く 是法住法位と。今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふなり〕云云。又云く ̄如金剛宝中之宝 此経亦爾。諸経法中最為第一 三世如来髻中宝故〔金剛は宝中の宝なるが如く、此の経も亦しかなり。諸の経法の中に最もこれ第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に〕等云云。此の釈の心は法華最第一の経文を奪ひ取りて、金剛頂経に付けたるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。此れ即ち鶴の頚を切りて蛙の頚に付けるる歟。真言の蛙も死にぬ。法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候。此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ。
三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらざんなり。一乗のかたきの夢のごとく勘へ出だして候。慈覚大師の御はかいづれのところに有ると申す事きこへず候。世間に云ふ、御頭は出羽の国立石寺に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか。明雲座主は義仲に頭を切られたり。天台座主を見候へば、伝教大師はさてをきまいらせ候ひぬ。第一義真・第二円澄、此の両人は法華経を正とし、真言を傍とせり。第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり。其の已後代々の座主は相論にて思ひ定むる事無し。第五十五竝びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり。此の座主は安元三年五月日、院勘を蒙りて伊豆の国え配流、山僧大津にて奪ひ取る。後、治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に、寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給ふ。此の人生きると死ぬと二度大難に値へり。生の難は仏法の常例、聖賢の御繁盛の花なり。死の後は恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人の招くわざはいなり。所謂大慢ばら門・須利等也。
粗此れを勘へたるに、明雲より一向に真言の座主となりて後、今三十余代一百余年が間、一向真言座主にて法華経の所領を奪へるなり。しかれば此れ等の人々は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ。我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給ふべし。恐々謹言。
正月二十七日 日 蓮 花押
大田入道殿御返事
慈覚・智証大師とは
日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取って、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して終に王法尽きにき。此の悪義鎌倉に下って又日本国を亡ぼすべし。
<中略>
慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、以箭射日〔箭を以て日を射る〕と見しは此の事なるべし。是れは慈覚大師の心中に修羅の入って法華経の大日輪を射るにあらずや。此の法門は当世叡山其の外日本国の人用ふべき哉。
『曾谷入道殿御書』
又慈覚大師御入唐以後、本師伝教大師に背かせ給いて、叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに、日を射るに日輪動転すと云う夢想を御覧じて、四百余年の間諸人是れを吉夢と思えり。日本国は殊に忌むべき夢なり。殷の紂王日輪を的にして射るに依って身亡びたり。此の御夢想は権化の事なりとも能く能く思惟あるべき歟。仍って九牛の一毛註する所件の如し。
『祈祷鈔』
慈覚・智証の二大師、大日の権教を以て法華の実経を破壊せり。
『大田殿許御書』
慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なり。しかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもえり。此の人真言宗と法華宗の奥義を極めさせ給ひて候が、真言は法華経に勝れたりとかゝせ給へり。而るを叡山三千人の大衆、日本一州の学者等一同帰伏の宗義なり。弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給へるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもつてをもうに、真言宗の法華経に勝れたることは一定なり。日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに、慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし。されば東寺第一のかたうど(方人)慈覚大師にはすぐべからず。
<中略>
第三の慈覚大師御入唐、漢土にわたりて十年が間、顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう。又天台宗の人々広修・維・等にならわせ給ひしかども、心の内におぼしけるは、真言宗は天台宗には勝れたりけり。我が師伝教大師はいまだ此の事をばくわしく習はせ給はざりけり。漢土に久しくもわたらせ給はざりける故に、此の法門はあらうち(荒唐)にみ(見)をはしけるやとをぼして、日本国に帰朝し、叡山東塔止観院の西に惣持院と申す大講堂を立て、御本尊は金剛界の大日如来、此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻をつくる。
此の疏の肝心の釈に云く ̄教有二種。一顕示教謂三乗教。世俗勝義未円融故。二秘密教謂一乗教。世俗勝義一体融故。秘密教中亦有二種。一理秘密教諸華厳・般若・維摩・法華・涅槃等。但説世俗勝義不二 未説真言密印事故。二事理倶密教謂大日経・金剛頂経・蘇悉地経等。亦説世俗勝義不二亦説真言密印事故〔教に二種有り。一には顕示教、謂く三乗教なり。世俗と勝義と未だ円融せざる故に。二には秘密教、謂く一乗教なり。世俗と勝義と一体にして融する故に。秘密教の中に亦二種有り。一には理秘密教、諸の華厳・般若・維摩・法華・涅槃等なり。但世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に。二には事理倶密の教、謂く大日経・金剛頂経・蘇悉地経等なり。亦世俗と勝義との不二を説き、亦真言密印の事を説く故に〕等云云。釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給ふに、真言の三部経と法華経とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり。しかれども密印と真言等の事法は法華経はかけてをはせず。法華経は理秘密、真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり。しかも此の筆は私の釈にはあらず。善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせども、なをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑ひをさんぜんとやおぼしけん。
大師[慈覚也]の伝に云く ̄大師造二経疏成功已畢中心独謂此疏通仏意否乎。若不通仏意者不流伝於世矣。仍安置仏像前七日七夜翹企深誠勤修祈請。至五日五更夢当于正午仰見日輪而以弓射之其箭当日輪日輪即転動。夢覚之後深悟通達於仏意可伝於後世〔大師二経の疏を造り、功を成し畢りて中心独り謂らく、此の疏仏意に通ずるや否や。若し仏意に通ぜざれば世に流伝せず。仍て仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す。五日の五更に至りて夢らく、正午に当て日輪を仰ぎ見る、弓を以て之を射る、其の箭日輪に当て日輪即ち転動す。夢覚て之後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝ふべし〕等云云。
慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習ひ極め、異朝にしては八大徳竝びに南天の宝月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわせさせ給へる上、二経の疏をつくり了り、重ねて本尊に祈請をなすに、智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給ひ、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給ひ、天台座主を真言の官主となし、真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間、碩学稲麻のごとし、渇仰竹葦に同じ。されば桓武・伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ、官をなし寺をあづけたぶ。仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり。
<中略>
又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の師子の身の中の三虫なり。此れ等の大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば、天神もをしみ、地祇もいからせ給ひて、災夭も大に起るなり。
『撰時抄』
慈覚大師は、本、伝教大師に稟くると雖も、本を捨て末に付き、入唐之間、真言家の人々之を誑惑する間、又大日経と法華経と理同事勝と云云。賢きに似たれども但善無畏の僻見を出でざるのみ。
『大学三郎御書』
されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、漢土にわたりては又天台・真言の明師に値ひて有りしかども、二宗の勝劣は思ひ定めざりけるか。或は真言はすぐれ、或は法華すぐれ、或は理同事勝等云云。宣旨を申し下すには、二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり。 此等は皆自語相違といゐぬべし。
<中略>
慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とはなのらせ給へども、心は御弟子にあらず。其故は此書に云く ̄謹著依憑集一巻贈同我後哲〔謹んで依憑集一巻を著して同我の後哲に贈る〕等云云。同我の二字は、真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ、同我にてはあるべけれ。我と申し下さるる宣旨に云く ̄専違先師之義成偏執之心〔専ら先師之義に違て偏執之心を成す〕等云云。又云く ̄凡厥師資之道闕一不可〔凡そその師資之道一を闕くも不可なり〕等云云。此宣旨のごとくならば、慈覚・智証こそ、専ら先師にそむく人にては候へ。
<中略>
第三の慈覚大師は始めは伝教の御弟子ににたり。御年四十にて漢土にわたりてより、名は伝教の御弟子、其跡をばつがせ給へども、法門は全く御弟子にあらず。
<中略>
