爪上の土

無宗教で日蓮聖人の御遺文を研鑽しています。

真言は国を亡ぼす悪法(6)

法華真言勝劣事 文永元(1264.07・29)

 東寺の弘法大師空海の所立に云く ̄法華経猶劣華厳経。何況於大日経乎〔法華経は猶お華厳経に劣れり。何に況んや大日経に於てをや〕云云。慈覚大師円仁・智証大師・安然和尚等の云く ̄法華経理同大日経。於印真言事者是猶劣也〔法華経の理は大日経に同じ。印と真言との事に於ては、是れ猶お劣れる也〕云云[其の所釈、余処に之を出だす]。
 空海は大日経・菩提心論等に依て、十住心を立て、顕密の勝劣を判ず。其の中の第六の他縁大乗心は法相宗。第七の覚心不生心は三論宗。第八の如実一道心は天台宗。第九の極無自性心は華厳宗、第十の秘密荘厳心は真言宗なり。此の所立の次第は浅きより深きに至る。其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云へり。然るに出だす所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに、名目経文之有り。然りと雖も、他縁・覚心・極無自性之三句を法相・三論・華厳に配する名目、之無し。其の上覚心不生と・極無自性と之中間に如実一道之文義、共に之無し。但し此の品之初めに_云何菩提。謂如実知自心〔云何なるか菩提。謂く 如実に自心を知る〕等の文、之有り。此の文を取りて此の二句之中間に置いて天台宗と名づけ、華厳宗に劣る之由、之を存す。住心品に於ては、全く文義、共に之無し。有文有義・無文有義之二句を欠く、信用に及ばず。菩提心論の文に於ても、法華・華厳の勝劣、都て之を見ざる上、此の論は龍猛菩薩の論と云ふ事、上古より諍論、之有り。此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪義之法に背く。
 其の上、善無畏・金剛智等、評定有りて大日経之疏義釈を作れり。一行阿闍梨の執筆也。此の疏義釈之中に、諸宗の勝劣を判ずるに、法華経与大日経 広略之異也〔法華経と大日経とは広略の異なり也〕と定め畢んぬ。空海之徳、貴しと雖も、争でか先師之義に背くべし乎と云ふ難強し[此れ、安然之難也]。之に依て空海之門人、之を陳するに、旁陳答、之有り。或は守護経、或は六波羅蜜経、或は楞伽経、或は金剛頂経等に見ゆと多く会通すれども、總じて難勢を免れず。
 然りと雖も、東寺の末学等、大師の高徳を恐るる之間、強ちに会通を加へんと為れども、結句会通の術計り之無く、問答之法に背いて、伝教大師最澄は弘法大師之弟子也と云云。又宗論の甲乙等、旁論ずる事、之有り云云。
 日蓮案じて云く 華厳宗之杜順・智儼・宝蔵等、法華経之始見今見の文に就いて、法華・華厳斉等之義、之を存す。其の後、澄観、始今之文に依て斉等之義を存すること、祖師に違せず。其の上、一往の弁を加へ、法華と華厳と斉等也。但し華厳は法華経より先也。華厳経之時、仏最初に法慧功徳林等の菩薩に対して出世之本懐、之を遂ぐ。然れども、二乗竝びに下賎之凡夫等、根機未熟之故に、之を用ひず。阿含・方等・般若等之調熟に依て、還りて華厳経に入らしむ。之を今見の法華経と名づく。大陳を破るに余残堅からざるが如し等。然れば実に華厳経、法華経に勝れたり等云云。本朝に於て勤操等に値ひて此の義を習学して後、天台・真言を学すと雖も旧執を改めざるが故に此の義を存す歟。何に況んや華厳経は法華経に勝る之由、陳隋より已前、南三北七、皆此の義を存す。天台已後も又諸宗、此の義を存せり。但弘法一人に非ざる歟。
 但し澄観、始見今見之文に依て、華厳経は法華経より勝れりと料簡する才覚に於ては、天台智者大師、涅槃経之是経出世 乃至 如法華中〔是の経の出世は 乃至 法華の中の〜如し〕之文に依て、法華・涅槃斉等の義を存するのみに非ず、又勝劣之義を存すれば、此の才覚を学びて此の義を存する歟。此の義、若し僻案ならば、空海之義も又僻見なるべき也。天台・真言の書に云く ̄法華経与大日経 広略之異也。略者法華経也。与大日経と雖斉等理 印真言略之故也。広者大日経。非説極理 説印真言故也。又法華経大日経 有同劣二義。謂理同事劣也。又有二義。一大日経五時摂也。是与義也。二大日経非五時之摂也。是奪義也〔法華経と大日経とは広略の異なり也。略とは法華経也。大日経と斉等の理なりと雖も、印・真言、之を略する故也。広とは大日経なり。極理を説くのみに非ず、印・真言をも説ける故也。又法華経と大日経とに同劣の二義有り。謂く 理同事劣也。又二義有り。一には大日経は五時の摂也。是れ与の義也。二には大日経は五時之摂に非ざる也。是れ奪の義也〕。又云く ̄法華経譬如裸形猛者。大日経帯甲冑猛者〔法華経は譬へば裸形の猛者の如し。大日経は甲冑を帯せる猛者なり〕等云云。又云く ̄無印真言者 不可知其仏〔印・真言無きは其の仏を知るべからず〕等云云。
 日蓮不審して云く 何を以て之を知る。理は法華経と大日経と斉等也と云ふ事を。
 答ふ 疏義釈竝びに慈覚・智証等之所釈に依る也。
 求て云く 此れ等の三蔵大師等は、又何を以て之を知るや。理は斉等の義也と。
 答て云く 三蔵大師等をば疑ふべからず等云云。
 難じて云く 此の義、論議の法に非ざる上、仏の遺言に違背す。慥かに経文を出だすべし。若し経文無くんば、義分無かるべし、如何。
 答ふ 威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等也。文は口伝すべし。
 問て云く 法華経に印・真言を略すとは、仏より歟。
 答て云く 或は仏と云ひ、或は経家と云ひ、或は訳者と云ふなり。
