自我偈について
今の施主十三年の間、毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は_唯仏与仏。乃能究尽〔唯仏と仏と乃し能く究尽したまえり〕なるべし。
夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましいなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。自我偈の功徳をば私に申すべからず。次下に分別功徳品に載せられたり。此の自我偈を聴聞して仏になりたる人々の数をあげて候には、小千・大千・三千世界の微塵の数をこそあげて候え。其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり。涅槃経四十巻の中に集まりて候し五十二類にも、自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか。されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の菩薩天人等雲の如くに集まりて候し、大集・大品の諸聖も、大日金剛頂経等の千二百余尊も、過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人々、心力よわくして三五の塵点を経しかども、今度釈迦仏に値い奉りて法華経の功徳すすむ故に霊山をまたずして、爾前の経々を縁として得道なると見えたり。されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う。世界の人の父母の如し。今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続く人也。我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや。若し此れを捨て給わば仏還って我が身を捨て給うなるべし。これを以て思うに、田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし。此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや。法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし。
『法蓮鈔』
夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましいなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。自我偈の功徳をば私に申すべからず。次下に分別功徳品に載せられたり。此の自我偈を聴聞して仏になりたる人々の数をあげて候には、小千・大千・三千世界の微塵の数をこそあげて候え。其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり。涅槃経四十巻の中に集まりて候し五十二類にも、自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか。されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の菩薩天人等雲の如くに集まりて候し、大集・大品の諸聖も、大日金剛頂経等の千二百余尊も、過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人々、心力よわくして三五の塵点を経しかども、今度釈迦仏に値い奉りて法華経の功徳すすむ故に霊山をまたずして、爾前の経々を縁として得道なると見えたり。されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う。世界の人の父母の如し。今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続く人也。我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや。若し此れを捨て給わば仏還って我が身を捨て給うなるべし。これを以て思うに、田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし。此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや。法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし。
『法蓮鈔』
法華経の行者について(2)
問て云く 末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕ちるや。
答て云く 法華経の第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん〕等云云。此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、八大地獄竝びに一百三十六の地獄あり。其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処也。今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈誹謗せん人々はおつべしと説き給える文なり。
<中略>
貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合わせ両眼を仏の御顔にあて、頭を低れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水をおもい、飢えて食を思うがごとく、間無く供養し奉る功徳よりも、戯論に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万倍すぐべしと説き給いて候。これを妙楽大師は ̄福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり。
『法蓮鈔』
法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただひとつきて候かたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給ふなり。
『さじき女房御返事』
日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。
<中略>
法華経の第五の巻に云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり〕等云云。此の経文に最在其上の四字あり。されば此の経文のごときんば、法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。
『撰時抄』
法華経第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。
『国府尼御前御書』
第一には日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開いて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼いからして其の国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、其の故と無くいくさをこり、他国より其の国を破るべしと見へて候。
『松野殿御消息』
諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり。
『宝軽法重御書』
小失なくとも大難に度々値ふ人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ。
<中略>
仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人。釈尊を加へ奉りて已上三人なり。外典に云く 聖人は一千年に一(ひとたび)出て、賢人は五百年に一出づ。黄河は・(けい)・渭(い)ながれをわけて、五百年には半河すみ、千年は共に清む、と申すは一定にて候けり。
『報恩抄』
法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終 入阿鼻獄と定めさせ給ひし也。
『下山御消息』
鬼神に二つあり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。
<中略>
設ひ法華経に値ひ奉るとも、末代の凡夫法華経の行者には値ひがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は、法華経を説かざる華厳・阿含・方等・般若大日経等の千二百余尊よりも、末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く ̄有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分〔供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は、頭七分に破れん〕等云云。