されば叡山の仏法は但伝教大師・義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。天台の座主すでに真言の座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、其主は真言師なり。されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給ふ人なり。已今当の経文をやぶらせ給ふは、あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや。弘法大師こそ第一の謗法の人とをもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事(ひがごと)なり。
<中略>
慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とがごとくなるゆへに、智人も迷ひ愚人もあやまりて候て、此四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州皆謗法の者となりぬ。
<中略>
慈覚大師の夢に日輪をい(射)しと、弘法大師の大妄語に云く 弘仁九年の春大疫をいのりしかば夜中に大日輪出現せりと云云。成劫より已来住劫の第九の減、已上二十九劫が間に日輪夜中に出でしという事なし。慈覚大師は夢に日輪をいるという。内典五千七千、外典三千余巻に、日輪をいるとゆめにみるは吉夢という事有りやいなや。ゴ羅は帝釈をあだみて日天をいたてまつる。其矢かへりて我が眼にたつ。殷の紂王は日天を的にいて身を亡す。日本の神武天皇の御時、度美長(とみのおさ)と五瀬命(いつせのみこと)と合戦ありしに、命の手に矢たつ。命の云く 我はこれ日天(ひのかみ)の子孫(うみのこ)なり。日に向かひ奉りて弓をひくゆへに、日天のせめをかをほれりと云云。阿闍世王は仏に帰しまいらせて、内裏に返りてぎよしん(御寝)なりしが、をどろいて諸臣に向て云く 日輪天より地に落とゆめにみる。諸臣の云く 仏の御入滅か云云。須跋陀羅がゆめ又かくのごとし。我国は殊にいむ(忌)べきゆめなり。神をば天照という。国をば日本という。又教主釈尊をば日種と申す。摩耶夫人日をはらむとゆめにみてまうけ給へる太子なり。
慈覚大師は大日如来を叡山に立て釈迦仏をすて、真言の三部経をあがめて法華経の三部の敵となりしゆへに、此夢出現せり。例せば漢土の善導が始めは密州の明勝といゐし者に値ふて、法華経をよみたりしが、後には道綽に値ふて法華経をすて、観経に依りて疏をつくり、法華経をば千中無一、念仏をば十即十生百即百生と定めて、此義を成ぜんがために阿弥陀仏の御前にして祈誓をなす。仏意に叶ふやいなや、毎夜夢中常有一僧 而来指授(毎夜夢の中常にひとりの僧有り、来りて指授す)と云云。乃至 一如経法〔もっぱら経法の如くせよ〕乃至 観念法門経等云云。法華経には_若有聞法者無一不成仏〔若し法を聞く者有れば一として成仏せざる無し〕。善導は千中無一〔千が中に一も無し〕等云云。法華経と善導とは水火也。善導は観経をば十即十生百即百生と。無量義経に云く_観経は未顕真実〔未だ真実を顕さず〕等云云。無量義経と楊柳房とは天地也。此を阿弥陀仏の僧と成りて来て真なりと証せばあに真事ならんや。抑も阿弥陀は法華経の座に来りて、舌をば出し給はざりけるか。観音・勢至は法華経の座にはなかりけるか。此をもてをもへ、慈覚大師の御夢はわざわひなり。
『報恩抄』
恐らくは中古の天台宗の慈覚・智証の両大師も天台・伝教の善知識に違背して、心、無畏・不空等の悪友に遷れり。
『四信五品抄』
而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給ふ。所謂真言・法華斉等也。譬へば鳥の二の翼、人の両目の如し。又叡山も八宗なるべしと云云。此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども、心は東寺里中の塵にはじまはる。本師の遺跡を紹継する様にて、還りて聖人の正義を忽諸し給へり。法華経の於諸経中。最在其上。の上の字を、うちかへして大日経の下に置き、先づ大師の怨敵なるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵となり給ふ。
『下山御消息』
伝教大師の御弟子に円仁という人あり。後に慈覚大師とがうす。去る承和五年の御入唐、同じき十四年に御帰朝、十年が間真言・天台の二宗をがく(学)す。日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習ひきわめたる上、漢土にわたりて十年が間八ヶの大徳にあひて真言を習ひ、宗叡・志遠等に値ひ給ひて天台宗を習ふ。日本に帰朝して云く 天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり。倶に深秘なり等云云。宣旨を申してこれにそう(添)。
其の後円珍と申す人あり。後には智証大師とがうす。入唐已前には義真和尚の御弟子なり。日本国にして義真・円澄・円仁等の人々に天台・真言の二宗を習ひ極めたり。其の上去る仁嘉三年に御入唐、貞観元年に御帰朝、七年が間天台・真言の二宗を法全・良・等の人々に習ひきわむ。天台・真言の二宗の勝劣鏡をかけたり。後代に一定あらそひありなん、を存ぜん人々をば祖師伝教大師にそむく人なり、山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給ひき。されば漢土・日本に智者多しというとも此の義をやぶる人はあるべからず。此の義まことならば習ふ人々は必ずほとけにならせ給ひぬらん。あがめさせ給ふ国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。
『随自意御書』
又天台の真言師は慈覚大師を本とせり。叡山の三千人もこれを信ずる上、随て代代の賢王の御世に勅宣を下す。其の勅宣のせん(詮)は法華経と大日経とは同醍醐、譬へば鳥の両翼、人の左右の眼等云云。今の世の一切の真言師は此の義をすぎず。此れ等は螢火を日月に越ゆとをもひ、蚯蚓を花山より高しという義なり。
『破良観等御書』
慈覚、智証短才にして二人の身は当山に居ながら、心は東寺の弘法に同意するかの故に、我大師には背て始て叡山に真言宗を立てぬ。日本亡国の起り是也。
『頼基陳状(三位房龍象房問答記)』
又慈覚大師は下野の国の人、広智菩薩の弟子なり。大同三年御歳十五にして伝教大師の弟子となりて叡山に登りて十五年の間六宗を習ひ、法華、真言の二宗を習ひ伝へ、承和五年に御入唐、漢土の会昌天子の御宇なり。法全、元政、義真、宝月、宗叡、志遠等の天台、真言の碩学に値ひ奉りて顕、密の二道を習ひ極め給ふ。其の上、殊に真言の秘教は十年の間功を尽し給ふ。大日如来よりは九代なり。嘉祥元年仁明天皇の御師となり給ふなり。仁寿、斉衡に金剛頂経、悉蘇地経の二経の疏を造り、叡山に総持院を建立して第三の座主となり給ふ。天台の真言これよりはじまる。
又智証大師は讃岐の国の人、天長四年御年十四、叡山に登りて義真和尚の御弟子となり給ふ。日本国にては義真、慈覚、円澄、別当等の諸徳に八宗を習ひ伝へ、去る仁寿元年に文徳天皇の勅を給ひて漢土に入り、宣宗皇帝の大中年中に、法全、良?和尚等の諸大師に七年の間、顕、密の二教、習ひ極め給ひて、去る天安二年に御帰朝、文徳、清和等の皇帝の御師なり。何れも現の為め、当の為め月の如く日の如く、代代の明主、時時の臣民、信仰余り有り帰依怠りなし。故に愚痴の一切偏に信ずるばかりなり。
『本尊問答鈔』
其後又伝教大師の御弟子慈覚と申人、漢土にわたりて天台、真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す。此人金剛頂経、蘇悉地経二部の疏をつしりて、前唐院と申寺を叡山に申立畢ぬ。此には大日経第一、法華経第二、其中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむにせうせう申畢ぬ。智証大師又此大師のあとをついで、をんじやう(園城)寺に弘通せり。たうじ寺とて国のわざはい(禍)とみゆる寺是也。叡山の三千人は慈覚、智証をはせずは、真言すぐれたりと申をばもちいぬ人もありなん。円仁大師に一切の諸人くち(口)をふさがれ、心をたぼらかされてことば(言)をいだす人なし。王、臣の御きえ(帰依)も又伝教、弘法にも超過してみへ候へば、えい (叡)山、七寺、日本一州一同に法華経は大日経にをとりと云云。
『曾谷殿御返事』
第四の慈覚、智証、存外に本師伝教、義真に背きて、理同事勝の狂言を本として、我が山の戒法をあなづリて戯論とわらひし故に、存外に延暦寺の戒、清浄無染の中道の妙戒なりしが、徒らに土泥となりぬる事云ふても余りあり、歎きても何かはせん。
『三大秘法稟承事』
<中略>
慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、以箭射日〔箭を以て日を射る〕と見しは此の事なるべし。是れは慈覚大師の心中に修羅の入って法華経の大日輪を射るにあらずや。此の法門は当世叡山其の外日本国の人用ふべき哉。
『曾谷入道殿御書』
又慈覚大師御入唐以後、本師伝教大師に背かせ給いて、叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに、日を射るに日輪動転すと云う夢想を御覧じて、四百余年の間諸人是れを吉夢と思えり。日本国は殊に忌むべき夢なり。殷の紂王日輪を的にして射るに依って身亡びたり。此の御夢想は権化の事なりとも能く能く思惟あるべき歟。仍って九牛の一毛註する所件の如し。
『祈祷鈔』
慈覚・智証の二大師、大日の権教を以て法華の実経を破壊せり。
『大田殿許御書』
慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なり。しかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもえり。此の人真言宗と法華宗の奥義を極めさせ給ひて候が、真言は法華経に勝れたりとかゝせ給へり。而るを叡山三千人の大衆、日本一州の学者等一同帰伏の宗義なり。弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給へるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもつてをもうに、真言宗の法華経に勝れたることは一定なり。日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに、慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし。されば東寺第一のかたうど(方人)慈覚大師にはすぐべからず。
<中略>
第三の慈覚大師御入唐、漢土にわたりて十年が間、顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう。又天台宗の人々広修・維・等にならわせ給ひしかども、心の内におぼしけるは、真言宗は天台宗には勝れたりけり。我が師伝教大師はいまだ此の事をばくわしく習はせ給はざりけり。漢土に久しくもわたらせ給はざりける故に、此の法門はあらうち(荒唐)にみ(見)をはしけるやとをぼして、日本国に帰朝し、叡山東塔止観院の西に惣持院と申す大講堂を立て、御本尊は金剛界の大日如来、此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻をつくる。
此の疏の肝心の釈に云く ̄教有二種。一顕示教謂三乗教。世俗勝義未円融故。二秘密教謂一乗教。世俗勝義一体融故。秘密教中亦有二種。一理秘密教諸華厳・般若・維摩・法華・涅槃等。但説世俗勝義不二 未説真言密印事故。二事理倶密教謂大日経・金剛頂経・蘇悉地経等。亦説世俗勝義不二亦説真言密印事故〔教に二種有り。一には顕示教、謂く三乗教なり。世俗と勝義と未だ円融せざる故に。二には秘密教、謂く一乗教なり。世俗と勝義と一体にして融する故に。秘密教の中に亦二種有り。一には理秘密教、諸の華厳・般若・維摩・法華・涅槃等なり。但世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に。二には事理倶密の教、謂く大日経・金剛頂経・蘇悉地経等なり。亦世俗と勝義との不二を説き、亦真言密印の事を説く故に〕等云云。釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給ふに、真言の三部経と法華経とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり。しかれども密印と真言等の事法は法華経はかけてをはせず。法華経は理秘密、真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり。しかも此の筆は私の釈にはあらず。善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせども、なをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑ひをさんぜんとやおぼしけん。
大師[慈覚也]の伝に云く ̄大師造二経疏成功已畢中心独謂此疏通仏意否乎。若不通仏意者不流伝於世矣。仍安置仏像前七日七夜翹企深誠勤修祈請。至五日五更夢当于正午仰見日輪而以弓射之其箭当日輪日輪即転動。夢覚之後深悟通達於仏意可伝於後世〔大師二経の疏を造り、功を成し畢りて中心独り謂らく、此の疏仏意に通ずるや否や。若し仏意に通ぜざれば世に流伝せず。仍て仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す。五日の五更に至りて夢らく、正午に当て日輪を仰ぎ見る、弓を以て之を射る、其の箭日輪に当て日輪即ち転動す。夢覚て之後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝ふべし〕等云云。
慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習ひ極め、異朝にしては八大徳竝びに南天の宝月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわせさせ給へる上、二経の疏をつくり了り、重ねて本尊に祈請をなすに、智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給ひ、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給ひ、天台座主を真言の官主となし、真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間、碩学稲麻のごとし、渇仰竹葦に同じ。されば桓武・伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ、官をなし寺をあづけたぶ。仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり。
<中略>
又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の師子の身の中の三虫なり。此れ等の大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば、天神もをしみ、地祇もいからせ給ひて、災夭も大に起るなり。
『撰時抄』
慈覚大師は、本、伝教大師に稟くると雖も、本を捨て末に付き、入唐之間、真言家の人々之を誑惑する間、又大日経と法華経と理同事勝と云云。賢きに似たれども但善無畏の僻見を出でざるのみ。
『大学三郎御書』
されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、漢土にわたりては又天台・真言の明師に値ひて有りしかども、二宗の勝劣は思ひ定めざりけるか。或は真言はすぐれ、或は法華すぐれ、或は理同事勝等云云。宣旨を申し下すには、二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり。 此等は皆自語相違といゐぬべし。
<中略>
慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とはなのらせ給へども、心は御弟子にあらず。其故は此書に云く ̄謹著依憑集一巻贈同我後哲〔謹んで依憑集一巻を著して同我の後哲に贈る〕等云云。同我の二字は、真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ、同我にてはあるべけれ。我と申し下さるる宣旨に云く ̄専違先師之義成偏執之心〔専ら先師之義に違て偏執之心を成す〕等云云。又云く ̄凡厥師資之道闕一不可〔凡そその師資之道一を闕くも不可なり〕等云云。此宣旨のごとくならば、慈覚・智証こそ、専ら先師にそむく人にては候へ。
<中略>
第三の慈覚大師は始めは伝教の御弟子ににたり。御年四十にて漢土にわたりてより、名は伝教の御弟子、其跡をばつがせ給へども、法門は全く御弟子にあらず。
<中略>
されば叡山の仏法は但伝教大師・義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。天台の座主すでに真言の座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、其主は真言師なり。されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給ふ人なり。已今当の経文をやぶらせ給ふは、あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや。弘法大師こそ第一の謗法の人とをもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事(ひがごと)なり。
<中略>
慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とがごとくなるゆへに、智人も迷ひ愚人もあやまりて候て、此四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州皆謗法の者となりぬ。
<中略>
慈覚大師の夢に日輪をい(射)しと、弘法大師の大妄語に云く 弘仁九年の春大疫をいのりしかば夜中に大日輪出現せりと云云。成劫より已来住劫の第九の減、已上二十九劫が間に日輪夜中に出でしという事なし。慈覚大師は夢に日輪をいるという。内典五千七千、外典三千余巻に、日輪をいるとゆめにみるは吉夢という事有りやいなや。ゴ羅は帝釈をあだみて日天をいたてまつる。其矢かへりて我が眼にたつ。殷の紂王は日天を的にいて身を亡す。日本の神武天皇の御時、度美長(とみのおさ)と五瀬命(いつせのみこと)と合戦ありしに、命の手に矢たつ。命の云く 我はこれ日天(ひのかみ)の子孫(うみのこ)なり。日に向かひ奉りて弓をひくゆへに、日天のせめをかをほれりと云云。阿闍世王は仏に帰しまいらせて、内裏に返りてぎよしん(御寝)なりしが、をどろいて諸臣に向て云く 日輪天より地に落とゆめにみる。諸臣の云く 仏の御入滅か云云。須跋陀羅がゆめ又かくのごとし。我国は殊にいむ(忌)べきゆめなり。神をば天照という。国をば日本という。又教主釈尊をば日種と申す。摩耶夫人日をはらむとゆめにみてまうけ給へる太子なり。
慈覚大師は大日如来を叡山に立て釈迦仏をすて、真言の三部経をあがめて法華経の三部の敵となりしゆへに、此夢出現せり。例せば漢土の善導が始めは密州の明勝といゐし者に値ふて、法華経をよみたりしが、後には道綽に値ふて法華経をすて、観経に依りて疏をつくり、法華経をば千中無一、念仏をば十即十生百即百生と定めて、此義を成ぜんがために阿弥陀仏の御前にして祈誓をなす。仏意に叶ふやいなや、毎夜夢中常有一僧 而来指授(毎夜夢の中常にひとりの僧有り、来りて指授す)と云云。乃至 一如経法〔もっぱら経法の如くせよ〕乃至 観念法門経等云云。法華経には_若有聞法者無一不成仏〔若し法を聞く者有れば一として成仏せざる無し〕。善導は千中無一〔千が中に一も無し〕等云云。法華経と善導とは水火也。善導は観経をば十即十生百即百生と。無量義経に云く_観経は未顕真実〔未だ真実を顕さず〕等云云。無量義経と楊柳房とは天地也。此を阿弥陀仏の僧と成りて来て真なりと証せばあに真事ならんや。抑も阿弥陀は法華経の座に来りて、舌をば出し給はざりけるか。観音・勢至は法華経の座にはなかりけるか。此をもてをもへ、慈覚大師の御夢はわざわひなり。
『報恩抄』
恐らくは中古の天台宗の慈覚・智証の両大師も天台・伝教の善知識に違背して、心、無畏・不空等の悪友に遷れり。
『四信五品抄』
而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給ふ。所謂真言・法華斉等也。譬へば鳥の二の翼、人の両目の如し。又叡山も八宗なるべしと云云。此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども、心は東寺里中の塵にはじまはる。本師の遺跡を紹継する様にて、還りて聖人の正義を忽諸し給へり。法華経の於諸経中。最在其上。の上の字を、うちかへして大日経の下に置き、先づ大師の怨敵なるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵となり給ふ。
『下山御消息』
伝教大師の御弟子に円仁という人あり。後に慈覚大師とがうす。去る承和五年の御入唐、同じき十四年に御帰朝、十年が間真言・天台の二宗をがく(学)す。日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習ひきわめたる上、漢土にわたりて十年が間八ヶの大徳にあひて真言を習ひ、宗叡・志遠等に値ひ給ひて天台宗を習ふ。日本に帰朝して云く 天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり。倶に深秘なり等云云。宣旨を申してこれにそう(添)。
其の後円珍と申す人あり。後には智証大師とがうす。入唐已前には義真和尚の御弟子なり。日本国にして義真・円澄・円仁等の人々に天台・真言の二宗を習ひ極めたり。其の上去る仁嘉三年に御入唐、貞観元年に御帰朝、七年が間天台・真言の二宗を法全・良・等の人々に習ひきわむ。天台・真言の二宗の勝劣鏡をかけたり。後代に一定あらそひありなん、を存ぜん人々をば祖師伝教大師にそむく人なり、山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給ひき。されば漢土・日本に智者多しというとも此の義をやぶる人はあるべからず。此の義まことならば習ふ人々は必ずほとけにならせ給ひぬらん。あがめさせ給ふ国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。
『随自意御書』
又天台の真言師は慈覚大師を本とせり。叡山の三千人もこれを信ずる上、随て代代の賢王の御世に勅宣を下す。其の勅宣のせん(詮)は法華経と大日経とは同醍醐、譬へば鳥の両翼、人の左右の眼等云云。今の世の一切の真言師は此の義をすぎず。此れ等は螢火を日月に越ゆとをもひ、蚯蚓を花山より高しという義なり。
『破良観等御書』
慈覚、智証短才にして二人の身は当山に居ながら、心は東寺の弘法に同意するかの故に、我大師には背て始て叡山に真言宗を立てぬ。日本亡国の起り是也。
『頼基陳状(三位房龍象房問答記)』
又慈覚大師は下野の国の人、広智菩薩の弟子なり。大同三年御歳十五にして伝教大師の弟子となりて叡山に登りて十五年の間六宗を習ひ、法華、真言の二宗を習ひ伝へ、承和五年に御入唐、漢土の会昌天子の御宇なり。法全、元政、義真、宝月、宗叡、志遠等の天台、真言の碩学に値ひ奉りて顕、密の二道を習ひ極め給ふ。其の上、殊に真言の秘教は十年の間功を尽し給ふ。大日如来よりは九代なり。嘉祥元年仁明天皇の御師となり給ふなり。仁寿、斉衡に金剛頂経、悉蘇地経の二経の疏を造り、叡山に総持院を建立して第三の座主となり給ふ。天台の真言これよりはじまる。