 不審して云く 仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義、之有りといはゞ、此の事何れの経文ぞ乎。文証の所出を知らず、我が意の浮言ならば、之を用ふべからず。若し経家・訳者より之を略すといはゞ、仏説に於てはなんぞ理同事勝の釈を作るべきや。法華経と大日経とは全体斉等なり。能く能く子細を尋ぬべき也。
 私に日蓮云く 威儀形色経瑜祇経等の文の如くんば、仏説に於ては法華経に印・真言有る歟。若し爾らば、経家・訳者、之を略せる歟。六波羅蜜経の如きは、経家、之れを略す。旧訳之仁王経の如きは、訳者、之れを略せる歟。若し爾らば、天台・真言之理同事異の釈は、経家並びに訳者之時より法華経・大日経之勝劣也。全く仏説の勝劣に非ず。此れ天台・真言之極也。天台宗之義勢、才覚の為に此の義を難ず。天台・真言之僻見、此の如し。東寺所立之義勢は且く之を置く。僻見眼前の故也。
 抑そも天台・真言宗の所立の理同事勝に二難有り。一には法華経と大日経との理同之義、其の文全く之無し。法華経と大日経との先後、如何。既に義釈に二経之前後、之を定め畢りて、法華経は先、大日経は後なりと云へり。若し爾らば、大日経は法華経の重説也、流通也。一法を両度、之を説くが故也。もし所立の如くんば法華経之理を重ねて之を説くを大日経と云ふ。然れば則ち、法華経と大日経と敵論之時は、大日経之理、之を奪ふて法華経に付くべし。但し、大日経の得分は、但印・真言計り也。印契は身業、真言は口業也。身・口のみにして意なくば印・真言有るべからず。手・口等を奪ふて法華経に付けなば、手無くして印を結び、口無くして真言を誦せば、虚空に印・真言を誦結すべき歟。如何。裸形之猛者と甲冑を帯せる猛者と之事。裸形の猛者の進んで大陳を破ると、甲冑を帯せる猛者の退いて一陳をも破らざるとは、何れが勝るゝ哉。又、猛者は法華経也。甲冑は大日経也。猛者無くんば、甲冑何の詮か、之有らん。之は理同之義を何ずる也。
 次に事勝の義を難ぜば。法華経には印・真言無く、大日経には印・真言、之有りと云云。印契・真言之有無に付いて二経之勝劣を定むるに、大日経に印・真言有りて、法華経に之無き故に劣ると云はば、阿含経には世界建立・賢聖の地位、是れ分明也。大日経には之無し。若し爾らば、大日経は阿含経より劣る歟。双観経等には四十八願是れ分明也。大日経に之無し。般若経には十八空、是れ分明也。大日経には之無し。此れ等の諸経に劣ると云ふべき歟。又、印・真言無くんば、仏を知るべからず等と云云。今反詰して云く ̄ 理無くんば仏有るべからず。仏無くんば印契・真言一切徒然と成るべし。彼難じて云く 賢聖並びに四十八願等をば印・真言に対すべからず等と云云。今反詰して云く 最上の印・真言、之無くば法華経は大日経等より劣る歟。若し爾らば、法華経には二乗作仏・久遠実成之有り。大日経には之無し。印・真言と、二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥也。諸経に印・真言を簡ばず、大日経、之を説きて何の詮か有るべき乎。二乗若し、灰断之執改めずんば、印・真言も無用也。一代之聖教に、皆二乗を永不成仏と簡ぶ。随て大日経にも之を隔つ。皆、成仏までこそ無からめ、三分が二、之を捨て、百分が六十余分、得道せずんば、仏の大悲、何かせん。凡そ、理の三千、之れ有りて成仏すと云ふ上には、何の不足か有るべき。成仏に於ては、疔(丁→亜)なる仏・中風の覚者は、之有るべからず。之を以て案ずるに、印・真言は規模無き歟。又諸経には、始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず。本無今有之失有れば、大日如来は有名無実也。寿量品に此の旨を顕す。釈尊は、点の一月、諸仏菩薩は、萬水に浮かべる影なりと見えたり。委細之旨は且く之を置く。
 又、印・真言無ければ、祈祷有るべからずと云云。是れ又以ての外の僻見也。過去・現在の諸仏、法華経を離れて成仏すべからず。法華経を以て正覚成り給ふ。法華経の行者を捨て給はゞ、諸仏還りて凡夫と成りたまふ。恩を知らざる故也。
 又、未来の諸仏之中の二乗も、法華経を離れては永く枯木・敗種也。今は再生也。華果也。他経之行者と相論を為すときは、華光如来・光明如来等は、何れの方に付くべき乎。華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天乃至四悪趣等之衆は皆法華経に於て一念三千・久遠実成の説を聞きて、正覚を成ずべし。何れの方に付くべき乎。真言宗等と外道並びに小乗・権大乗之行者等と、敵対相論を為す之時は、甲乙知り難し。法華経の行者に対する時は、龍と虎と、師子と兎と之闘ひの如く、諍論、分絶えたる者也。慧亮、脳を破する之時、次弟、位に即き、相応加持する之時、真済之悪霊、伏せらるゝ等、是れ也。一向真言の行者は、法華経の行者に劣れる証拠、是れ也。
 問て云く 義釈之意は、法華経・大日経共に二乗作仏・久遠実成を明かす耶、如何。
 答て云く 共に之を明かす。義釈に云く ̄此経心之実相彼経諸法実相〔此の経の心の実相は、彼の経の諸法実相なりと〕云云。又云く ̄本初是寿量義〔本初は是れ寿量の義なり〕等と云云。
 問て云く 華厳宗の義に云く 華厳経には二乗作仏・久遠実成、之を明かす。天台宗は之を許さず。宗論は且く之を置く。人師を捨てゝ本経を存せば、華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文、之れ有りと雖も、実には之無し。之を以て之を思ふに、義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も、実には之無き歟。如何。
 答て云く 華厳児湯の如く、相似之文、之れ有りと雖も、実義、之無き歟。私に云く 二乗作仏無くんば、四弘誓願、満足すべからず。四弘誓願、満足せずんば、又別願も満すべからず。總別の二願、満せずんば、衆生之成仏も有り難き歟。能く能く意得べし云云。