『日女御前御返事』
法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障べきにて候。十境の中の魔境此れ也。魔の習ひは善を障へて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。
『富木入道殿御返事』
法華経の行者はいやしけれども、守護する天こわし。例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる、犬が師子をほゆればはらわたくさる。
『随自意御書』
而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者也。其の人を罰せざる守護神は、一切の人天の眼をくじる者を結構し給ふ神也。
『諌曉八幡抄』
法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。
『大夫志殿御返事』
末法には法華経の行者必ず出来すべし。但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海へ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども、かへす事、とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ。
『椎地四郎殿御書』
三類の敵人を顕さずんば、法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者也。
『教機時国鈔』
方便品に云く_是法住法位 世間相常住〔是の法は法位に住して 世間の相常住なり〕云云。世間のならひとして三世常恒の相なれば、なげくべきにあらず、をどろくべきにあらず。相の一字は八相なり。八相も生死の二字をいでず。かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申す也。
『上野殿後家尼御返事』
法華経第八陀羅尼品に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。此の文の意は、仏、鬼子母神・十羅刹女の法華経の行者を守らんと誓ひ給ふを読むるとして、汝等、法華の首題を持つ人を守るべしと誓ふ。其の功徳は三世了達の仏の智慧も尚ほ及び難しと説かれたり。
『聖愚問答鈔』
其れに付けて法華経の行者は身心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也。
『祈祷経送状』
過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはね(刎)られ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ(憎)給へり。此等の仏、菩薩、大聖等は法華経の行者として、而も大難にあひ給へり。此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。
『如説修行鈔』
法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来也。
『四条金吾殿御返事(此経難持)』
経に勝劣あるのみならず、大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合すれば、水に火をあはせ露と風とを合するが如し。犬は師子をほうれ(吠)ば腹さくる、脩羅は日輪を射奉れば頭七分に破る。一切の真言師は犬と脩羅との如く、法華経の行者は日輪と師子との如し。氷は日輪の出ざる時は堅き事金の如し。
『乙御前御消息(与日妙尼書)』
末法の法華経の行者は、人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす。
『法華初心成仏鈔』
涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時、大梵天より糸を下さんに糸のはし(端)すぐ(直)に下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」。
『妙法比丘尼御返事』
法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候也
『新池殿御消息』
抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗べき車にて候也。彼車をば法華経譬喩品と申すに懇に説せ給て候。
『大白牛車御消息』
日蓮は日本第一の法華経の行者也。日蓮が弟子、檀那等の中に日蓮より後に来り給候はば、梵天、帝釈、四大天王、閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者日蓮房が弟子檀那なりと名乗て通り給べし。
『波木井殿御書』
答て云く 法華経の第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん〕等云云。此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、八大地獄竝びに一百三十六の地獄あり。其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処也。今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈誹謗せん人々はおつべしと説き給える文なり。
<中略>
貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合わせ両眼を仏の御顔にあて、頭を低れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水をおもい、飢えて食を思うがごとく、間無く供養し奉る功徳よりも、戯論に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万倍すぐべしと説き給いて候。これを妙楽大師は ̄福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり。
『法蓮鈔』
法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただひとつきて候かたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給ふなり。
『さじき女房御返事』
日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。
<中略>
法華経の第五の巻に云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり〕等云云。此の経文に最在其上の四字あり。されば此の経文のごときんば、法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。
『撰時抄』
法華経第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。
『国府尼御前御書』
第一には日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開いて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼いからして其の国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、其の故と無くいくさをこり、他国より其の国を破るべしと見へて候。
『松野殿御消息』
諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり。
『宝軽法重御書』
小失なくとも大難に度々値ふ人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ。
<中略>
仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人。釈尊を加へ奉りて已上三人なり。外典に云く 聖人は一千年に一(ひとたび)出て、賢人は五百年に一出づ。黄河は・(けい)・渭(い)ながれをわけて、五百年には半河すみ、千年は共に清む、と申すは一定にて候けり。
『報恩抄』
法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終 入阿鼻獄と定めさせ給ひし也。
『下山御消息』
鬼神に二つあり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。
<中略>