又智証大師は讃岐の国の人、天長四年御年十四、叡山に登りて義真和尚の御弟子となり給ふ。日本国にては義真、慈覚、円澄、別当等の諸徳に八宗を習ひ伝へ、去る仁寿元年に文徳天皇の勅を給ひて漢土に入り、宣宗皇帝の大中年中に、法全、良?和尚等の諸大師に七年の間、顕、密の二教、習ひ極め給ひて、去る天安二年に御帰朝、文徳、清和等の皇帝の御師なり。何れも現の為め、当の為め月の如く日の如く、代代の明主、時時の臣民、信仰余り有り帰依怠りなし。故に愚痴の一切偏に信ずるばかりなり。
『本尊問答鈔』
其後又伝教大師の御弟子慈覚と申人、漢土にわたりて天台、真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す。此人金剛頂経、蘇悉地経二部の疏をつしりて、前唐院と申寺を叡山に申立畢ぬ。此には大日経第一、法華経第二、其中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむにせうせう申畢ぬ。智証大師又此大師のあとをついで、をんじやう(園城)寺に弘通せり。たうじ寺とて国のわざはい(禍)とみゆる寺是也。叡山の三千人は慈覚、智証をはせずは、真言すぐれたりと申をばもちいぬ人もありなん。円仁大師に一切の諸人くち(口)をふさがれ、心をたぼらかされてことば(言)をいだす人なし。王、臣の御きえ(帰依)も又伝教、弘法にも超過してみへ候へば、えい (叡)山、七寺、日本一州一同に法華経は大日経にをとりと云云。
『曾谷殿御返事』
第四の慈覚、智証、存外に本師伝教、義真に背きて、理同事勝の狂言を本として、我が山の戒法をあなづリて戯論とわらひし故に、存外に延暦寺の戒、清浄無染の中道の妙戒なりしが、徒らに土泥となりぬる事云ふても余りあり、歎きても何かはせん。
『三大秘法稟承事』
弘法大師とは
弘法大師云く 第一大日経・第二華厳経・第三法華経と能く能く此の次第を案ずべし。仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給えるや。もし第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給える経あるならば尤も然るべし。其の義なくんば甚だ以って依用し難し。法華経に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕等云云。仏正しく諸経を挙げて其の中に於いて法華第一と説き給う。仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり。尋ね究むべき事也。
『祈祷鈔』
而るに弘法大師一人のみ、法華経を華厳・大日之二経に相対して於戯論盗人と為す。所詮、釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉ぢて之を案ぜよ。
『曾谷入道殿許御書』
弘法大師は同じき延暦年中に御入唐、青龍寺の慧果に値ひ給ひて真言宗をならわせ給へり。御帰朝の後、一代の勝劣を判じ給ひけるには、第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候。此の大師は世間の人々はもつてのほかに重んずる人なり。但し仏法の事は申すにをそれあれども、もつてのほかにあらき(荒量)事どもはんべり。此の事をあらあらかんがへたるに、漢土にわたらせ給ひては、但真言の事相の印・真言計り習ひつたえて、其の義理をばくわしくもさはぐらせ給はざりけるほどに、日本にわたりて後、大に世間を見れば天台宗もつてのほかにかさみたりければ、我が重んずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに、本日本国にして習ひたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり。それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん。すこしいろをかえて、此れは大日経、龍猛菩薩の菩提心論、善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども、天台宗の人々いたうとがめ申す事なし。
『撰時抄』
弘法大師は神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に、守敏と申せし人すゝんで云く 弘法は下臈なり。我は上臈なり。まづをほせをかほるべしと申す。こう(請)に随ひて守敏をこなう。七日と申すには大雨下る。しかれども京中計りにて田舎にふらず。弘法にをほせつけられてありしかば、七日にふらず、二七日にふらず、三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給ひき。而るを東寺の門人等、我が師の雨とがうす。くはしくは日記をひいて習ふべし。
<中略>
弘法大師の三七日に雨下らずして候を、天子の雨を我が雨と申すは、又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く 弘仁九年の春、疫れいをいのりてありしかば、夜中に日いでたりと云云。かゝるそらごとをいう人なり。此の事は日蓮が門下第一の秘事なり。本分をとりつめ(取詰)ていうべし。
『三三蔵祈雨事』
又石淵の勤操僧正の御弟子に空海と云う人あり。後には弘法大師とがうす。去ぬる延暦二十三年五月十二日に御入唐、漢土にわたりては金剛智・善無畏の両三蔵の第三の御弟子慧果和尚といゐし人に両界を伝受、大同二年十月二十二日に御帰朝、平城天王の御宇なり。桓武天王は御ほうぎよ、平城天王に見参し、御用ひありて御帰依他にことなりしかども、平城ほどもなく嵯峨に世をとられさせ給ひしかば、弘法ひき入れてありし程に、伝教大師は嵯峨の天王弘仁十三年六月四日御入滅。同じき弘仁十四年より弘法大師、王の御師となり、真言宗を立て東寺を給ひ、真言和尚とがうし、此より八宗始る。
一代の勝劣を判じて云く 第一真言大日経・第二華厳・第三は法華涅槃等云云。法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども、華厳経・大日経に望むれば戯論の法なり。教主釈尊は仏なれども、大日如来に向ふれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚(えびす)とのごとし。天台大師は盗人なり。真言の醍醐を盗んで法華経を醍醐というなんどかゝれしかば、法華経はいみじとをもへども、弘法大師にあひぬれば物のかずにもあらず。天竺の外道はさて置きぬ。漢土の南北が法華経は涅槃経に対すれば邪見の経といゐしにもすぐれ、華厳宗が法華経は華厳経に対すれば枝末教と申せしにもこへたり。例せば彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて、其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし。伝教大師御存生ならば、一言は出されべかりける事なり。又義真・円澄・慈覚・智証等もいかに御不審はなかりけるやらん。天下第一の大凶なり。
<中略>
弘法大師は去る天長元年の二月大旱魃のありしに、先には守敏(しゅびん)祈雨して七日が内に雨を下す。但し京中にふりて田舎にそゝがず。次に弘法承取りて一七日に雨気なし、二七日に雲なし。三七日と申せしに、天子より和気の真綱を使者として御幣を神泉苑にまいらせたりしかば雨下る事三日。此をば弘法大師竝びに弟子等此の雨をうばひとり、我が雨として今に四百余年、弘法の雨という。
<中略>
弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論の法と定め、釈迦仏を無明の辺域とかゝせ給へる御ふで(筆)は、智慧かしこからん人は用ふべからず。
<中略>
又六巻(涅槃経)に云く_仏告迦葉 我般涅槃 乃至 後是魔波旬漸当沮壊我之正法。乃至 化作阿羅漢身及仏色身 魔王以此有漏之形作無漏身壊我之正法 等云云。[p1235]
弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云。而も仏身を現ず。此涅槃経には魔有漏の形をもつて仏となつて我正法をやぶらんと記し給ふ。
<中略>
弘法大師は仏身を現じて華厳経・大日経に対して法華経は戯論等云云。仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。
『報恩抄』
大日経は法華経より劣る事七重也。而るを弘法等、顛倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは、法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたる也。水にも非ず乳にも非ず、大日経にも非ず、法華経にも非ず。而も法華経に似たり、大日経に似たり。
大覚世尊是れを集めて涅槃経に記して云く_於我滅後○正法将欲滅尽。爾時多有行悪比丘。乃至 如牧牛女為欲売乳貪多利故。加二分水。乃至 此乳多水。○爾時是経於閻浮提当広流布。是時当有諸悪比丘鈔略是経分作多分能滅正法色香美味。是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義 乃至 安置世間荘厳文飾無義之語。鈔前著後鈔後著前前後著中中著前後。当知如是諸悪比丘是魔伴侶〔我が滅後に於て○正法将に滅尽せんと欲せんとす。爾時に多く悪を行ずる比丘有らん。乃至 牧牛女の如く乳を売るに多く利を貪らんと欲するをもつての故に。二分の水を加ふ。乃至 此の乳、水を多し。○爾の時に、是の経、閻浮提に於て当に広く流布すべし。是の時当に諸の悪比丘有って、是の経を鈔略し、分けて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除せん 乃至 前を鈔して後に著け、後を鈔して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり〕等云云。
『諌曉八幡抄』
第四の巻に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕[文]。此の文の意は霊山会上に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云く、始め華厳より終り涅槃経に至るまで無量無辺の経恒河沙等の数多し。其の中には今の法華経最第一と説かれたり。然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり。
<中略>
同じく第五巻には、最在其上と宣べて大日経・金剛頂経等の無量の経の頂に此の経は有るべしと説かれたるを、弘法大師は最在其下と謂へり。釈尊と弘法と、法華経と宝鑰とは実に以て相違せり。釈尊を捨て奉りて弘法に付くべき歟。又、弘法を捨てゝ釈尊に付き奉るべき歟。又、経文に背ひて人師の言に随ふべき歟。人師の言を捨てゝ金言を仰ぐべき歟。用捨、心に有るべし。
『聖愚問答鈔』
弘法大師は又此れ等にはにるべくもなき僻人なり。所謂法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経等にもをとれり等云云。而るを此の邪義を人に信ぜさせんために、或は大日如来より写瓶せりといゐ、或は我まのあたり霊山にしてきけりといゐ、或は師の慧果和尚の我をほめし、或は三鈷をなげたりなんど申す種種の誑言をかまへたり。愚かな者は今信をとる。
『破良観等御書』
教主釈尊は法華経をば「世尊法久後要当説真実」。多宝仏は「妙法蓮華経皆是真 実」。十方分身の諸仏は「舌相至梵天」とこそ見て候に、弘法大師は法華経をば戯論の法と被書たり。釈尊、多宝、十方の諸仏は「皆是真実」と被説て候。いづれをか信じ候べき。
『頼基陳状』
弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし、一念三千、久遠実成、即身成仏は法華に限れり、是をも真言経にありとなをせり。かゝる謗法の族を責んとするに返て弥怨をなし候。