 問て云く 大日経の疏に云く ̄大日如来無始無終。遥勝五百塵点〔大日如来は無始無終なりと。遥かに五百塵点に勝れたり〕。如何。
答ふ 鐐盧遮那の無始無終なる事、華厳・浄名・般若等之諸大乗経に、之を説く。独り大日経のみに非ず。
 問て云く 若し爾らば五百塵点は、際限有れば有始有終也。無始無終は際限なし。然れば則ち、法華経は諸経に破せらるゝ歟、如何。
 答て云く 他宗之人は此の義を存す。天台一家に於て此の難を会通する者有り難き歟。今、大日経並びに諸大乗経之無始無終は、法身之無始無終也。三身之無始無終に非ず。法華経の五百塵点は、諸大乗経の破せざる伽耶之始成、之を破したる五百塵点也。大日経等の諸大乗経には全く此の義無し。宝塔の涌現、地涌之涌出、弥勒之疑ひ、寿量品之初めの三誓四請。弥勒菩薩、領解之文に、仏説希有法 昔所未曾聞〔仏希有の法を説きたまふ、昔より未だ曾て聞かざる所なり〕等の文、是れ也。大日経六巻、並びに供養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部之経の中に、未だ三止四請、二乗之劫国名号、難信難解等の文を見ず。
 問て云く 五乗の真言、如何。
 答ふ 未だ二乗の真言を知らず。四諦・十二因縁之梵語のみ有る也。又、法身平等に会すること有らんや。
 問て云く 慈覚・智証等、理同事勝之義を存す。争でか此れ等の第四等に過ぎん乎。
 答て云く 人を以て人を難ずるは、仏之誡め也。何ぞ汝、仏之制誡に違背する乎。但、経文を以て勝劣之義を存すべし。
 難じて云く 末学之身として祖師之言に背かば、之を難ぜざらん耶。
 答ふ 末学の祖師に違背する、之を難ぜば何ぞ智証・慈覚之天台・妙楽に違するを、何ぞ之を難ぜざる耶。
 問て云く 相違如何。
 答て云く 天台・妙楽之意は、已今当の三説之中に、法華経に勝れたる経、之れ有るべからず。若し法華経に勝れたる経有りといはゞ、一宗之宗義、之を壊るべきの由、之を存す。若し大日経、法華経に勝るといはゞ、天台・妙楽之宗義、忽ちに破るべき乎。
 問て云く 天台・妙楽之已今当の宗義、証拠経文に有り乎。
 答て云く 之有り。法華経法師品に云く_我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解〔我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕等と云云。此の経文の如きんば、五十余年之釈迦所説之一切経の内には法華経最第一也。
 難じて云く 真言師の云く 法華経は釈迦所説の一切経之中に第一也。大日経は大日如来所説の経也と。
 答て云く 釈迦如来より外に大日如来、閻浮提に於て八相成道して大日経を説ける歟[是一]。六波羅蜜経に云く_〔過去現在並釈迦牟尼仏之所説諸経分為五蔵 其中第五陀羅尼蔵真言也〔過去・現在、並びに釈迦牟尼仏の所説の諸経を分かちて五蔵と為し、其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なり〕と。真言の経、釈迦如来の所説に非ずといはゞ、経文に違す〔是二〕。我所説経典等の文は、釈迦如来の正直捨方便之説也。大日如来之証明、分身之諸仏、広長舌相之経文也〔是三〕。五仏章、尽く諸仏皆法華経を第一也と時給ふ〔是四〕。以要言之、如来一切所有之法〔要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法〕、乃至 皆於此経宣示顕説〔皆此の経に於て宣示顕説す〕等と云云。此の経文の如くならば、法華経は釈迦所説之諸経の第一なるのみに非ず、大日如来、十方無量諸仏之諸経之中に、法華経第一也。此の外、一仏二仏之所説の諸経之中に、法華経に勝れたる之経有りと、之云はば、信用有るべからず[是五]大日経等之諸の真言経之中に法華経に勝れたる由の経文、之無し[是六]。仏より外之天竺・震旦・日本国之論師・人師之中に、天台大師より外の人師、所釈之中に、一念三千之名目、之無し。若し一念三千を立てざれば、性悪之義、之無し。性悪之義、之無くんば、仏・菩薩の普現色身、不動・愛染等の降伏の形、十界之曼荼羅、三十七尊等、本無今有の外道之法に同ず歟[是七]
 問て云く 七義之中、一一難勢、之有り。然りと雖も、六義は且く之を置く。第七義、如何。華厳之澄観・真言之一行等、皆性悪之義を存す。何ぞ諸宗に此の義無しと云ふ哉。
 答て云く 華厳の澄観・真言の一行は、天台所立之義を盗んで、自宗の義と成す歟。此の事余処に勘へたるが如し。
 問て云く 天台大師の玄義の三に云く ̄法華總括衆経〔法華は衆経を總括す。〕。乃至 舌爛口中〔舌、口中に爛る。〕〜莫以人情局彼太虚也〔人情を以て彼の大虚を局むること莫れ。〕。釈籤の三に云く ̄不了法華宗極之旨。謂記聲聞事相而已不如華嚴般若融通無礙。〜諌曉不止舌爛何疑〔法華宗極の旨を了せずして、聲聞に記する事相、而るに已に、華嚴・般若の融通無礙なるに如かずと謂ふ。〜諌曉すれども止まず。舌の爛れんこと、何ぞ疑はん〕。乃至 已今當妙於茲固迷。舌爛不止。猶爲華報。謗法之罪苦流長劫〔已今當の妙、ここに於いて固く迷へり。舌爛れて止まざるは、猶ほ、これ華報なり。謗法の罪苦、長劫に流る〕等云云。若し、天台・妙楽之釈、実ならば、南三北七、並びに華厳・法相・三論・東寺之弘法等、舌爛れんこと、難の疑ひ有らん耶。乃至、苦流長劫の者なる歟。是れは且く之を置く。慈覚・智証等之、親り此の宗義を承けたる者、法華経は大日経より劣るの義、存すべし。若し、其の義ならば、此の人、人の舌爛口中苦流長劫は、如何。
 答て云く 此の義は最も上之難の義也。口伝に在り云云。
文永元年[甲子]七月二十九日之を記す 日 蓮