設ひ法華経に値ひ奉るとも、末代の凡夫法華経の行者には値ひがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は、法華経を説かざる華厳・阿含・方等・般若大日経等の千二百余尊よりも、末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く ̄有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分〔供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は、頭七分に破れん〕等云云。
『日女御前御返事』
法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障べきにて候。十境の中の魔境此れ也。魔の習ひは善を障へて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。
『富木入道殿御返事』
法華経の行者はいやしけれども、守護する天こわし。例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる、犬が師子をほゆればはらわたくさる。
『随自意御書』
而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者也。其の人を罰せざる守護神は、一切の人天の眼をくじる者を結構し給ふ神也。
『諌曉八幡抄』
法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。
『大夫志殿御返事』
末法には法華経の行者必ず出来すべし。但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海へ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども、かへす事、とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ。
『椎地四郎殿御書』
三類の敵人を顕さずんば、法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者也。
『教機時国鈔』
方便品に云く_是法住法位 世間相常住〔是の法は法位に住して 世間の相常住なり〕云云。世間のならひとして三世常恒の相なれば、なげくべきにあらず、をどろくべきにあらず。相の一字は八相なり。八相も生死の二字をいでず。かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申す也。
『上野殿後家尼御返事』
法華経第八陀羅尼品に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。此の文の意は、仏、鬼子母神・十羅刹女の法華経の行者を守らんと誓ひ給ふを読むるとして、汝等、法華の首題を持つ人を守るべしと誓ふ。其の功徳は三世了達の仏の智慧も尚ほ及び難しと説かれたり。
『聖愚問答鈔』
其れに付けて法華経の行者は身心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也。
『祈祷経送状』
過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはね(刎)られ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ(憎)給へり。此等の仏、菩薩、大聖等は法華経の行者として、而も大難にあひ給へり。此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。
『如説修行鈔』
法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来也。
『四条金吾殿御返事(此経難持)』
経に勝劣あるのみならず、大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合すれば、水に火をあはせ露と風とを合するが如し。犬は師子をほうれ(吠)ば腹さくる、脩羅は日輪を射奉れば頭七分に破る。一切の真言師は犬と脩羅との如く、法華経の行者は日輪と師子との如し。氷は日輪の出ざる時は堅き事金の如し。
『乙御前御消息(与日妙尼書)』
末法の法華経の行者は、人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす。
『法華初心成仏鈔』
涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時、大梵天より糸を下さんに糸のはし(端)すぐ(直)に下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」。
『妙法比丘尼御返事』
法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候也
『新池殿御消息』
抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗べき車にて候也。彼車をば法華経譬喩品と申すに懇に説せ給て候。
『大白牛車御消息』
日蓮は日本第一の法華経の行者也。日蓮が弟子、檀那等の中に日蓮より後に来り給候はば、梵天、帝釈、四大天王、閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者日蓮房が弟子檀那なりと名乗て通り給べし。
『波木井殿御書』
法華経の行者について
法華経第七に云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来 〜 或以。杖木瓦石。而打擲之 乃至 千劫於阿鼻地獄。受大苦悩〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘、〜 或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば 乃至 千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く〕等云云。
此の経文の心は、法華経の行者を悪口し、及び杖を以て打擲せるもの、其の後に懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫阿鼻地獄に堕ちたり、と見えぬ。懺悔する謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法においては、阿鼻地獄を出る期かたかるべし。
『顕謗法鈔』
而るを此の五十余年に法然という大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をもって珠を投げさせ石をとらせたる也。止観の五に云く ̄瓦礫を貴んで明珠なり、と申すは是れ也。一切衆生石をにぎりて珠とおもう。念仏を申して法華経をすてたる是れ也。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をます也
<中略>
されば日蓮は日本第一の法華経の行者也。もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子也、となのらせ給え。
『南条兵衛七郎殿御書』
心には法華経の行者と存すとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とおもうべし。
<中略>
先ず世間の上下万人云く 八幡大菩薩は正直の頂にやどり給う、別のすみかなし等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはおわしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおわせざるか。但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候え。
『法門可被申様之事』
法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり。
<中略>
又南無妙法蓮華経と申す人をば、いかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候わんずらん。
『十章抄』
日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。
<中略>
諸の声聞、法華をはなれさせ給いなば、魚の水をはなれ、猿の木をはなれ、小兒の乳をはなれ、民の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給うべき。
<中略>
予事の由をおし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をばその経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。但し大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる。孝の至り也。
<中略>