『大白牛車書』
而るを弘法大師と申す天下第一の自讃毀多の大妄語の人、教大師御入滅の後、対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ。
『下山御消息』
弘法大師の邪義は中中顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。
『曾谷入道殿御書』
『祈祷鈔』
而るに弘法大師一人のみ、法華経を華厳・大日之二経に相対して於戯論盗人と為す。所詮、釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉ぢて之を案ぜよ。
『曾谷入道殿許御書』
弘法大師は同じき延暦年中に御入唐、青龍寺の慧果に値ひ給ひて真言宗をならわせ給へり。御帰朝の後、一代の勝劣を判じ給ひけるには、第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候。此の大師は世間の人々はもつてのほかに重んずる人なり。但し仏法の事は申すにをそれあれども、もつてのほかにあらき(荒量)事どもはんべり。此の事をあらあらかんがへたるに、漢土にわたらせ給ひては、但真言の事相の印・真言計り習ひつたえて、其の義理をばくわしくもさはぐらせ給はざりけるほどに、日本にわたりて後、大に世間を見れば天台宗もつてのほかにかさみたりければ、我が重んずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに、本日本国にして習ひたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり。それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん。すこしいろをかえて、此れは大日経、龍猛菩薩の菩提心論、善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども、天台宗の人々いたうとがめ申す事なし。
『撰時抄』
弘法大師は神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に、守敏と申せし人すゝんで云く 弘法は下臈なり。我は上臈なり。まづをほせをかほるべしと申す。こう(請)に随ひて守敏をこなう。七日と申すには大雨下る。しかれども京中計りにて田舎にふらず。弘法にをほせつけられてありしかば、七日にふらず、二七日にふらず、三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給ひき。而るを東寺の門人等、我が師の雨とがうす。くはしくは日記をひいて習ふべし。
<中略>
弘法大師の三七日に雨下らずして候を、天子の雨を我が雨と申すは、又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く 弘仁九年の春、疫れいをいのりてありしかば、夜中に日いでたりと云云。かゝるそらごとをいう人なり。此の事は日蓮が門下第一の秘事なり。本分をとりつめ(取詰)ていうべし。
『三三蔵祈雨事』
又石淵の勤操僧正の御弟子に空海と云う人あり。後には弘法大師とがうす。去ぬる延暦二十三年五月十二日に御入唐、漢土にわたりては金剛智・善無畏の両三蔵の第三の御弟子慧果和尚といゐし人に両界を伝受、大同二年十月二十二日に御帰朝、平城天王の御宇なり。桓武天王は御ほうぎよ、平城天王に見参し、御用ひありて御帰依他にことなりしかども、平城ほどもなく嵯峨に世をとられさせ給ひしかば、弘法ひき入れてありし程に、伝教大師は嵯峨の天王弘仁十三年六月四日御入滅。同じき弘仁十四年より弘法大師、王の御師となり、真言宗を立て東寺を給ひ、真言和尚とがうし、此より八宗始る。
一代の勝劣を判じて云く 第一真言大日経・第二華厳・第三は法華涅槃等云云。法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども、華厳経・大日経に望むれば戯論の法なり。教主釈尊は仏なれども、大日如来に向ふれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚(えびす)とのごとし。天台大師は盗人なり。真言の醍醐を盗んで法華経を醍醐というなんどかゝれしかば、法華経はいみじとをもへども、弘法大師にあひぬれば物のかずにもあらず。天竺の外道はさて置きぬ。漢土の南北が法華経は涅槃経に対すれば邪見の経といゐしにもすぐれ、華厳宗が法華経は華厳経に対すれば枝末教と申せしにもこへたり。例せば彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて、其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし。伝教大師御存生ならば、一言は出されべかりける事なり。又義真・円澄・慈覚・智証等もいかに御不審はなかりけるやらん。天下第一の大凶なり。
<中略>
弘法大師は去る天長元年の二月大旱魃のありしに、先には守敏(しゅびん)祈雨して七日が内に雨を下す。但し京中にふりて田舎にそゝがず。次に弘法承取りて一七日に雨気なし、二七日に雲なし。三七日と申せしに、天子より和気の真綱を使者として御幣を神泉苑にまいらせたりしかば雨下る事三日。此をば弘法大師竝びに弟子等此の雨をうばひとり、我が雨として今に四百余年、弘法の雨という。
<中略>
弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論の法と定め、釈迦仏を無明の辺域とかゝせ給へる御ふで(筆)は、智慧かしこからん人は用ふべからず。
<中略>
又六巻(涅槃経)に云く_仏告迦葉 我般涅槃 乃至 後是魔波旬漸当沮壊我之正法。乃至 化作阿羅漢身及仏色身 魔王以此有漏之形作無漏身壊我之正法 等云云。[p1235]
弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云。而も仏身を現ず。此涅槃経には魔有漏の形をもつて仏となつて我正法をやぶらんと記し給ふ。
<中略>
弘法大師は仏身を現じて華厳経・大日経に対して法華経は戯論等云云。仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。
『報恩抄』
大日経は法華経より劣る事七重也。而るを弘法等、顛倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは、法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたる也。水にも非ず乳にも非ず、大日経にも非ず、法華経にも非ず。而も法華経に似たり、大日経に似たり。
大覚世尊是れを集めて涅槃経に記して云く_於我滅後○正法将欲滅尽。爾時多有行悪比丘。乃至 如牧牛女為欲売乳貪多利故。加二分水。乃至 此乳多水。○爾時是経於閻浮提当広流布。是時当有諸悪比丘鈔略是経分作多分能滅正法色香美味。是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義 乃至 安置世間荘厳文飾無義之語。鈔前著後鈔後著前前後著中中著前後。当知如是諸悪比丘是魔伴侶〔我が滅後に於て○正法将に滅尽せんと欲せんとす。爾時に多く悪を行ずる比丘有らん。乃至 牧牛女の如く乳を売るに多く利を貪らんと欲するをもつての故に。二分の水を加ふ。乃至 此の乳、水を多し。○爾の時に、是の経、閻浮提に於て当に広く流布すべし。是の時当に諸の悪比丘有って、是の経を鈔略し、分けて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除せん 乃至 前を鈔して後に著け、後を鈔して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり〕等云云。
『諌曉八幡抄』
第四の巻に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕[文]。此の文の意は霊山会上に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云く、始め華厳より終り涅槃経に至るまで無量無辺の経恒河沙等の数多し。其の中には今の法華経最第一と説かれたり。然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり。
<中略>
同じく第五巻には、最在其上と宣べて大日経・金剛頂経等の無量の経の頂に此の経は有るべしと説かれたるを、弘法大師は最在其下と謂へり。釈尊と弘法と、法華経と宝鑰とは実に以て相違せり。釈尊を捨て奉りて弘法に付くべき歟。又、弘法を捨てゝ釈尊に付き奉るべき歟。又、経文に背ひて人師の言に随ふべき歟。人師の言を捨てゝ金言を仰ぐべき歟。用捨、心に有るべし。
『聖愚問答鈔』
弘法大師は又此れ等にはにるべくもなき僻人なり。所謂法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経等にもをとれり等云云。而るを此の邪義を人に信ぜさせんために、或は大日如来より写瓶せりといゐ、或は我まのあたり霊山にしてきけりといゐ、或は師の慧果和尚の我をほめし、或は三鈷をなげたりなんど申す種種の誑言をかまへたり。愚かな者は今信をとる。
『破良観等御書』
教主釈尊は法華経をば「世尊法久後要当説真実」。多宝仏は「妙法蓮華経皆是真 実」。十方分身の諸仏は「舌相至梵天」とこそ見て候に、弘法大師は法華経をば戯論の法と被書たり。釈尊、多宝、十方の諸仏は「皆是真実」と被説て候。いづれをか信じ候べき。
『頼基陳状』
弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし、一念三千、久遠実成、即身成仏は法華に限れり、是をも真言経にありとなをせり。かゝる謗法の族を責んとするに返て弥怨をなし候。
『大白牛車書』
而るを弘法大師と申す天下第一の自讃毀多の大妄語の人、教大師御入滅の後、対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ。
『下山御消息』
弘法大師の邪義は中中顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。
『曾谷入道殿御書』
末代の修行方法(2)
第三に正しく末代の凡夫の善知識を明かさば。
問て云く 善財童子は五十余の知識に値いき。其の中に普賢・文殊・観音・弥勒等有り。常啼・班足・妙荘厳・阿闍世等は曇無竭・普明・耆婆・二子・夫人に値い奉りて生死を離れたり。此れ等は皆大聖也。仏、世を去って之後、是の如き之師を得ること難しと為す。滅後に於て亦龍樹・天親も去りぬ。南岳・天台にも値わず。如何ぞ生死を離るべき乎。
答て曰く 末代に於て真実の善知識有り。所謂法華・涅槃是れ也。
問て云く 人を以て善知識と為すは常の習い也。法を以て知識と為すの証有り乎。
答て云く 人を以て知識と為すは常の習い也。然りと雖も末代に於ては真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り。摩訶止観に云く ̄或従知識或従経巻上聞所説一実菩提〔或は知識に従い、或は経巻に従い、上に説く所の一実の菩提を聞く〕已上。此の文の意は経巻を以て知識と為すなり。
法華経に云く_若法華経。行閻浮提。有受持者。応作此念。皆是普賢。威神之力〔若し法華経の閻浮提に行ぜんを受持することあらん者は、此の念を作すべし、皆是れ普賢威神の力なりと〕已上。此の文の意は末代の凡夫、法華経を信ずるは普賢の善知識の力也。