大乗と小乗について(2)

 第三に大小乗を定むることを明かさば。
 問て曰く 大小乗の差別、如何。
 答て云く 常途の説の如きは阿含部の諸経は小乗也。華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗也。或は六界を明かすは小乗、十界を明かすは大乗也。其の外法華経に対して実義を論ずる時、法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして、法華経は大乗也
 問て云く 諸宗に互って我が所拠の経を実大乗と謂い、余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習い也。末学に於て是非定め難し。未だ法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文を聞知せず、如何。
 答て云く 宗宗の立義、互いに是非を論ず。就中、末法に於て世間・出世に就いて非を先とし是を後とす。自ら是非を知らず、愚者の歎ずべき所也。但し且く我等が智を以て四十余年の現文を看るに、此の文を破る文無ければ人の是非を信用すべからざる也。其の上法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存ずべきに非ず。法華経の方便品に云く_仏自住大乗 乃至 自証無上道 大乗平等法 若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可〔仏は自ら大乗に住したまえり 乃至 自ら無上道 大乗平等の法を証して 若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕と。此の文の意は、法華経より外の諸経を皆小乗と説ける也。亦、寿量品に云く_楽於小法〔小法を楽える〕と。此れ等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説ける也。天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも、他師、之を許すべからず。故に但経文を出す也。
『守護国家論』

凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり
『立正安国論』

 問て云く 諸の小乗経に仏を無常と説かるる上、又所化の衆皆無常と談じき。若し爾らば、仏竝びに所化の衆の舌堕落すべしや。
 答て云く 小乗経の仏を小乗経の人が無常と説き談ずるは、舌ただれざるか。大乗経に向かって仏を無常と談じ、小乗経に対して大乗経を破するが、舌は堕落するか。此れをもておもうに、おのれが依経には随えども、すぐれたる経を破するは破法となるか。若し爾らば、設い観経・華厳経等の権大乗経の人々、所依の経の文の如く修行すとも、かの経にすぐれたる経々に随わず、又すぐれざる由を談ぜば、謗法となるべきか。されば観経等の経の如く法をえたりとも、観経等を破せる経の出来したらん時、其の経に随わずば破法となるべきか。小乗経を以てなぞらえて心うべし。
<中略>
 問て云く 天竺・震旦は外道が仏法をほろぼし、小乗が大乗をやぶるとみえたり。此の日本国もしかるべきか。
 答て云く 月支・支那には外道あり、小乗あり。此の日本国には外道なし、小乗の者なし。紀典博士等これあれども、仏法の敵となるものこれなし。小乗の三宗これあれども、彼の宗を用て生死をはなれんとおもわず。但大乗を心うる才覚とおもえり。但し、此の国には大乗の五宗のみこれあり。人々皆おもえらく、彼の宗々にして生死をはなるべしをおもう故に、あらそいも多くいできたり、又檀那の帰依も多くあるゆえに、利養の心もふかし。
<中略>
小乗経には無為涅槃の理が王なり。小乗の戒定等に対して智慧は王なり。諸大乗経には中道の理が王なり。
<中略>
小乗経は多しといえども、同じ苦・空・無常・無我の理なり。
<中略>
小乗経の理は無常なり、空なり。故に外道が小乗経を破するは謗法となる。大乗経の理は中道なり。小乗経は空なり。小乗経の者が大乗経をはするは謗法となる。大乗経の者が小乗経をはするは破法とならず。諸大乗経の理は未開会の理、いまだ記小・久成これなし。法華経の理は開会の理、記小・久成これあり。諸大乗経の者が法華経を破するは謗法となるべし。法華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず。
『顕謗法鈔』

仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもってやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもってこれをやぶるべし。天台智者大師の南三北七をやぶりしが如し。
『南条兵衛七郎殿御書』

日本国は一向大乗の国、大乗の中の一乗の国なり。華厳・法相・三論等の諸大乗すら猶お相応せず。何に況んや小乗の三宗をや。
『十章抄』

法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏往生をゆるすようなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏なり。挙一例諸と申して龍女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。
<中略>
 外道の善悪は小乗経に対すれば、皆悪道。小乗の善道、乃至、四味三教は、法華経に対すれば、皆邪悪。但法華のみ正善也。
『開目抄』

我が滅後の一切衆生は皆我が子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ病に随て薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・龍樹菩薩・天親菩薩等華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさずけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経竝びに大乗経竝びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。
『高橋入道殿御返事』

設ひ一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども、一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ(忌)事也。しゐてこれを弘通すれば国もわづらひ、人も悪道まぬがれがたし。又初心の人には二法を竝べて修行せしむる事をゆるさず。月支の習ひには、一向小乗の寺の者は王路を行かず、一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし。井の水河の水同じく飲む事なし。何に況んや一房に栖みなんや。
『下山御消息』

謗法は多種也。大小流布の国に生まれて一向に小乗の法を学して身を治め、大乗に還らざるは、是れ謗法也。亦華厳・方等・般若等の諸大乗経を習へる人も、諸経と法華経と等同之思ひを作し、人をして等同の義を学ばしめ、法華経に還らざるは、是れ謗法也。
『十法界明因果鈔』

 阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等之諸大乗経より出でたり。法華経には一向に小乗を説きて法華経を説かざれば慳貪に堕すべしと説きたまふ。涅槃経には一向に小乗経を用ひて仏を無常なりと云はん人は、舌、口中に爛るべしと云云。
<中略>
先に小乗・権大乗弘まらば、後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば、後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てて金珠を取るべし。金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ
『教機時国鈔』

小乗経と申す経は世間の小船のごとく、わづかに人の二人三人等は乗れども百千人は乗せず。設ひ二人三人等は乗れども此岸につけ(著)て彼岸へは行がたし。又すこしの物をば入るれども大なる物をば入れがたし。大乗と申すは大船也。人も十、二十人も乗る上大なる物をもつみ、鎌倉よりつくし(筑紫)、みち(陸奥)の国へもいたる。実経と申すは又彼大船の大乗経にはにるべくもなし。大なる珍宝をもつみ、百千人のりてかうらい(高麗)なんどへもわたりぬべし。一乗法華経と申す経も又如是。
『乙御前御消息』

 正法をひろむる事は必ず智人によるべし。故に釈尊は一切経をとかせ給て小乗経をば阿難、大乗経をば文殊師利、法華経の肝要をば一切の声聞、文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授させ給き。
『四条金吾殿御返事』

正法一千年之間は小乗・権大乗也。機時共に之無し。四依の大士、小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ。
『観心本尊抄』

小乗経には六道の因果を明かして、四聖以て分明ならず。倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明かす、是れ也。
『大学三郎御書』

天親菩薩は先に小乗の説一切有部の人、倶舎論を造りて阿含十二年の経の心を宣べて、一向に大乗の義理を明かさず。次に十地論・摂大乗論・釈論等を造りて四十余年の権大乗の心を宣べ、後に仏性論・法華論等を造りて粗実大乗の義を宣べたり。龍樹菩薩も亦然也。
『唱法華題目鈔』