日蓮案じて云く 法華経の二処三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく、月の水に遷るがごとく、須臾に来て行者に代わり、仏前の御誓をはたさせ給うべしとこそおぼえ候に、いままで日蓮をとぶらい(訪)給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて身の失をしるべし。
<中略>
法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼の亀の浮木に値うなるべし。
<中略>
法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し〕等云云。
仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値い給う。此れは法華経の行者にあらずや。
『開目抄』
仏陀記して云く 後五百歳 有法華経行者 為諸無智者 必被悪口罵詈 刀杖瓦石 流罪死罪〔後の五百歳に法華経の行者有りて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん〕等云云。日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏未来記は大虚妄に当る也。
『真言諸宗違目』
今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申て教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。
『日妙聖人御書』
されば法華経の行者の祈る祈りは、響きの音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。
<中略>
提婆達多、仏になり給わば、語らわれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。是れ偏に法華経の恩徳也。されば提婆達多竝びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住ませ給うらめとたのもし。
<中略>
大地はささばはずるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなわぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一つも来たりてまもり給わぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなずり奉り、下は九界をたぼらかす失あり。行者は必ず不実なりとも智慧はおろかなりとも、身は不浄なりとも、戒徳は備えずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護したもうべし。
『祈祷鈔』
仏教に依て悪道に堕する者大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者爪上の土よりも少なし。此の時に当りて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の心身に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時也。
爾りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執を捨て、実大乗の法華経に帰せば、諸天善神竝びに地涌千界等の菩薩、法華経の行者を守護せん。此の人は守護之力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。
<中略>
疑て云く 何を以て之を知る、汝を末法之初めの法華経の行者と為すことを。
答て云く 法華経に云く_況滅度後〔況んや滅度の後をや〕。又云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕。又云く_数数見擯出〔数数擯出せられ〕。又云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又云く_悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕等云云。此の明鏡に付けて仏語を信ぜしめんが為に日本国中の王臣四衆の面目に引き向へたるに、予より之外には一人も之無し。時を論ずれば末法の初め一定也。然る間、若し日蓮無くんば、仏語虚妄と成らん。
『顕仏未来記』
第六天の魔王、十軍のいくさをおこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居・穢土をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあたりて、大兵をおこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。しかりといえども、弟子檀那等の中に臆病のもの、大体或はおち、或は退転の心あり。
『弁殿御前御書』
末法に入て法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。
<中略>
法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当れり。
『法華行者値難事』
後五百歳は誰人を以て法華経の行者と之を知るべきや。予は未だ我が智慧を信ぜず。然りと雖も自他の返逆侵逼、之を以て我が智を信ず。敢えて他人の為に非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是れ法華経の行者也。不軽の跡を紹継する之故に。軽毀する人は頭七分に破れ信ずる者は福を安明に積まん。
『聖人知三世事』
法華経の行者は一切之諸人に勝れたる之由、之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民也。法華経の行者は須弥山・日月・大海等也。
『大田殿許御書』
一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬のごとしと申す事を、詮と思しめされて候。なにをもんてこれをしるとならば、第八の譬への下に一の最大事の文あり。所謂此の経文に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の目也。文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は、衆星・江河・凡夫のごとしととかれて候経文也。
<中略>
又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば、常の法華経の行者にては候はぬにはんべり。
『四条金吾殿御女房御返事』
なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値ふをすてさせ給ひて、現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく、雨の空より下るごとく、_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と無間大城に堕ち給はん事こそ、あわれにはをぼへ候へ。
『神国王御書』
法華経を信ずる人のおそるべきものは、俗人・強盗・夜打つ・虎・狼・師子等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人々なり。
『兄弟鈔』
此の経文の心は、法華経の行者を悪口し、及び杖を以て打擲せるもの、其の後に懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫阿鼻地獄に堕ちたり、と見えぬ。懺悔する謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法においては、阿鼻地獄を出る期かたかるべし。
『顕謗法鈔』
而るを此の五十余年に法然という大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をもって珠を投げさせ石をとらせたる也。止観の五に云く ̄瓦礫を貴んで明珠なり、と申すは是れ也。一切衆生石をにぎりて珠とおもう。念仏を申して法華経をすてたる是れ也。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をます也
<中略>
されば日蓮は日本第一の法華経の行者也。もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子也、となのらせ給え。
『南条兵衛七郎殿御書』
心には法華経の行者と存すとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とおもうべし。
<中略>