又云く_若有受持読誦。正憶念。修習書写。是法華経者。当知是人。則見釈迦牟尼仏。如従仏口。聞此経典。当知是人。供養釈迦牟尼仏〔若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり〕已上。此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏也。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世也。
又云く_若我成仏。滅度之後。於十方国土。有説法華経処。我之塔廟。為聴是経故。涌現其前。為作証明〔若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って〕已上。此の文の意は我等法華の名号を唱えば多宝如来本願の故に必ず来りたもう。
又云く_諸仏。在於十方世界説法。尽還集一処〔諸仏十方世界に在して説法したもうを、尽く一処に還し集めて〕已上。釈迦・多宝・十方諸仏・普賢菩薩等は我等が善知識也。若し此の義に依らば、我等も亦宿善、善財・常啼・班足等にも勝れたり。彼等は権経の知識に値い、我等は実経の知識に値えばなり。彼は権経の菩薩に値い、我等は実経の仏菩薩に値い奉ればなり。
涅槃経に云く_依法不依人 依智不依識〔法に依て人に依らざれ〜智に依て識に依らざれ〕已上。依法と云うは法華・涅槃の常住の法也。不依人とは法華・涅槃に依らざる人也。設い仏菩薩為りと雖も法華・涅槃に依らざる仏菩薩は善知識に非ず。況んや法華・涅槃に依らざる論師・訳者・人師に於てを乎。依智とは仏に依る。不依識とは等覚已下也。今の世の世間の道俗、源空之謗法の失を隠さんが為に徳を天下に挙げて権化なりと称す。依用すべからず。外道は五通を得て能く山を傾け海を竭すとも神通無き阿含経の凡夫に及ばず。羅漢を得、六通を現ずる二乗は華厳・方等・般若の凡夫に及ばず。華厳・方等・般若等の等覚の菩薩も法華経の名字・観行の凡夫に及ばず。設い神通智慧有りと雖も権教の善知識をば用うべからず。我等常没の一闡提の凡夫、法華経を信ぜんと欲するは仏性を顕さんが為の先表也。
故に妙楽大師云く ̄自非内薫何能生悟。故知生悟力在真如。故以冥薫為外護也〔内薫に非ざるよりは何ぞ能く悟りを生ぜん。故に知んぬ、悟りを生ずる力は真如に在り。故に冥薫を以て外護と為す也〕已上。法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し。十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず。内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕れず。故に四十余年の権行の者は仏を見ず。設い仏を見ると雖も他仏を見る也。二乗は自仏を見ざるが故に成仏無し。爾前の菩薩も亦自身の十界互具を見ざれば二乗界の成仏を見ず。故に衆生無辺誓願度の願も満足せず。故に菩薩も仏を見ず。凡夫も亦十界互具を知らざるが故に自身の仏界顕れず。故に阿弥陀如来の来迎も無く、諸仏如来の加護も無し。譬えば盲人の自身の影を見ざるが如し。今、法華経に至って九界の仏界を開くが故に、四十余年の菩薩・二乗・六凡始めて自身の仏界を見る。此の時此の人の前に始めて仏・菩薩・二乗を立つ。此の時に二乗・菩薩始めて成仏し、凡夫始めて往生す。是の故に在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是れ也。常途の天台宗の学者は爾前に於て当分の得道を許せども、自義に於ては猶お当分の得道を許さず。然りと雖も此の書に於ては其の義を尽くさず。略して之を記す。追って之を記すべし。
大文の第六に法華・涅槃に依る行者の用心を明かさば。一代の教門の勝劣・浅深・難易等に於ては先の段に既に之を出す。此の一段に於ては一向に後世を念う末代常没の五逆・謗法・一闡提等の愚人の為に之を注す。略して三有り。一には在家の諸人、正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法を持つに依て三悪道に堕することを明かす。二には但法華経の名字計りを唱えて三悪道を離るべきことを明かす。三には涅槃経は法華経の為の流通と成ることを明かす。
第一に在家の諸人、正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法に依て三悪道に堕することを明かさば。
涅槃経第三に云く_仏告迦葉以能護持正法因縁故得成就是金剛身〔仏、迦葉に告げたまわく、能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり〕。亦云く_時有国王名曰有徳 乃至 為護法故 乃至 与是破戒諸悪比丘極共戦闘 乃至 王於是時得聞法已心大歓喜尋即命終生阿・仏国〔時に国王有り、名を有徳と曰う。乃至 護法の為の故に、乃至 是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。乃至 王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿・仏の国に生ず〕。此の文の如くならば在家の諸人、別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依て生死を離るべき也。
問て云く 在家の諸人、仏法を護持すべき様如何。
答て曰く 涅槃経に云く_若有衆生貧著財物我当施財然後以是大涅槃経勧之令読 乃至 先以愛語而随其意 然後漸当以是大乗大涅槃経勧之令読。若凡庶者当以威勢逼之令読。若・慢者我当為其而作僕使随順其意令其歓喜。然後復当以大涅槃而之教導。若有誹大乗経者当以勢力摧之令伏既摧伏已然後勧令読大涅槃。若有愛楽大乗経者我躬当往恭敬供養尊重讃歎〔若し衆生有って財物に貧著せば我当に財を施して然して後に是の大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。乃至 先に愛語を以て而も其の意に随い、然して後に漸く当に是の大乗大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。若し凡庶の者には当に威勢を以て之に逼りて読ましむ。若し・慢の者には我当に其れが為に而も僕使と作り其の意に随順し其れをして歓喜せしむ。然して後に復当に大涅槃を以て而も之を教導す。若し大乗経を誹謗する者有らば、当に勢力を以て之を摧きて伏せしめ既に摧伏し已って然して後に勧めて大涅槃を読ましむ。若し大乗経を愛楽する者有らば、我躬ら当に往いて恭敬し供養し尊重し讃歎すべし〕已上。
問て云く 今の世の道俗偏に選択集に執して、法華・涅槃に於ては自身不相応の念を為す之間、護惜建立の心無し。偶たま邪義の由を称する人有れば念仏誹謗者と称し、悪名を天下に雨らす。斯れ等は如何。
答て曰く 自答を存すべきに非ず。仏自ら此の事を記して云く 仁王経に云く_大王我滅度後未来世中四部弟子諸小国王太子王子乃是住持護三宝者転更滅破三宝如師子身中虫自食師子。非外道也。多壊我仏法得大罪過正教衰薄民無正行以漸為悪其寿日減至于百歳。人壊仏教無復孝子六親不和天神不祐。疾疫悪鬼日来侵害災怪首尾連禍縦横死入地獄餓鬼畜生〔大王、我が滅度の後、未来世の中の四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子・乃ち是の三宝を住持し護る者、転た更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる也。多く我が仏法を壊り、大罪過を得、正教衰薄し、民に正行無く、漸く悪を為すを以て其の寿日に減じて百歳に至らん。人仏教を壊りて復孝子無く、六親不和にして、天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん〕と。
亦次下に云く_大王未来世中諸小国王四部弟子自作此罪破国因縁 乃至 諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語 乃至 当其時正法将滅不久〔大王、未来世の中の諸の小国の王・四部の弟子・自ら此の罪を作るは破国の因縁なり。乃至 諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、乃至 其の時に当たって正法将に滅すべきこと久しからず〕已上。
余、選択集を見るに敢えて此の文の未来記に違わず。選択集は法華・真言等の正法を定めて雑行・難行と云い、末代の我等に於ては時機不相応、之を行ずる者は千中無一。仏還って法華等を説きたもうと雖も法華・真言の諸行の門を閉じて念仏の一門を開く。末代に於て之を行ずる者は群賊等と定め、当世の一切の道俗に於て此の書を信ぜしめ此の義を以て如来の金言と思えり。此の故に世間の道俗、仏法建立の意無く、法華・真言の正法の法水忽ちに竭き、天人減少して三悪日に増長す。偏に選択集の悪法に催されて起こす所の邪見也。此の経文に仏記して_我滅度後と云えるは、正法の末八十年、像法の末八百年、末法の末八千年也。選択集の出る時は像法の末、末法の始めなれば八百年之内也。仁王経に記す所の時節に当たれり。諸小国王とは日本国の王也。中下品の善は粟散王是れ也。如師子身中とは仏弟子の源空是れ也。諸悪比丘とは所化の衆是れ也。説破仏法因縁破国因縁とは上に挙げる所の選択集の語是れ也。其王不別信聴此語とは今の世の道俗邪義を弁えずして猥りに之を信ずる也。請い願わくは、道俗法の邪正を分別して其の後正法に付いて後世を願え。今度人身を失い三悪道に堕して後に後悔すとも何ぞ及ばん。
第二に但法華経の題目計りを唱えて三悪道を離るべきことを明かさば。
法華経の第五に云く_文殊師利。是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞〔文殊師利、是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず〕。第八に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。提婆品に云く_聞妙法華経。提婆達多品。浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生〔妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして〕。大涅槃経名字功徳品に云く_若有善男子善女人聞是経名生悪趣無有是所〔若し善男子・善女人有って是の経の名を聞いて悪趣に生ずというは、是のことわり有ること無けん〕涅槃経は法華経の流通たるが故に之を引く。
問て云く 但法華の題目を聞くと雖も解心無くば如何にして三悪趣を脱れん乎。
答て云く 法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き信を生ずるは、設い今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に此の経の名を聞いて信を致す者也。故に悪道に堕せず。
問て云く 過去の宿善とは如何。
答て云く 法華経の第二に云く_若有信受 此経法者 是人已曾 見過去仏 恭敬供養 亦聞是法〔若し此の経法を 信受すること有らん者 是の人は已に曾て 過去の仏を見たてまつりて 恭敬供養し 亦是の法を聞くけるなり〕。法師品に云く_又如来滅度之後。若有人。聞妙法華経。乃至。一偈一句。一念随喜者 乃至 当知是諸人等。已曽供養。十万億仏〔又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、乃至 当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し〕。涅槃経に云く_若有衆生於煕連河沙等諸仏発菩提心乃能於是悪世受持如是経典不生誹謗。善男子若有能於一恒河沙等諸仏世尊発菩提心然後乃能於悪世中不謗是法愛敬是典〔若し衆生有って煕連河沙等の諸仏に於て菩提心を発し、乃ち能く是の悪世に於て是の如き経典を受持して誹謗を生ぜず。善男子、若し能く一恒河沙等の諸仏世尊に於て菩提心を発すこと有って然して後に乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜずして是の典を愛敬せん〕已上経文。此れ等の文の如くんば、設い先に解心無くとも此の法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生也。