仏の小乗経には十方に仏なし、一切衆生に仏性なしととかれて候へども、大乗経には十方に仏まします。一切衆生に仏性ありととかれて候へば、たれか小乗経を用候べき。皆大乗経をこそ信じ候へ。
『上野殿御返事』

阿含経は外道の経に対すれば大乗経。華厳、般若、大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経也。法華経に勝れたる経なき故に一大乗経也。
『千日尼御前御返事』

大乗と小乗について

小乗大乗分別鈔 文永十(1273)

 夫れ小乗大乗の定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云い、五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う。外道の法に対しては一切の大小乗の仏教を皆大乗と云う。_大法東漸 通指仏教 以為大法等と釈する是れ也。
 仏教に入りても鹿苑十二年の説、四阿含経等の一切の小乗教をば諸大乗経に対して、小乗経と名づけたり。又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う。華厳の大乗経に其余楽小法〔其の余楽小法〕と申す文あり。天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず、十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名づくと釈し給えり。
 又法華経第一の巻方便品に_若以小乗化 乃至於一人〔若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば〕と申す文あり。天台・妙楽は阿含経を小乗というのみにあらず、華厳経の別教、方等・般若経の通別の大乗をも小乗と定む。又玄義の第一に会小帰大漸頓泯合と申す釈をば、智証大師は始め華厳経より終り般若経にいたるまでの四教・八教の権実諸大乗経を漸頓と釈す。泯合と云うは八教を会して一大円教に合すとこそことわられて候え。
 又法華経の寿量品に_楽於小法徳薄垢重者〔小法を楽える徳薄垢重の者〕と申す文あり。天台大師は此の経文に小法と云うは小乗経にもあらず。久遠実成を説かざる華厳経の円ないし方等・般若・法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法也。又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那・盧舎那・大日如来等をも小仏也と釈し給う。此の心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は小乗経。八宗の中に倶舎宗・成実宗・律宗を小乗と云うのみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として、唯天台宗一宗ばかり実大乗宗なるべし。彼彼の大乗宗の所依の経経には絶えて二乗作仏・久遠実成の最大の法を説かせ給わず。譬えば一尺二尺の石を持つ者をば大力といわず、一丈二丈の石を持つを大力と云うが如し。
 華厳経の法界円融四十一位・般若経の混同無二十八空・乾慧地等の十地・瓔珞経の五十二位・仁王経の五十一位・薬師経の十二の大願・双観経の四十八願・大日経の真言印契等、此れ等は小乗経に対すれば大法・秘法也。法華経の二乗作仏・久遠実成に対すれば小乗の法也。一尺二尺を一丈二丈に対するがごとし。又二乗作仏・久遠実成は法華経の肝要にして諸経に対すれば奇たりと云えども、法華経の中にてはいまだ奇妙ならず。一念三千と申す法門こそ、奇が中の奇、妙が中の妙にて、華厳・大日経等に分絶えたるのみならず、八宗の祖師の中にも真言等の七宗の人師名をだにもしらず、天竺の大論師龍樹菩薩・天親菩薩は内には珠を含み、外にはかきあらわし給わざりし法門なり。
 而るを雨衆が三徳・米斉が六句の先仏の教を盗みとれる様に、華厳宗の澄観・真言宗の善無畏等は天台大師の一念三千の法門を盗み取って、我が所依の経の心仏及衆生の文の心とし、心実相と申す文の神とせるなり。かくのごとく盗み取って、我が宗の規模となせるが、又還って天台本宗をば下して、華厳宗・真言宗には劣れるなりと申す。此れ等の人師は世間の盗人にはあらねども仏法の盗人なるべし。此れ等をよくよく尋ね明らむべし。
 又世間の天台宗の学者竝びに諸宗の人人の云く 法華経は但二乗作仏・久遠実成計り也等云云。
 今反詰して云く 汝等が承伏に付いて、但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎて諸経になくば、此れなりとも豈に奇が中の奇にあらずや。二乗作仏諸経になくば、仏の御弟子頭陀第一の迦葉・智慧第一の舎利弗・神通第一の目連等の十大弟子・千二百の羅漢、万二千の声聞・無数億の二乗界、過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつらずば、永く色身倶に滅して永不成仏の者となるべし。豈に大なる失にあらずや。又二乗界ならずば、迦葉等を供養せし梵天・帝釈・四衆・八部・比丘・比丘尼等の二乗八番の宗はいかんがあるべき。