先ず世間の上下万人云く 八幡大菩薩は正直の頂にやどり給う、別のすみかなし等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはおわしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおわせざるか。但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候え。
『法門可被申様之事』
法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり。
<中略>
又南無妙法蓮華経と申す人をば、いかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候わんずらん。
『十章抄』
日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。
<中略>
諸の声聞、法華をはなれさせ給いなば、魚の水をはなれ、猿の木をはなれ、小兒の乳をはなれ、民の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給うべき。
<中略>
予事の由をおし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をばその経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。但し大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる。孝の至り也。
<中略>
日蓮案じて云く 法華経の二処三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく、月の水に遷るがごとく、須臾に来て行者に代わり、仏前の御誓をはたさせ給うべしとこそおぼえ候に、いままで日蓮をとぶらい(訪)給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて身の失をしるべし。
<中略>
法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼の亀の浮木に値うなるべし。
<中略>
法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し〕等云云。
仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値い給う。此れは法華経の行者にあらずや。
『開目抄』
仏陀記して云く 後五百歳 有法華経行者 為諸無智者 必被悪口罵詈 刀杖瓦石 流罪死罪〔後の五百歳に法華経の行者有りて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん〕等云云。日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏未来記は大虚妄に当る也。
『真言諸宗違目』
今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申て教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。
『日妙聖人御書』
されば法華経の行者の祈る祈りは、響きの音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。
<中略>
提婆達多、仏になり給わば、語らわれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。是れ偏に法華経の恩徳也。されば提婆達多竝びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住ませ給うらめとたのもし。
<中略>
大地はささばはずるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなわぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一つも来たりてまもり給わぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなずり奉り、下は九界をたぼらかす失あり。行者は必ず不実なりとも智慧はおろかなりとも、身は不浄なりとも、戒徳は備えずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護したもうべし。
『祈祷鈔』
仏教に依て悪道に堕する者大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者爪上の土よりも少なし。此の時に当りて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の心身に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時也。
爾りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執を捨て、実大乗の法華経に帰せば、諸天善神竝びに地涌千界等の菩薩、法華経の行者を守護せん。此の人は守護之力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。
<中略>
疑て云く 何を以て之を知る、汝を末法之初めの法華経の行者と為すことを。
答て云く 法華経に云く_況滅度後〔況んや滅度の後をや〕。又云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕。又云く_数数見擯出〔数数擯出せられ〕。又云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又云く_悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕等云云。此の明鏡に付けて仏語を信ぜしめんが為に日本国中の王臣四衆の面目に引き向へたるに、予より之外には一人も之無し。時を論ずれば末法の初め一定也。然る間、若し日蓮無くんば、仏語虚妄と成らん。
『顕仏未来記』
第六天の魔王、十軍のいくさをおこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居・穢土をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあたりて、大兵をおこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。しかりといえども、弟子檀那等の中に臆病のもの、大体或はおち、或は退転の心あり。
『弁殿御前御書』
末法に入て法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。
<中略>
法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当れり。
『法華行者値難事』
後五百歳は誰人を以て法華経の行者と之を知るべきや。予は未だ我が智慧を信ぜず。然りと雖も自他の返逆侵逼、之を以て我が智を信ず。敢えて他人の為に非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是れ法華経の行者也。不軽の跡を紹継する之故に。軽毀する人は頭七分に破れ信ずる者は福を安明に積まん。
『聖人知三世事』
法華経の行者は一切之諸人に勝れたる之由、之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民也。法華経の行者は須弥山・日月・大海等也。
『大田殿許御書』
一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬のごとしと申す事を、詮と思しめされて候。なにをもんてこれをしるとならば、第八の譬への下に一の最大事の文あり。所謂此の経文に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の目也。文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は、衆星・江河・凡夫のごとしととかれて候経文也。
<中略>
又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば、常の法華経の行者にては候はぬにはんべり。
『四条金吾殿御女房御返事』
なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値ふをすてさせ給ひて、現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく、雨の空より下るごとく、_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と無間大城に堕ち給はん事こそ、あわれにはをぼへ候へ。
『神国王御書』
法華経を信ずる人のおそるべきものは、俗人・強盗・夜打つ・虎・狼・師子等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人々なり。
『兄弟鈔』