夫れ三悪の生を受けること大地微塵より多く、人間の生を受けること爪上の土より少なし。乃至、四十余年の諸経に値うは大地微塵より多く、法華・涅槃に値うことは爪上の土より少なし。上に挙げる所の涅槃経三十三の文を見るべし。設い一字一句なりと雖も此の経を信ずるは宿縁多幸也。
問て云く 設い法華経を信ずと雖も悪縁に随わば何ぞ三悪道に堕せざらん乎。
答て曰く 解心無き者権教の悪知識に値うて実経を退せば悪師を信ずる失に依て必ず三悪道に堕すべき也。彼の不軽軽毀の衆は権人也。大通結縁の者の三千塵点を歴しは法華経を退して権教に遷りしが故也。法華経を信ずる之輩、法華経之法華経之信を捨て権人に随わんより外は世間の悪業に於ては法華の功徳に及ばず。故に三悪道に堕すべからざる也。
問て云く 日本国は法華・涅槃有縁の地なりや、否や。
答て云く 法華経第八に云く_於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕。七の巻に云く_広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん〕。涅槃経第九に云く_此大乗経典大涅槃経亦復如是。為於南方諸菩薩故当広流布〔此の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し。南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし〕已上経文。三千世界広しと雖も仏自ら法華・涅槃を以て南方流布の所と定む。南方の諸国の中に於ては、日本国は殊に法華経の流布すべき処也。
問て云く 其の証、如何。
答て曰く 肇公の法華翻経後記に云く ̄羅什三蔵奉値須利耶蘇摩三蔵授法華経時語云 仏日隠西山遺耀照東北。茲典有縁東北諸国。汝慎伝弘〔羅什三蔵、須利耶蘇摩三蔵に値い奉りて法華経を授かる時の語に云く 仏日西山に隠れ遺耀東北を照らす。茲の典東北の諸国に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ〕已上。東北とは日本也。西南の天竺より東北の日本を指すなり。故に慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一 朝野遠近同帰一乗 緇素貴賎悉期成仏〔日本一州円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す〕已上。願わくは日本国の今の世の道俗、選択集の久習を捨て、法華・涅槃の現文に依り、肇公・慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ。
問て云く 法華経修行の者、何れの浄土を期す耶。
答て曰く 法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く_我常在此。娑婆世界〔我常に此の娑婆世界に在って〕。亦云く_我常住於此〔我常に此に住すれども〕。亦云く_我此土安穏〔我が此の土は安穏にして〕文。此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て、何れの土を願うべき乎。故に法華経修行の者の所住之処を浄土と思うべし。何ぞ煩わしく他所を求めん乎。故に神力品に云く_若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野 乃至 当知是処。即是道場〔若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、乃至 当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり〕。涅槃経に云く_若善男子是大涅槃微妙経典所流布処当知其地即是金剛。是中諸人亦如金剛〔若し善男子、是の大涅槃微妙の経典流布せらる処は、当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なりと。是の中の諸人も亦金剛の如し〕已上。法華・涅槃を信ずる行者は余処に求むべきに非ず。此の経を信ずる人の所住の処は即ち浄土也。
問て云く 華厳・方等・般若・阿含・観行等の諸経を見るに、兜率・西方・十方の浄土を勧む。其の上法華経の文を見るに、亦兜率・西方・十方の浄土を勧む。何ぞ此れ等の文に違いて但此の瓦礫荊棘の穢土を勧むる乎。
答て曰く 爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所言の浄土にして実には皆穢土也。法華経は亦方便・寿量の二品也。寿量品に至って実の浄土を定むる時、此の土は即ち浄土なりと定め了んぬ。但し兜率・安養・十方の難に至っては、爾前の名目を改めずして此の土に於て兜率・安養等の名を付く。例せば此の経に三乗の名有りと雖も三乗に有らざるが如し。_不須更指観経等也の釈の意是れ也。法華経に結縁無き衆生の当世西方浄土を楽うは瓦礫の土を楽うとは是れ也。法華経を信ぜざる衆生は誠に分添の浄土無き也。
『守護国家論』
問て云く 善財童子は五十余の知識に値いき。其の中に普賢・文殊・観音・弥勒等有り。常啼・班足・妙荘厳・阿闍世等は曇無竭・普明・耆婆・二子・夫人に値い奉りて生死を離れたり。此れ等は皆大聖也。仏、世を去って之後、是の如き之師を得ること難しと為す。滅後に於て亦龍樹・天親も去りぬ。南岳・天台にも値わず。如何ぞ生死を離るべき乎。
答て曰く 末代に於て真実の善知識有り。所謂法華・涅槃是れ也。
問て云く 人を以て善知識と為すは常の習い也。法を以て知識と為すの証有り乎。
答て云く 人を以て知識と為すは常の習い也。然りと雖も末代に於ては真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り。摩訶止観に云く ̄或従知識或従経巻上聞所説一実菩提〔或は知識に従い、或は経巻に従い、上に説く所の一実の菩提を聞く〕已上。此の文の意は経巻を以て知識と為すなり。
法華経に云く_若法華経。行閻浮提。有受持者。応作此念。皆是普賢。威神之力〔若し法華経の閻浮提に行ぜんを受持することあらん者は、此の念を作すべし、皆是れ普賢威神の力なりと〕已上。此の文の意は末代の凡夫、法華経を信ずるは普賢の善知識の力也。
又云く_若有受持読誦。正憶念。修習書写。是法華経者。当知是人。則見釈迦牟尼仏。如従仏口。聞此経典。当知是人。供養釈迦牟尼仏〔若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり〕已上。此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏也。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世也。
又云く_若我成仏。滅度之後。於十方国土。有説法華経処。我之塔廟。為聴是経故。涌現其前。為作証明〔若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って〕已上。此の文の意は我等法華の名号を唱えば多宝如来本願の故に必ず来りたもう。
又云く_諸仏。在於十方世界説法。尽還集一処〔諸仏十方世界に在して説法したもうを、尽く一処に還し集めて〕已上。釈迦・多宝・十方諸仏・普賢菩薩等は我等が善知識也。若し此の義に依らば、我等も亦宿善、善財・常啼・班足等にも勝れたり。彼等は権経の知識に値い、我等は実経の知識に値えばなり。彼は権経の菩薩に値い、我等は実経の仏菩薩に値い奉ればなり。
涅槃経に云く_依法不依人 依智不依識〔法に依て人に依らざれ〜智に依て識に依らざれ〕已上。依法と云うは法華・涅槃の常住の法也。不依人とは法華・涅槃に依らざる人也。設い仏菩薩為りと雖も法華・涅槃に依らざる仏菩薩は善知識に非ず。況んや法華・涅槃に依らざる論師・訳者・人師に於てを乎。依智とは仏に依る。不依識とは等覚已下也。今の世の世間の道俗、源空之謗法の失を隠さんが為に徳を天下に挙げて権化なりと称す。依用すべからず。外道は五通を得て能く山を傾け海を竭すとも神通無き阿含経の凡夫に及ばず。羅漢を得、六通を現ずる二乗は華厳・方等・般若の凡夫に及ばず。華厳・方等・般若等の等覚の菩薩も法華経の名字・観行の凡夫に及ばず。設い神通智慧有りと雖も権教の善知識をば用うべからず。我等常没の一闡提の凡夫、法華経を信ぜんと欲するは仏性を顕さんが為の先表也。
故に妙楽大師云く ̄自非内薫何能生悟。故知生悟力在真如。故以冥薫為外護也〔内薫に非ざるよりは何ぞ能く悟りを生ぜん。故に知んぬ、悟りを生ずる力は真如に在り。故に冥薫を以て外護と為す也〕已上。法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し。十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず。内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕れず。故に四十余年の権行の者は仏を見ず。設い仏を見ると雖も他仏を見る也。二乗は自仏を見ざるが故に成仏無し。爾前の菩薩も亦自身の十界互具を見ざれば二乗界の成仏を見ず。故に衆生無辺誓願度の願も満足せず。故に菩薩も仏を見ず。凡夫も亦十界互具を知らざるが故に自身の仏界顕れず。故に阿弥陀如来の来迎も無く、諸仏如来の加護も無し。譬えば盲人の自身の影を見ざるが如し。今、法華経に至って九界の仏界を開くが故に、四十余年の菩薩・二乗・六凡始めて自身の仏界を見る。此の時此の人の前に始めて仏・菩薩・二乗を立つ。此の時に二乗・菩薩始めて成仏し、凡夫始めて往生す。是の故に在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是れ也。常途の天台宗の学者は爾前に於て当分の得道を許せども、自義に於ては猶お当分の得道を許さず。然りと雖も此の書に於ては其の義を尽くさず。略して之を記す。追って之を記すべし。
大文の第六に法華・涅槃に依る行者の用心を明かさば。一代の教門の勝劣・浅深・難易等に於ては先の段に既に之を出す。此の一段に於ては一向に後世を念う末代常没の五逆・謗法・一闡提等の愚人の為に之を注す。略して三有り。一には在家の諸人、正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法を持つに依て三悪道に堕することを明かす。二には但法華経の名字計りを唱えて三悪道を離るべきことを明かす。三には涅槃経は法華経の為の流通と成ることを明かす。
第一に在家の諸人、正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法に依て三悪道に堕することを明かさば。
涅槃経第三に云く_仏告迦葉以能護持正法因縁故得成就是金剛身〔仏、迦葉に告げたまわく、能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり〕。亦云く_時有国王名曰有徳 乃至 為護法故 乃至 与是破戒諸悪比丘極共戦闘 乃至 王於是時得聞法已心大歓喜尋即命終生阿・仏国〔時に国王有り、名を有徳と曰う。乃至 護法の為の故に、乃至 是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。乃至 王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿・仏の国に生ず〕。此の文の如くならば在家の諸人、別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依て生死を離るべき也。
問て云く 在家の諸人、仏法を護持すべき様如何。