 又久遠実成が此の経に限らずんば、三世の諸仏無常遷滅の法に堕しなん。譬えば天に諸星ありとも日月ましまさずんばいかんがせん。地に草木ありとも大地なくばいかんがせん。是れは汝が承伏に付いての義也。
 実をもて勘え申さば、二乗作仏なきならば、九界の衆生仏になるべからず。法華経の心は法爾のことわりとして一切衆生に十界を具足せり。譬えば人一人は必ず四大を以ってつくれり。一大かけなば人にあらじ。一切衆生のみならず、十界の依正二法、非情の草木一塵にいたるまで皆十界を具足せり。二乗界仏にならずば、余界の八界仏になるべからず。譬えば父母倶に持ちたる者兄弟九人あらんか、二人は凡下の者と定められば、余の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母の如し。九界の衆生は実子なり。声聞・縁覚の二人永不成仏の者となるならば、菩薩・六凡の七人あに得道をゆるさるべきや。
 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 〜 唯我一人 能為救護〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 〜 唯我一人のみ 能く救護を為す〕の文をもて知るべし。
 又菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす。第一衆生無辺誓願度の願成就せずば、第四の無上菩提誓願証の願は成ずべからず。前四味の諸経にては菩薩・凡夫は仏になるべし。二乗は永く仏になるべからず等云云。
 而るをかしこげなる菩薩も、はかなげなる六凡も共に思えり、我等仏になるべし。二乗は仏にならざればかしこくして彼の道には入らざりけると思う。二乗はなげきをいだき、此の道には入るまじかりし者をと恐れかなしみしが、今法華経にして二乗を仏になし給える時、二乗仏になるのみならず、彼の九界の成仏をも時あらわし給えり。諸の菩薩此の法門を聞いて思わく、我等が思いははかなかりけり。爾前の経経にして二乗仏にならずば、我等もなるまじかりける者なり。二乗を永不成仏と説き給うは二乗一人計りなげくべきにあらありけり。我等の同じなげきにてありけりと心うる也。
 又寿量品の久遠実成が爾前の経経になき事を以って思うに、爾前には久遠実成なきのみならず、仏は天下第一の大妄語の人なるべし。爾前の大乗第一たる華厳経・大日経等に始成正覚 我昔坐道場等云云。真実甚深正直捨方便の無量義経と法華経の迹門には我先道場 我始坐道場と説かれたり。此れ等の経文は寿量品の_然我実成仏已来_無量無辺の文より思い見ればあに大妄語にあらずや。仏の一身すでに大妄語の身也。一身に備えたる六根の諸法あに実なるべきや。大冰の上に造れる諸舎は春をむかえては破れざるべしや。水中の満月は実に体ありや。爾前の成仏・往生等は水中の星月の如し。爾前の成仏・往生等は体に随う影の如し。
 本門寿量品をもて見れば、寿量品の智慧をはなれては諸経は跨説・当分の得道共に有名無実なり。天台大師此の法門を道場にして独り覚知し、玄義十巻・文句十巻・止観十巻等書きつけ給うに、諸経に二乗作仏・久遠実成絶えてなき由を書きおき給う。
 是れは南北の十師が教相に迷うて、三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗・一音・半満・三教・四教等を立てて教の浅深勝劣に迷いし、此れ等の非義を破らんが為に、まず眼前たる二乗作仏・久遠実成をもて諸経の勝劣を定め給いしなり。
 然りと云うて余界の得道をゆるすにはあらず。其の後華厳宗の五教、法相宗の三時、真言宗の顕密・五蔵・十住心、義釈の四句等は南三北七の十師の義よりも尚お・{あやま}れる教相也。此れ等は他師の事なればさておきぬ。
 又自宗の学者、天台・妙楽・伝教大師の御釈に迷うて、爾前の経経には二乗作仏・久遠実成計りこそ無けれども、余界の得道は有りなんど申す人人、一人二人ならず日本国に弘まれり。他宗の人人是れに便りを得て弥いよ天台宗を失う。
 此れ等の学者は譬えば野馬の蜘蛛の網にかかり、渇鹿の陽炎をおうよりもはかなし。例せば頼朝の右大将家は泰衡を打たんがために、泰衡を狂かして義経を打たせ、大将の入道清盛源氏を喪ぼして世をとらんが為に、我が伯父平馬の介忠正を切る。義朝はたぼらかされて慈父為義を切るが如し。
 此れ等は墓なき人人のためしなり。天台大師法華経より外の経経には二乗作仏・久遠実成は絶えてなしなんど釈し給えば、菩薩の作仏・凡夫の往生はあるなんめりとうち思いて、我等は二乗にもあらざれば爾前の経経にても得道なるべし。この念い心中にさしはさめり。其の中にも観経の九品往生はねがいやすき事なれば、法華経をばなげすて、念仏申して浄土に生まれて、観音・勢至・阿弥陀仏に値いたてまつりて成仏を遂ぐべしと云云。
 当世の天台宗の人々を始めとして諸宗の学者かくのごとし。実義をもて申さば、一切衆生の成仏のみならず、六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力也。例せば日本国の人唐土の内裏に入らん事は、必ず日本の国王の勅定によるべきが如し。穢土を離れて浄土に入る事は、必ず法華経の力なるべし。例せば民の女乃至関白大臣の女に至るまで、大王の種を下ろせば、其の産める子王となりぬ。大王の女なれども、臣下の種を懐妊せば、其の子王とならざるが如し。
 十方の浄土に生まるる者は三乗・人天・畜生等までも、皆王の種姓と成って生まるべし。皆仏となるべきが故也。阿含経は民の女の民を夫とし、華厳・方等・般若等は王女の臣下を夫とせるが如し。又華厳経・方等・般若・大日経等の菩薩等は、王女の臣下を夫とせるが如し。皆浄土に生まるべき法にはあらず。又華厳・方等・般若等の経々の間に六道を出づる人あり。是れは彼々の経々の力には非ず過去に法華経の種を殖えたりし人現在に法華経を待たずして機すすむ故に、爾前の経経を縁として過去の法華経の種を発得して、成仏往生をとぐるなり。例せば縁覚の無仏世にして飛花落葉を観じて独覚の菩提を証し、孝養父母の者の梵天に生まるるが如し。飛花落葉・孝養父母等は独覚と梵天との修因にはあらねども、かれを縁として過去の修因を引きおこし、彼の天に生じ、独覚の菩提を証す。
 而るに尚お過去に小乗の三賢・四善根にも入らず、有漏の禅定をも修せざる者は、月を観じ、花を詠じ、孝養父母の善を修すれども、独覚ともならず、色天にも生ぜず。過去に法華経の種を殖えざる人は華厳経の席に侍りしかども初地・初住にものぼらず鹿苑説教の砌にても見思をも断ぜず、観経等にても九品の往生をもとげず、但大小の賢位のみに入って聖位にはのぼらずして、法華経に来て始めて仏種を心田に下して、一生に初地・初住等に登る者もあり、又涅槃の座へさがり乃至滅後未来までゆく人もあり。
 過去に法華経の種を殖えたる人々は、結縁の厚薄に随って、華厳経を縁として初地・初住に登る人もあり、阿含経を縁として見思を断じて二乗となる者もあり、観経等の九品の行業を縁として往生する者もあり、方等・般若も此れをもて知んぬべし。
 此れ等は彼彼の経経の力にはあらず、偏に法華経の力也。譬えば民の女に王の種を下せる人しらずして民の子と思い、大臣等の女に王の種を下せるを人しらずして臣下の子と思えども、大王より是れを尋ぬれば皆王種となるべし。爾前にして界外へ至る人を、法華経より之を尋ぬれば皆法華経の得道なるべし。又過去に法華経の種を殖えたる人の根鈍にして、爾前の経経に発得せざる人人は法華経にいたりて得道なる。是れは爾前の経経をばめのと(乳母)として、きさき(后)腹の太子・王子と云うが如くなるべし。
 又仏の滅後にも、正法一千年が間は在世のごとくこそなけれども、過去に法華経の種を殖えて法華・涅槃経にて覚りのこせる者、現在在世にて種を下せる人人も是れ多し。又滅後なれども現に法華経ましませば、外道の法より小乗経にうつり、権大乗にうつり、権大乗より法華経にうつる人々数をしらず。龍樹菩薩・無著菩薩・世親論師等是れ也。像法一千年には正法のほどこそ無けれども、又過去現在に法華経の種を殖えたる人々も少少之有り。
 而るに漸漸に仏法澆薄になる程に、宗宗も偏執石の如くかたく、我慢山の如く高し。像法の末に成りぬれば、仏法によて諍論興盛して仏法の合戦ひまなし。世間の罪よりも、仏法の失に依って無間地獄に堕ちる者数をしらず。今は又末法に入って二百余歳、過去現在に法華経の種を殖えたりし人人もようやくつきはてぬ。又種をうえたる人々は少々あるらめども、世間の大悪人、出世の謗法の者数をしらず国に充満せり。譬ば大火の中の小水、大水の中の小火、大海の中の水、大地の中の金なんどの如く、悪業とのみなりぬ。又過去の善業もなきが如く、現在の善業もしるしなし。或は弥陀の名号をもて人を狂わし、法華経をすてしむれば、背上向下のとがあり。或は禅宗を立てて教外と称し、仏教をば真の法にあらずと蔑如して増上慢を起こし、或は法相・三論・華厳宗を立てて法華経を下し、或は真言宗・大日宗と称して、法華経は釈迦如来の顕教にして真言宗に及ばず等云云。
 而るに自然に法門に迷う者もあり、或は師師に依って迷う者もあり、或は元祖・論師・人師の迷法を年久しく真実の法ぞと伝え来る者もあり、或は悪鬼天魔の身に入りかわりて、悪法を弘めて正法とおもう者あり、或はわずか(僅)の小乗一途の正法をしりて、大法を行ずる人はしからずと我慢して、我正法を行ぜんが為に、大法秘法の山寺をおさえとる者もあり、或は慈悲魔と申す魔味に入って、三衣一鉢を身に帯し、小乗の一法を行ずるやから、わずかの正法を持ちて、国中の棟梁たる比叡山龍象の如くなる智者どもを、一分我が教にたがえるを見て、邪見の者悪人なんどうち思えり。此の悪見をもて国主をたぼらかし、誑惑して、正法の御帰依をうすうなし、かえ(却)て破国破仏の因縁となせるなり。彼の妲己褒・{ほうじ}なんと申せし后は心もおだやかに、みめかたち人にすぐれたりき。愚王これを愛して国をほろぼす縁となる。当世の禅師・律師・念仏者なんと申す聖一・道隆・良観・道阿弥・念阿弥なんど申す法師等は鳩鴿が糞を食するがごとく、西施が呉王をたぼろかししににたり。或は我小乗臭糞の驢乳の戒を持て。

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