答て曰く 涅槃経に云く_若有衆生貧著財物我当施財然後以是大涅槃経勧之令読 乃至 先以愛語而随其意 然後漸当以是大乗大涅槃経勧之令読。若凡庶者当以威勢逼之令読。若・慢者我当為其而作僕使随順其意令其歓喜。然後復当以大涅槃而之教導。若有誹大乗経者当以勢力摧之令伏既摧伏已然後勧令読大涅槃。若有愛楽大乗経者我躬当往恭敬供養尊重讃歎〔若し衆生有って財物に貧著せば我当に財を施して然して後に是の大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。乃至 先に愛語を以て而も其の意に随い、然して後に漸く当に是の大乗大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。若し凡庶の者には当に威勢を以て之に逼りて読ましむ。若し・慢の者には我当に其れが為に而も僕使と作り其の意に随順し其れをして歓喜せしむ。然して後に復当に大涅槃を以て而も之を教導す。若し大乗経を誹謗する者有らば、当に勢力を以て之を摧きて伏せしめ既に摧伏し已って然して後に勧めて大涅槃を読ましむ。若し大乗経を愛楽する者有らば、我躬ら当に往いて恭敬し供養し尊重し讃歎すべし〕已上。
問て云く 今の世の道俗偏に選択集に執して、法華・涅槃に於ては自身不相応の念を為す之間、護惜建立の心無し。偶たま邪義の由を称する人有れば念仏誹謗者と称し、悪名を天下に雨らす。斯れ等は如何。
答て曰く 自答を存すべきに非ず。仏自ら此の事を記して云く 仁王経に云く_大王我滅度後未来世中四部弟子諸小国王太子王子乃是住持護三宝者転更滅破三宝如師子身中虫自食師子。非外道也。多壊我仏法得大罪過正教衰薄民無正行以漸為悪其寿日減至于百歳。人壊仏教無復孝子六親不和天神不祐。疾疫悪鬼日来侵害災怪首尾連禍縦横死入地獄餓鬼畜生〔大王、我が滅度の後、未来世の中の四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子・乃ち是の三宝を住持し護る者、転た更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる也。多く我が仏法を壊り、大罪過を得、正教衰薄し、民に正行無く、漸く悪を為すを以て其の寿日に減じて百歳に至らん。人仏教を壊りて復孝子無く、六親不和にして、天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん〕と。
亦次下に云く_大王未来世中諸小国王四部弟子自作此罪破国因縁 乃至 諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語 乃至 当其時正法将滅不久〔大王、未来世の中の諸の小国の王・四部の弟子・自ら此の罪を作るは破国の因縁なり。乃至 諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、乃至 其の時に当たって正法将に滅すべきこと久しからず〕已上。
余、選択集を見るに敢えて此の文の未来記に違わず。選択集は法華・真言等の正法を定めて雑行・難行と云い、末代の我等に於ては時機不相応、之を行ずる者は千中無一。仏還って法華等を説きたもうと雖も法華・真言の諸行の門を閉じて念仏の一門を開く。末代に於て之を行ずる者は群賊等と定め、当世の一切の道俗に於て此の書を信ぜしめ此の義を以て如来の金言と思えり。此の故に世間の道俗、仏法建立の意無く、法華・真言の正法の法水忽ちに竭き、天人減少して三悪日に増長す。偏に選択集の悪法に催されて起こす所の邪見也。此の経文に仏記して_我滅度後と云えるは、正法の末八十年、像法の末八百年、末法の末八千年也。選択集の出る時は像法の末、末法の始めなれば八百年之内也。仁王経に記す所の時節に当たれり。諸小国王とは日本国の王也。中下品の善は粟散王是れ也。如師子身中とは仏弟子の源空是れ也。諸悪比丘とは所化の衆是れ也。説破仏法因縁破国因縁とは上に挙げる所の選択集の語是れ也。其王不別信聴此語とは今の世の道俗邪義を弁えずして猥りに之を信ずる也。請い願わくは、道俗法の邪正を分別して其の後正法に付いて後世を願え。今度人身を失い三悪道に堕して後に後悔すとも何ぞ及ばん。
第二に但法華経の題目計りを唱えて三悪道を離るべきことを明かさば。
法華経の第五に云く_文殊師利。是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞〔文殊師利、是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず〕。第八に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。提婆品に云く_聞妙法華経。提婆達多品。浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生〔妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして〕。大涅槃経名字功徳品に云く_若有善男子善女人聞是経名生悪趣無有是所〔若し善男子・善女人有って是の経の名を聞いて悪趣に生ずというは、是のことわり有ること無けん〕涅槃経は法華経の流通たるが故に之を引く。
問て云く 但法華の題目を聞くと雖も解心無くば如何にして三悪趣を脱れん乎。
答て云く 法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き信を生ずるは、設い今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に此の経の名を聞いて信を致す者也。故に悪道に堕せず。
問て云く 過去の宿善とは如何。
答て云く 法華経の第二に云く_若有信受 此経法者 是人已曾 見過去仏 恭敬供養 亦聞是法〔若し此の経法を 信受すること有らん者 是の人は已に曾て 過去の仏を見たてまつりて 恭敬供養し 亦是の法を聞くけるなり〕。法師品に云く_又如来滅度之後。若有人。聞妙法華経。乃至。一偈一句。一念随喜者 乃至 当知是諸人等。已曽供養。十万億仏〔又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、乃至 当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し〕。涅槃経に云く_若有衆生於煕連河沙等諸仏発菩提心乃能於是悪世受持如是経典不生誹謗。善男子若有能於一恒河沙等諸仏世尊発菩提心然後乃能於悪世中不謗是法愛敬是典〔若し衆生有って煕連河沙等の諸仏に於て菩提心を発し、乃ち能く是の悪世に於て是の如き経典を受持して誹謗を生ぜず。善男子、若し能く一恒河沙等の諸仏世尊に於て菩提心を発すこと有って然して後に乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜずして是の典を愛敬せん〕已上経文。此れ等の文の如くんば、設い先に解心無くとも此の法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生也。
夫れ三悪の生を受けること大地微塵より多く、人間の生を受けること爪上の土より少なし。乃至、四十余年の諸経に値うは大地微塵より多く、法華・涅槃に値うことは爪上の土より少なし。上に挙げる所の涅槃経三十三の文を見るべし。設い一字一句なりと雖も此の経を信ずるは宿縁多幸也。
問て云く 設い法華経を信ずと雖も悪縁に随わば何ぞ三悪道に堕せざらん乎。
答て曰く 解心無き者権教の悪知識に値うて実経を退せば悪師を信ずる失に依て必ず三悪道に堕すべき也。彼の不軽軽毀の衆は権人也。大通結縁の者の三千塵点を歴しは法華経を退して権教に遷りしが故也。法華経を信ずる之輩、法華経之法華経之信を捨て権人に随わんより外は世間の悪業に於ては法華の功徳に及ばず。故に三悪道に堕すべからざる也。
問て云く 日本国は法華・涅槃有縁の地なりや、否や。
答て云く 法華経第八に云く_於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕。七の巻に云く_広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん〕。涅槃経第九に云く_此大乗経典大涅槃経亦復如是。為於南方諸菩薩故当広流布〔此の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し。南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし〕已上経文。三千世界広しと雖も仏自ら法華・涅槃を以て南方流布の所と定む。南方の諸国の中に於ては、日本国は殊に法華経の流布すべき処也。
問て云く 其の証、如何。
答て曰く 肇公の法華翻経後記に云く ̄羅什三蔵奉値須利耶蘇摩三蔵授法華経時語云 仏日隠西山遺耀照東北。茲典有縁東北諸国。汝慎伝弘〔羅什三蔵、須利耶蘇摩三蔵に値い奉りて法華経を授かる時の語に云く 仏日西山に隠れ遺耀東北を照らす。茲の典東北の諸国に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ〕已上。東北とは日本也。西南の天竺より東北の日本を指すなり。故に慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一 朝野遠近同帰一乗 緇素貴賎悉期成仏〔日本一州円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す〕已上。願わくは日本国の今の世の道俗、選択集の久習を捨て、法華・涅槃の現文に依り、肇公・慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ。
問て云く 法華経修行の者、何れの浄土を期す耶。
答て曰く 法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く_我常在此。娑婆世界〔我常に此の娑婆世界に在って〕。亦云く_我常住於此〔我常に此に住すれども〕。亦云く_我此土安穏〔我が此の土は安穏にして〕文。此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て、何れの土を願うべき乎。故に法華経修行の者の所住之処を浄土と思うべし。何ぞ煩わしく他所を求めん乎。故に神力品に云く_若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野 乃至 当知是処。即是道場〔若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、乃至 当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり〕。涅槃経に云く_若善男子是大涅槃微妙経典所流布処当知其地即是金剛。是中諸人亦如金剛〔若し善男子、是の大涅槃微妙の経典流布せらる処は、当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なりと。是の中の諸人も亦金剛の如し〕已上。法華・涅槃を信ずる行者は余処に求むべきに非ず。此の経を信ずる人の所住の処は即ち浄土也。
問て云く 華厳・方等・般若・阿含・観行等の諸経を見るに、兜率・西方・十方の浄土を勧む。其の上法華経の文を見るに、亦兜率・西方・十方の浄土を勧む。何ぞ此れ等の文に違いて但此の瓦礫荊棘の穢土を勧むる乎。
答て曰く 爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所言の浄土にして実には皆穢土也。法華経は亦方便・寿量の二品也。寿量品に至って実の浄土を定むる時、此の土は即ち浄土なりと定め了んぬ。但し兜率・安養・十方の難に至っては、爾前の名目を改めずして此の土に於て兜率・安養等の名を付く。例せば此の経に三乗の名有りと雖も三乗に有らざるが如し。_不須更指観経等也の釈の意是れ也。法華経に結縁無き衆生の当世西方浄土を楽うは瓦礫の土を楽うとは是れ也。法華経を信ぜざる衆生は誠に分添の浄土無き也。
『守護国家論』


